「<栄養失調児>校長見かねて、こっそり牛乳飲ます」(5月22日Yahoo!ニュース)
# 栄養失調も疑われたため、見かねた校長は今年3月、保護者を
#学校に呼び出し、「今は成長期で、脳がつくられる大事な時期。
#きちんとした食生活をさせないと困る」と諭した。
# 母親は「(食事を)作っても食べない」と戸惑った。
#「食べるように(食材を)小さく切るなど工夫していますか」と
#たたみ掛けると、両親は互いに責任をなすり合いけんかを始めた
# 同校には数年前、「一日の食事はおにぎり1個」という児童が
#いたが、栄養状態が切迫したため施設に保護してもらったという。
#校長は「家庭の機能低下は現場で実感している。
#状況は悪化の一途だ」と憂える。
#今も男児と別の児童計2人に牛乳を飲ませている。
日本は豊かな国といわれています。
●豊食にっぽん
少し前、NHKラジオで南極観測隊の料理人の方のお話をされていました。
米国の観測隊が南極に持ち込む食材は100種類程度、
あのフランス料理のフランス隊はやや増えて300種類程度
ところが、日本隊はなんと800種類だそうです。
和食・中華・洋食など、ほぼ世界の食事が楽しめる日本。
食材の種類数を見ても日本の豊かな食環境が実感できました。
●飽食・放食にっぽん
豊食にっぽんは、次の局面に移ったようです。
こどもエコクラブの活動でエコキャンプをするとき、心がけていたことがあります。それは、食後の食器。
キャンプ定番料理のカレーは、食後お皿にルーが残ります。これを洗い落とすために、キャンプ場で大量の水と洗剤を使ったのでは、エコキャンプの名折れです。
ヒントにしたのは、禅寺の食事作法。
禅寺では禅僧の食器はすべて自己管理。毎食後お茶とタクアンで食器内部を綺麗に洗い、自分のお腹に流す。昔はカレーのようなメニューは無かったそうなので、改めて洗うことはしなかったそうですが、最近はカレー・シチューもでるそうで、やはり少しは洗うようになったそうです。
しかし、この作法は器に盛られた食事をすべて頂く事、洗わないので環境に負荷を掛けないという点でかなり合理的です。
子どもは、タクアンが嫌いなものなので、私たちはパンを使いました。カレーを食べたらパンで皿の内側を綺麗に拭いて食べてしまうと、洗う際にも水と洗剤が少なくて済みます。これは、フランス料理の作法としても許されるものです。
「帰ったらお母さんにもお話して、うちでもやってみて。お母さんが楽になるから」と言い聞かせましたが、どれだけの家庭で実行してくれたでしょうか。
食事のマナーの低下は、食後の食器の汚れ方にも現れています。
美味しい本格的インド料理のバイキング店がごく近くにあり、家内や娘は金沢に出て来ると楽しみにしています。先日、これからママになろうとする妊婦さんおふたりが、平気で大量の食べ残しをされていました。
食べ飽き、食べ散らかす「飽食・放食にっぽん」の一コマのようです。
格言「衣食足って礼節を知る」は、現代日本に通用しないようです。
●崩食にっぽん
4月25日のgooニュース「食品捨てれば優良店!? コンビニ、30万円ノルマも」
コンビニに限らず食品の賞味期限はメーカーが自己防衛のために防腐剤を入れた上で、短めに設定されています。特にコンビにでは、買って行った客が車の中に放置することも考えているようで、かなりの防腐剤を使っているように思います。本当はもっと美味しいはずなのに、味がおかしくなっている食品もあって残念です。
これも昔ラジオで聞いた話です。
「食堂車で聞いた会話。ある紳士が給仕の女性に『ご飯はありますか?』『ライスならございますが』『ご飯をください』…給仕…『これはご飯ではありませんね。私はご飯を注文しました』…」
お米の炊き方への拘りのお話と聞きましたが、これを発展させて考えてみました。
曰く「食には餌・飯・ご飯・ご馳走(もしくは料理というレベル)がある」と。
本来の食材には、ランクは無いはずだと思っています。
ところが、生産・流通・加工の段階で、食材は相当な侮辱を受けていると思います。海外からの輸入には輸送途中での痛みを防止するポストハーベスト(輸送段階での農薬散布)に始まり、加工段階での防腐剤の投入まで。
これでは立派な食材も、餌レベルにされてしまっているように思えてなりません。
普通のスーパーで売られている食材を使った男の料理でも、一部の店頭に並んでいる餌化されてしまった食品たちよりも相当美味しく作れます。普通に作れば美味しいものをどうして、美味しくなく作るのか…素朴に疑問です。
そして、大量に廃棄される餌化された食品たち。
このような状況で、食が崩壊しているという以外に、なんと表現すればよいのでしょうか。
ある自治体の教育長から伺った話。
朝食を抜いて登校させる保護者に、朝食を採らせるよう依頼したところ、「学校で朝食給食を出すべきだ」と真剣に詰め寄られた…
何が大切で、何を優先しなければならないか
基本中の基本を見失った方の発言ほど怖いものはありません。
自らは正しいことを言っていると信じ込んでおられるのですから。
やるせないことなのですが、子らへの虐待は必ずしも肉体的苦痛だけに留まってはいないようです。
# 栄養失調も疑われたため、見かねた校長は今年3月、保護者を
#学校に呼び出し、「今は成長期で、脳がつくられる大事な時期。
#きちんとした食生活をさせないと困る」と諭した。
# 母親は「(食事を)作っても食べない」と戸惑った。
#「食べるように(食材を)小さく切るなど工夫していますか」と
#たたみ掛けると、両親は互いに責任をなすり合いけんかを始めた
# 同校には数年前、「一日の食事はおにぎり1個」という児童が
#いたが、栄養状態が切迫したため施設に保護してもらったという。
#校長は「家庭の機能低下は現場で実感している。
#状況は悪化の一途だ」と憂える。
#今も男児と別の児童計2人に牛乳を飲ませている。
日本は豊かな国といわれています。
●豊食にっぽん
少し前、NHKラジオで南極観測隊の料理人の方のお話をされていました。
米国の観測隊が南極に持ち込む食材は100種類程度、
あのフランス料理のフランス隊はやや増えて300種類程度
ところが、日本隊はなんと800種類だそうです。
和食・中華・洋食など、ほぼ世界の食事が楽しめる日本。
食材の種類数を見ても日本の豊かな食環境が実感できました。
●飽食・放食にっぽん
豊食にっぽんは、次の局面に移ったようです。
こどもエコクラブの活動でエコキャンプをするとき、心がけていたことがあります。それは、食後の食器。
キャンプ定番料理のカレーは、食後お皿にルーが残ります。これを洗い落とすために、キャンプ場で大量の水と洗剤を使ったのでは、エコキャンプの名折れです。
ヒントにしたのは、禅寺の食事作法。
禅寺では禅僧の食器はすべて自己管理。毎食後お茶とタクアンで食器内部を綺麗に洗い、自分のお腹に流す。昔はカレーのようなメニューは無かったそうなので、改めて洗うことはしなかったそうですが、最近はカレー・シチューもでるそうで、やはり少しは洗うようになったそうです。
しかし、この作法は器に盛られた食事をすべて頂く事、洗わないので環境に負荷を掛けないという点でかなり合理的です。
子どもは、タクアンが嫌いなものなので、私たちはパンを使いました。カレーを食べたらパンで皿の内側を綺麗に拭いて食べてしまうと、洗う際にも水と洗剤が少なくて済みます。これは、フランス料理の作法としても許されるものです。
「帰ったらお母さんにもお話して、うちでもやってみて。お母さんが楽になるから」と言い聞かせましたが、どれだけの家庭で実行してくれたでしょうか。
食事のマナーの低下は、食後の食器の汚れ方にも現れています。
美味しい本格的インド料理のバイキング店がごく近くにあり、家内や娘は金沢に出て来ると楽しみにしています。先日、これからママになろうとする妊婦さんおふたりが、平気で大量の食べ残しをされていました。
食べ飽き、食べ散らかす「飽食・放食にっぽん」の一コマのようです。
格言「衣食足って礼節を知る」は、現代日本に通用しないようです。
●崩食にっぽん
4月25日のgooニュース「食品捨てれば優良店!? コンビニ、30万円ノルマも」
コンビニに限らず食品の賞味期限はメーカーが自己防衛のために防腐剤を入れた上で、短めに設定されています。特にコンビにでは、買って行った客が車の中に放置することも考えているようで、かなりの防腐剤を使っているように思います。本当はもっと美味しいはずなのに、味がおかしくなっている食品もあって残念です。
これも昔ラジオで聞いた話です。
「食堂車で聞いた会話。ある紳士が給仕の女性に『ご飯はありますか?』『ライスならございますが』『ご飯をください』…給仕…『これはご飯ではありませんね。私はご飯を注文しました』…」
お米の炊き方への拘りのお話と聞きましたが、これを発展させて考えてみました。
曰く「食には餌・飯・ご飯・ご馳走(もしくは料理というレベル)がある」と。
本来の食材には、ランクは無いはずだと思っています。
ところが、生産・流通・加工の段階で、食材は相当な侮辱を受けていると思います。海外からの輸入には輸送途中での痛みを防止するポストハーベスト(輸送段階での農薬散布)に始まり、加工段階での防腐剤の投入まで。
これでは立派な食材も、餌レベルにされてしまっているように思えてなりません。
普通のスーパーで売られている食材を使った男の料理でも、一部の店頭に並んでいる餌化されてしまった食品たちよりも相当美味しく作れます。普通に作れば美味しいものをどうして、美味しくなく作るのか…素朴に疑問です。
そして、大量に廃棄される餌化された食品たち。
このような状況で、食が崩壊しているという以外に、なんと表現すればよいのでしょうか。
ある自治体の教育長から伺った話。
朝食を抜いて登校させる保護者に、朝食を採らせるよう依頼したところ、「学校で朝食給食を出すべきだ」と真剣に詰め寄られた…
何が大切で、何を優先しなければならないか
基本中の基本を見失った方の発言ほど怖いものはありません。
自らは正しいことを言っていると信じ込んでおられるのですから。
やるせないことなのですが、子らへの虐待は必ずしも肉体的苦痛だけに留まってはいないようです。