人間らしく

日記です

アメリカは不思議な国だ・・・・・

2018年02月18日 05時35分52秒 | 日記

 アメリカで、また銃の乱射事件が発生した。
悲惨なこと極まりない、幾度繰り返せば、無くなるのだろうか。
自分の身を守るために銃を持つことを認めている国家だ。
こんな悲惨な事件が繰り返し起って、国民はまたもや黙認するつもりだろうか。
黙認している大統領であって良いのだろうか、異様な国と云わざるを得ない。
キリスト教を国是としている国ではありえないことだと思う。
銃は持たせないようにすれば、射殺されることは無い。
この現実が、民主国家の代表たるアメリカの姿かと思えば情けない。
アメリカ国民よ、銃を持たない、持たせない勇気を持ってほしい。
アメリカ国民の良識を問いたい。



              海 の 守 り 神


広島に≪立志の集い≫が・・・

2018年02月17日 05時23分45秒 | 日記

 先頃テレビのローカル放送を見ていると、初春の行事として「立志の集い」が紹介されていた。
これは、中学2年生を対象にした「元服」のような行事だったのに驚かされた。
所によって、現在でも人間として自覚を持たせる行事が存在しているのだ。
現代の青少年たちは、習い事や塾通いで、大人としての自覚が持てない子供が多いと思っていたところ、
そのような組織があろうとは驚きであった。
子供の頃から精神をしっかりと鍛えておかないと、真っ当な大人として成長しないように思う。
このような会から、未来の西郷や大久保が巣立っていくのではないか。
「温故知新」の精神を担う若者に期待したい。



             シ ー サ 堂 々 と




死生観を持つべし・・・

2018年02月16日 05時10分10秒 | 日記
 人間生れてくるのも、死に去って行く時も、自分の意志では決められない。
何故ならば、人間自体が被造物であるからだ。
特に、元気な時には「死生観」とは他所事と考えてきた。
しかし加齢が進み、病むようになってからは、「死生観」について真剣に考えるようになった。
人間は、長生きしても必ず何時かは死ぬものだ。
だから、残された僅かな人生をいかに生き、悔いのない人生の幕引きを図りたい。
何か存在した意義を残したいというように変わってきた。
晴れ晴れとした心境になるには、如何に生きればよいのか、最後の課題だ。
その課題こそ、その人の「死生観」だ。悔いのない死生観でありたいと願っている。



            海 の 見 え る 風 景

コダワリを持つこと・・・

2018年02月15日 05時44分31秒 | 日記

 コダワリを持つことは、何事においても、特に、物作りにおいては大切な場合がある。
反対に、人間の思考を頑なにして、頑固の原因になることがある。
物事に執着しすぎると思わぬ失敗を招くことがある。
執着心が昂じて、ストレスに陥ることもある。
他方では、芸術家や、職人にとっては、傑作を生み出す動機になることもある。
物事にコダワルことは、人間にとって難題である。
その時々の状況によって、自由自在でありたいものだ。
俗物にとっては、コダワリは、妨げになることが多いようだ。
ストレスにならないようにしたいものだ・・・。



            魔 除 け 達 の 集 い



自然体について・・・

2018年02月14日 05時04分07秒 | 日記
 柔道には、「自然体」という構えがある。
どのように攻めてこられようが、最も素早く対応できる身構えだ。
人間世界では、すべからく「自然」に処するのが良いように思われる。
人為的な作為はいずれは破綻するように思う。
何故ならば、人間自体がそもそも「被造物」であるからだ。
何事も「自然」に任せ、「不自然なこと」は極力避けた方がよさそうだ。
努力と忍耐力は必要だが、すべからく「自然体」でありたいと願っている。



            南国に咲くブーゲンビリヤ


常識外れの制服・・・

2018年02月13日 05時54分22秒 | 日記

 東京銀座にある「区立・泰明小学校」の新しい制服が、物議を醸している。
イタリア・ブランドの「アルマーニ」を採用して、総額約8万円もする高級品と聞く。
標準服と云ってカモフラージュしているが、貧乏育ちの私には、無用の代物と思えてならない。
校長先生の方便を聴くと、「服育」というが、子供たちの差別化イジメにならないかと憂慮される。
その陰に、見栄や格好良さと、非常識な関係者たちの姿が見え隠れしている。教育はファッションショーではない。
いくら東京の一等地とはいえ、世間常識からは逸脱していないか。
教育委員会や学校当局の常識を疑いたくなる。
学校は、あくまで子供を育する機関であって、ファッションや格好良さを競う場所ではないことをお忘れなく・・・。
公立の小学校は、常識的な制服を採用してほしいものだ。



          広 島 被 爆 者 の 慰 霊 碑


親あっての子供では・・・・

2018年02月12日 05時39分20秒 | 日記
 親孝行をするのは人間の常識だ。
孟・孔思想には「親には孝行を」が説かれ、モーゼの十戒には、「父と母を敬え」と戒められている。
子供の頃は、祖母や、ご近所のおじさん・おばさん達から口喧しく、諭されたものだ。
昨今の世相を見ると、尊属殺しの悲惨な事件が多発している。
他方、親の方は親の方で、子供に遠慮して、子供の世話にはならぬと、痩せ我慢している。
日本の暖かかった家族制度は、これで良いのか、気に懸かるところだ。
家族のあり方を根本的に問い直す時期に来ているようだ。国家の干渉を受けずに・・・。
在宅介護の推奨も、その一環かもしれない。



             沖 縄 平 和 祈 念 公 園 近 辺






怒ることの怖しさ・・・

2018年02月11日 05時22分34秒 | 日記
 人間、誰しも喜怒哀楽はある。
中でも、怒る時には、恐ろしい負のエネルギーが生じるらしい。
人の怒る時に発する呼吸を集めて凝縮すると、人を殺傷するほどの「猛毒」になるそうだ。
怒りにはそれほど猛烈な「負のエネルギー」があるということだ。
貝原益軒の「養生訓」によれば、健康のためには、心穏やかなることに努めよと説いてある。
いずれにしても、納得のいくことだ。
それを知りながら、怒りを制御出来ない自分の不甲斐なさを痛感している。
歳を重ねるほどに、常に冷静で、穏やかな人間でありたいものだ。
日頃からの精神修養が大切だ。



               密  か に 咲 く





 

この国のカタチについて(3)・・・

2018年02月10日 05時16分49秒 | 日記
 国会議員にとって最も大切なことは、国造りの明確なビジョンを示すことではなかろうか。
残念ながら、選挙公約やマニフェストで、ビジョンを明確に示された記憶はない。
多様化した世の中だから、国民に示すことは困難かもしれないが、最も肝要なことだ。
中曽根内閣では、3公社の民営化を、小泉内閣では郵政・道路公団の民営化が図られた。
しかしながら、肝腎の国造りのビジョンは示されなかった。
選挙制度の変化とともに、国会議員は、国策に奔走するより、己の選挙に専心することになった。
その結果、国会議員の質的低下を招いたようだ。
選挙制度もこれを助長していると思われる。小選挙区制の弊害が出てきている。
明治維新に見られたような、熱い思いを持った国家像を示してほしいものだ。
司馬遼太郎の最高の作品は、数々ある中で「明治という国家」であったと思う。
国会議員さん達には、早くこの国の将来ビジョンを示してもらいたいものだ。



              み ど り 一 色


この国のカタチについて(2)・・・

2018年02月09日 05時34分37秒 | 日記

 「パラダイム・シフト」と聞いて、妙に懐かしい。
1990年頃、盛んに使われた言葉だ。
ソ連邦が崩壊して、ベルリンの壁が、取り除かれた頃のことだ。
識者達は云った、歴史的に見ると、約800年位のサイクルで大変革が起きている。
今まさに「大パラダイム・シフト」が起こりつつあると・・・。
二大大国の冷戦は終わって、新しい世界が開けるのだと誰もが思ったことだろう。
しかしながら、新しいパラダイムは今なお混迷を深めており、五里霧中の状態である。
「日本国の統治機構」は変わっただろうか。政治家諸氏のは変わっただろうか。
今こそ政治家諸氏に「明治維新の志士達」の活躍を司馬氏は願って「この国のかたち」を刊行されたのでろう。
今なおパラダイムシフトは起こらずに、右往左往している。



             沖 縄 ・ 平 和 祈 念 公 園