写真は、11月の終わりごろに、奈良・三輪山の麓から撮った二上山である。丁度、三田誠広氏の「炎の女帝 持統天皇」を読み終えて、先日行った奈良の写真をいくつか眺めた時、イメージを膨らましつつ加工してアップした。
持統天皇の歌は、次の万葉集の句がとても有名である。誰でも、一度は聴いたことがあるのではないでしょうか?
「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」 ①
私も高校生の時に、百人一首を暗記したときに覚えたのだと思う。しかし、この歌の解釈は様々で、吉野裕子氏の解釈など驚愕の解釈もある。ただ、一般に、この歌は明るく長閑に解釈されるようだ。でも、この句を書いたと思われる晩年の持統天皇が、それまでどのような経験をしたかは余り知られていないと思う。
日本の古代の時代は、血族の間で謀略がはびこり、特に日本の原型ができて来た時代は凄かったようだ(天智天皇も謀殺されたという説も・・・)、持統天皇が関与したと思われる戦い、謀略(見殺しや追いつめも入るだろう)も思いつくだけで、大友皇子、大津皇子、大伯皇女、十市皇女、山辺皇女、・・・
その中で、有名な句は、持統天皇の息子、草壁皇子のライバルであった大津皇子が亡くなるときに、姉の大伯皇女(この皇女も、ライバルの皇子との結婚を避けるために斎宮にされるという説もある)が読んだ次の歌である。
「現身(うつそみ)の人にある吾や明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む」 ②
ただ、よく考えてみれば、大伯皇女と持統天皇も立場は本当に紙一重。勝者になっても敗者になっても本当に大変だったと思う。生き残っても罪悪感・怨霊に悩まされる日々であったのだろう。持統天皇の吉野への行幸が異常に多いのもそういう背景がありそうだ。
しかし、何故①のような明るい歌?悟ったようでもある。
エリクソンの人格形成論に、13-22歳のことのテーマとして、忠誠心、アイデンティティ、自己混乱感がある(この年齢の時に顕著かもしれないが、その後の時代などでも影響がある)。理論的に考えると、自己混乱感を避けるためには、忠誠心がポイントになる。三田誠広氏の小説を読みながら、国家のためとか、それを超える神仏への忠誠心などがきっとそれにあたるのだろうと思った。
女帝は、自分に宿る神を強く信じていたのだろうか。
さて、不思議なことに、①と②の万葉集の歌は違う立場ながら、何か似ているような気がする。アイデンティティの統合を考える時、やはり、自分を超えるSomething Greatの視点が大切ということなのだろうか。
私は何か? 3/10