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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

たおれたままでいるのがお得意?(中年の危機と世話 8/10)

2011-12-09 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日は、NPOの仕事で印刷作業をしたりしたあと、都心に出かけ本屋さんに立ち寄った。内田樹氏の≪呪いの時代≫を薦める方がいて、ちょっとどんなものか見たかったこともある。その目的は達成できたが、その時に目に入った本があった。

 ≪絶望名人カフカの人生論≫ (飛鳥新書 フランツ・カフカ 頭木弘樹翻訳)

 その中の一節・・・

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。

将来にむかってつまずくこと、これはできます。

いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

 この一節を読んで、思わず衝動買いしてしまった。実は、わたしにとってのカフカは次のようなところで接点があるのだ。自分の成育史の中で大学3年のとき、大学紛争も終結の方向であったし、自分の勉強や興味範囲も定まりつつあった。ただ、なにか中途半端でネガティブな気分がいっぱいで、自然とカフカの小説をたくさん読んだのだ。

 時にはカフカの演劇も見に行った記憶がある。その延長線上に、以前述べたが友達を誘っての工学部学生中心のはじめての小説文集の作成があった。

 私も、気合いをいれてその小説を書いた。カフカに凝っていたので当然未完の小説であった。そして、書いたあと卒論を書き、サラリーマンとなった。サラリーマンになってからは今にいたるまで、カフカをまじめに読み返したことはなかった。

 ただ、私のその小説は、心理療法や生き甲斐の心理学を勉強しつつ読むと、不思議に成育史上の問題が隠れているようで、ある日、自分の最大の謎を解決できたのも、その小説がヒントであった。30年くらい前の自分への呪いの言葉。それが、どうも6歳の時の出来事と関連していたことを発見したからだ。無意識の表現とカフカの小説はどのようにかかわっているのだろう。

 カフカは小説家になりたいのに、完結した小説が殆どない。しかも、亡くなるときに焼却してほしいとのメッセージがあったという。ハプスブルグ家からの官僚組織で朝から、午後2時ごろまで働き、そのあとに小説を書いていたという。何か今の時代を先取りしているような生き方かもしれない。

 ≪生き甲斐の心理学≫では、ネガティブな感情をとても大切にする。底の浅いポジティブ志向ではなく、その中から真実の何かが表れてくることが多いからだ。

 今日は勉強会、カフカをとりあげようかな?カフカを心理療法に使うという事例はあるのだろうか?

中年の危機と世話 8/10

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