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室長の部屋

那須烏山市のスクラップ回収業(有)ひらつね 経営企画室ブログ

奇遇

2018年02月15日 | まち歩き
こんばんは、室長です。

この3連休(といっても土、月は半日営業していましたが)の中日はちょうど寒さが緩んだので、まち歩きがてらにまとまった時間どこかに出かけようと思い立ちまして、しばし地図とにらめっこしてみました。

色々悩んだ挙句、常陸大宮の「サニーサイドキッチン」や以前行き損ねた「淡水魚館」を回った後に常陸太田の鯨ヶ丘をのんびり散歩することにだいぶ心が寄りながらも、結局、目先のタスクに関連する用足しに迫られて上三川方面に行くことにしました。

この上三川町というもの、日産自動車の工場があるだけでなく、高速道路の上三川インターチェンジや福田屋インターパークをはじめ様々なスポットが所在しており、県内ではわりと著名なエリアです。商業、工業の拠点が集積し、交通の要衝にもなっている訳ですので、わが那須烏山と比べても人口・産業構成に特色があり、町でやっていけるほどの財政的な余裕が見受けられます。

(参考)      面積    人口
・上三川町    54.39㎡  31,066人(2017.10.1)
・那須烏山市   174.35㎡  26,211人(2017.10.1)

室長もインターパークへの買い物や仕事で小山方面に行く際などは国道新4号線を通る時に必ずと言っていいほど上三川町を通過して、その栄えっぷりを目にするのですが、反面、いつも思うことに「この上三川町というまちの中心市街地はいったいどこにあるのか?」という疑問があります。

そんな訳で今回は時間がたっぷりあるため、気になる上三川町の中心市街地を探ることをサブテーマに出かけてみることにしました!

まず目を付けたのが町役場。

新4号線から東側にほんの少し入ったところに役場があるのですが、その周辺は住宅やオフィスが点在する郊外住宅地の趣きで、いわゆる商店街チックな市街地とは少し違った雰囲気。コンビニは見かけるものの、スーパーや食料品店などの地元住民が通いそうなスポットの集積があまり見受けられません。

まちの中心部が役場周辺でないとすると一体どこなのか、これまた地図とにらめっこしていると「上三川城址公園」という気になる名前を見つけたので、トイレ休憩がてら向かってみることにしました。

そしてその道中、ようやくまちの中心部らしき風景に出会いました。

それが城址公園の門前通りを形成するこちらです。



「楽しいお買物 城址公園通り」という看板の他、通りにはお揃いの街灯と観光協会の緑色のフラッグ広告が続いており、商店街っぽい雰囲気の通りを形成しています。

日曜だったということもあり、営業しているお店はほとんどありませんでしたが、確かに人の生活感の感じられる空間があることを確認することができてまずは一安心しました。

どうやら、町役場ではなくこの城跡がまちの中心(ケビンリンチの言うところのランドマーク的な存在)になっていると言っても良さそうです。

さて、肝心の城址公園ですが、狭い通りを入って公園駐車場に車を停めて進んでいくと、そこには確かに石垣で囲まれたまっ平らな空間が広がっているではありませんか!



ちょっとしたマルシェをやるには申し分ない手ごろなオープンスペース。周囲には堀がめぐらされていて、水辺には多数の野鳥や鯉が見られ、石垣の上も遊歩道になっていて高低差もあるので、雰囲気は抜群に良いです。

寡聞にして知りませんでしたが、ここ上三川町にはかつて上三川城という平城があったそうで、その本丸跡が城址公園として整備されているとのこと。



上三川城の主である横田氏の興亡の背景は興味深いところですが、細かい記述は省くとして、残念ながら1597年に落城してしまったようです。それでも現在その本丸がそっくり残っている訳ですので、後代になって何かしらの用途に転用されるなりして大切に使われてきたのでしょうか。

いろいろと調べてみると、上三川城の付近には烏山藩の「上三川陣屋」(烏山藩出張陣屋)があったそうで、えも言われぬ偶然に一人喜んでいました(笑)ひょんなところで案外とつながっているから歴史はオモシロいものですね。


追伸
その後、気になって調べていたら、城址公園の前の通りはやはり「上三川城址公園通り商店街」という商店街だそうです。城址公園を会場にしたナイトマルシェ的イベントである城址ナイトもこれまで何度も開催しているようで、なかなかイカしてますな。

場所のオモテとウラ

2016年07月31日 | まち歩き
こんばんは、室長です。

今日は仲間内の集まりが埼玉でありまして、久喜まで行ってきました♪

到着した時間帯にもよるのでしょうが、駅から出た途端、埼玉の暴力的な暑さには辟易してしまいました(苦笑)

それでも久喜は初めて降り立つ場所でしたので、寸暇を惜しんで街を徘徊してみたところ、見どころこそ見つからなかったものの、見知らぬ街をほっつき歩く楽しさの片鱗に触れました。

上野~宇都宮間のJR宇都宮線は乗りなれた路線ですが、車窓から見る各駅前の商店の並びなどは、いちいち室長の興味をそそるわけです。土呂、東大宮、蓮田などと並んで、久喜などはその代表といえる駅です。

しかし、実際に降りてみると意外と小ぎれいで、殺風景な駅前空間(西口)が広がっています。



もうちょっと猥雑さというか雑多さが欲しい反面、同じチェーン店でも「和民」や「庄や」のようなメジャーなものではなく、「村さ来」や「養老乃瀧」、「大吉」といった渋い居酒屋がぽつんと佇んでいる侘しさも欲しいところ。あくまでも個人的な趣味ですが。。

一方、東口に目を転じてみると、ちょっと趣が異なっています。



新幹線の高架の影の塩梅と東武鉄道の駅名表示も相まってか、控えめかつ陰なイメージをまとっています。

同じような構成に、例えば東武伊勢崎線の竹ノ塚駅(東京都足立区)があります。

立派な東口に対して、うらびれた西口。*2007年3月時点





出店しているカフェも、陽の東口=スタバ、陰の西口=ドトールといった具合。

こうしたあからさまな「空間」と「ブランド」の記号論的な優劣の表出には、いとおしさすら感じてしまうから不思議なものです(笑)別に哲学的な考察がある訳ではなく、単にそうした風景を見つけるのが好きというだけなのですが…


おまけ

久喜駅前で避暑した喫茶店がなかなかのものでした!

珈琲茶館OBという怪しげな店名のこのお店、自動券売機でアイスコーヒー(250円)を注文したところ、なんとジョッキでサーブされました(笑)



店内は個人作業する年配者やおしゃべりしながら勉強する若い学生さんでにぎわっていました。



この柵のような仕切りと列柱も、空間を仕切るのに案外と良い味を出しています。コミュニティカフェのちょっとしたヒントになるかもしれません!

新春の常陸路

2016年01月11日 | まち歩き
こんにちは、室長です。

平成28年最初の投稿になりますが、本年もよろしくお願いします!

さて、正月明け早々から風邪をひいてダウンしていたのですが、この3連休でようやく落ち着いてきました…正月休みに久しぶりに遠出して、人混みにあるところに行ってしまったからでしょうか、喉の痛みと発熱にやられてしまいました。

人混みとは言え、出かけたのは都内とかではなく、お隣の茨城県。しかも訪れたのは常陸太田、大洗、笠間と決して人口密度が高くないエリアだったのですが(苦笑)強いて挙げれば、正月ということもあり笠間稲荷神社が混みあっていたくらいでしょうか。

茨城県と言えば、地域ブランド調査の都道府県ランキングで2014年、2015年と連続最下位の実績を持つ県です(笑)2015年の調査で41位から35位までランクを上げた栃木県民としては、もはや比較する対象ではないので、あまり期待しないで出かけたものの、意外と面白い観光地が多々あることに驚きました。

その代表が県北部にある常陸太田市です。同士は県内最大の面積を誇る市で、南北に非常に長く、北は福島県の矢祭町に接しています。

戦国時代には佐竹氏の本拠地として、江戸時代には水戸徳川ゆかりの地として栄えた都市で、街並みの随所に城下町らしさを感じます。郊外には佐竹氏が再建した佐竹寺もあり歴史のある街です。



そもそも昼食をとるために行くことにした常陸太田でして、市内の名物としてそばが有名なのですが、年末にそばをたらふく食べたのであえてうどんをチョイス♪知人にいづみや本店という有名うどん屋があることを耳にしたので行ってみたところ、期待以上に面白いお店でした~あんなに太い麺にもかかわらず、立ち食いそば店並みに高速で出てくる配膳には驚くばかりですw

その後、烏山駅の参考にと常陸大宮駅へ。JR水郡線の支線(常陸太田支線)の終着駅である同駅はターミナルらしい情緒感が全くなく、退屈な空間になっていて残念でした…駅前のオープンスペースもオープンな空間がある、というだけであまり魅力的ではありませんでした。



駅周辺を車で走った際、街の真ん中に丘のようなところがあり、大型商業施設や市役所等の市街地と空間的な断絶がある景色にむしろ興味がひかれました。

車から降りてその丘の上を歩いてみると様々な発見が!

通りはこんな感じでレトロな街並みが続く古くからの商店街という感じです。



しかし、通りの路地を覗くとまるで尾道や函館(行ったことないけど)のような坂道の風景が広がっているではありませんか。





地元ではこのエリアを「鯨ヶ丘」と呼んでいるようで、その鯨ヶ丘に位置する商店会のサイトにはこんな説明がありました。

佐竹氏の居城「舞鶴城(太田城)」があった馬の背状の台地は、その姿が海に浮かぶ鯨のように見えることから、いつからか「鯨ヶ丘」と呼ばれるようになり、常陸太田の中心商業地として賑わってきた。江戸時代には、米や特産物を運んだ棚倉街道が走り領内有数の物資の集散地として、明治期にかけては葉煙草を取引する問屋などでまちは活況を呈していた。その後、煙草の専売制により、葉煙草を扱う商店は少なくなったが、これに代わって呉服店や銀行が軒を並べて賑わっていた。今も土蔵づくりや町屋づくりの古い建物が残されており、古い町並みの景観を見せている。

なるほど、それで鯨なのですね。確かにこの細長く低い丘陵は鯨に例えられるのも分かる気がしますね~

かなり雰囲気のある坂道の途中の小道を入ったところにはこんな空き家もあり、見晴らしの良さというロケーションに加えて、その温かい佇まいに非常に心惹かれたものです。こんな縁側でお茶でもすすりながら遠くの日立港の方をひなが一日眺められたらどんなに幸せなことかと、ついつまらない妄想をしてしまうほどです…



こうした風景の良さが買われて、『ディア・ドクター』をはじめとする様々な映画やドラマのロケ地にも使われているそうなのですが、それも納得ですね。

良い意味で期待を裏切ってくれた常陸大宮市ですが、鯨ヶ丘だけでこれだけの驚きに満ちていたので、探せば2日くらいは過ごせそうな街でした。これはまた暖かい頃合を見計らって訪れなければ、ですね。

昨年末のエントリーでも触れたのですが、茨城県、あなどれないです。


おまけ

こんなところにもいたか(笑)

見納めの中野サンプラザ!?

2015年08月09日 | まち歩き
室長です。

先日、仕事の用事で東京の中野に行く機会がありました。

人生で2回目か3回目の中野下車。中野と言えば、なんといっても駅前に鎮座する中野サンプラザ!

10年くらい前のことですが友人が中野に住んでいた時期があり、彼のアパートに遊びに行く際に目にした時のインパクトは凄かったです。寒い時期だったせいか、スキーのジャンプ台を連想したものでした(笑)

中野サンプラザが将来的に解体されるかもしれないという話をうろ覚えながら思い出したので、記念に一枚パチリ。



東京オリンピックに向けて、中野サンプラザ解体をはじめ中野の駅前空間も大きく様変わりしていくようです。

特段、中野という場所に思い入れがある訳ではないのですが、中野ブロードウェイとか雑多な通りの感じとかの“中野らしさ”は失われないでいてほしいものです。

自信を取り戻す秘策

2014年11月07日 | まち歩き
こんばんは、室長です。

このところ冴えない日々が続いています。。

ということで自信を取り戻すための起死回生の一手として、群馬県は板倉町にある「雷電神社」というところにお参りに行ってきました!(笑)

雷電の名が示す通り、主に祀られているのは、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)・大雷大神(おおいかづちのおおかみ)・別雷大神(わけいかづちのおおかみ)です。ここは、関東に数多く存在する「雷電(らいでん)さま」の総本山なのだとか。

この神社のいわれは古く、推古天皇の時代に聖徳太子が祠を建てて神を祀ったのをはじまりとし、平安時代には雷電の神の化身の童子に窮地を救われた征夷大将軍・坂上田村麻呂が社殿を造営したのに由来するそうです。そして室町時代に入って大々的に社殿を造り替えて、一部は群馬県内現存最古の木造建築として今に残っているという由緒ある神社です。江戸時代には、当時の上州館林藩主・徳川綱吉によって社殿の大改修が行なわれたそうです。

社殿の彫刻はあの日光東照宮の眠り猫を彫ったとされる左甚五郎を祖と仰ぐ10代目の石原常八の作とあり、こんな田舎にしては不釣り合いなくらい(失礼!)、確かに華麗な出来栄えでした。

さてさて、この神社がなぜ「自信」とつながるかと言いますと、どうやらこの敷地の一隅に鎮座おわします巨大な「なまずさん」が関係しているらしいのです。

なまずさんは、本社の敷地の北東側にある社務所に祀られているとのこと。

本日のメインテーマなので高ぶる気持ちを抑えつつ向かってみます。



門の外からでは分からないので、もうちょっと近付いてみましょう。



あそこに横たわっているのがもしや。。



でーん!いました、なまずさん(笑)巨大です。

なんでも「水郷板倉では、なまずに代表される川魚は大切な食資源であり、神様からの賜り物として大切にされております。なでると地震を除けて自信が湧き出ると親しまれています。」とのこと。それで“なまず→地震→自信”という連想なのですね(笑)

各地からなでに来る人がいるのでしょう、なまずさんの体は手垢でテカテカになっています。巨体もさることながら、この手沢の具合が時の流れを感じさせ、なんとも神々しいものを感じさせてくれるではありませんか!

室長もとりあえず頭と腹あたりをなでて、お賽銭もあげて帰ってきました。これで自信がつくといいなぁ…

おまけ。その後、館林での所用(こちらが今日の本当の目的)を済ませ、以前かき氷を食べたヤギヤにてタイ焼きを購入。



近くの公園で頬張ったところ、ちょっぴり幸せな気分になりました♪


群馬のおススメ近代産業遺産

2014年08月03日 | まち歩き

こんばんは、室長です。

連日暑い日が続きますね~本日は群馬・館林で37.7℃を記録したほか、福島で37.0℃、茨城・大子で36.7℃と各地で猛暑日だったようです。

室長は外で庭の草むしりをしたのですが、1時間もしないうちにバテてしまいました(笑)

群馬の館林で思い出しましたが、群馬では富岡製糸場が世界遺産に登録されたということで盛り上がっているようです。しかし、先日初めて館林を訪れた時のこと、実は館林にも隠れた名遺産があることを知りました。

それは、日清製粉グループの「製粉ミュージアム」です!

館林は、かの有名な日清製粉の創業の地なのだそう。製粉ミュージアムは、東武伊勢崎線の館林駅前という好立地にあり、小麦や製粉にまつわる幅広い知識を集約した文化施設です。

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日清製粉はもともと創業者・正田貞一郎により設立された館林製粉(株)が前身で、初代の日清製粉を吸収合併し、さらに海外製粉会社の近代技術を導入したことで一気に業容を拡大した経緯があります。

同施設では、そうした近代の機械製粉黎明期の様子から最新の製粉テクノロジーが、丁寧で分かりやすく展示されています。

製粉工程は、①サイロに貯められた小麦をロール機で挽砕(ばんさい)し、②シフターと呼ばれる大きなふるいにかけられ、③その際、ピュリファイヤーという機械で風の力を利用し不純物を取り除き(①~③を繰り返して規格を整える)、④検品・包装を経て出荷となります。

施設内(新館)には、ロール機、シフターともに新旧の設備が並んで展示されており、それぞれの機械の仕組みが分かりやすく解説されています。

また、敷地内には別館(というか本館)があり、そこには企業歴史ギャラリーや創業者の正田貞一郎ギャラリー、二代目の正田英三郎ギャラリーなど日清製粉のあゆみが分かります。

本館の建物は創業期から事務所として使われていた建築物で、歴史の蓄積を感じさせます。

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このさっぱりとした庭園も良かったですね~緑が目にまぶしくて建物がよく映えます。清水建設による新館のエントランスも素晴らしかったです♪

これだけ盛りだくさんで、料金はなんと大人200円!帰りがけにはアンケートに答えたお礼としてお好み焼きミックスも頂戴しましたし、なんともお得な施設です(笑)

ところで、館林の歴史をひも解いてみると、以前から小麦の生産が盛んだったことがうかがわれます。

東武鉄道の関連サイトによれば、
「館林をはじめとする群馬県東部は、もともと小麦の生産が盛んなところだった。これは、この土地が利根川と渡良瀬川という二本の大きな河川にはさまれて、たびたびその氾濫によって肥沃な土壌が培われてきたということが大きい。逆に、夏に多発する河川の氾濫の被害により稲作には向かず、二毛作によって初夏に収穫を迎える小麦の生産が発展したといわれている。また気候的、地理的に日照時間が長いということも良質の小麦の産地になるには最適の条件。これに加えて赤城山から流れる良質な伏流水が豊富だったことも、うどんづくりが発達するのに貢献した。」
といった説明があり、館林と小麦とうどんの関係性が指摘されています。

この時からして既に館林に製粉会社が生まれる素地があったのですね~ナルホド。

その後、市内を少しばかり散策してみるとうどん屋やラーメン屋が多く目につきましたが道理で…(笑)

いずれにせよ、群馬・館林の隠れた近代産業遺産はおススメですよ!

おまけ。こんなに暑い時には地元のかき氷店で涼を求めてはいかがでしょうか。100種類以上のメニューは圧巻です♪

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おじさんぽ

2014年06月14日 | まち歩き

こんばんは、室長です。

遠くの山々の青もいっそう深さを増してきたこの頃、はやくも夏の到来を予感させます。こんな時期は万緑の中を歩いて爽快な気分になりたいものです。

折しも、地元在住の大学の先輩(といっても大大先輩)からのお誘いがあり、地元の山を歩こうという話になり、天気の良さそうな本日午後にさっそく行ってきました♪年上のおじさんとの散歩ということで、命名「おじさんぽ」(笑)

地元の山と言っても、小学校や中学校がある高台のような山の裏手を歩くハイキング的なものです。今回歩いたのは、「関東ふれあいのみち」なる名前の付いた、れっきとしたコースに指定されているところでした!

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インターネットで調べてみると、
「関東ふれあいのみち」(首都圏自然歩道)は、関東地方の一都六県をぐるりと一周する長距離自然歩道で、総延長は1,799kmです。東京八王子の梅の木平を起終点に、高尾山、奥多摩、秩父、妙義山、太平山、筑波山、九十九里浜、房総、三浦半島、丹沢などを結んでいます。
美しい自然を楽しむばかりでなく、田園風景、歴史や文化遺産にもふれあうことのできる道です。多くの人々が利用できるよう10km前後に区切った日帰りコースを160コース設定しており、ほとんどのコースで起終点では鉄道やバス等の公共交通機関が利用できるようになっております。
とありまして、かなり壮大なお散歩コースです(笑)

ちなみに、栃木県には32コースが設定されており、本日私たちが歩いたのは愛宕台公園から龍門の瀧までの道で、「山あげ祭りの里をめぐるみち」と「石段とツツジ咲く峠のみち」にまたがる片道約1.5kmのコースでした。

ただ、実際に歩いてみますと、道なき道を行くがごとき“けもの道”コース。。

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途中にはジャングルめいた箇所も。

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今回利用した山道はかつてのコース、いわば旧道でして、新しいコースが設定された後はあまり見向きもされなくなって朽ちつつあるようでした。同行した先輩が時たま歩いているおかげで土も踏みしめられ、雑草や倒木も適度に刈られていたので、今回はさほど難儀せずに済みました。

山道を下っていくと脇には沢が流れる音が耳に心地よく、遠くからは電車の音も風に乗って聞こえてきます。深山幽谷とまではいきませんが、日常の生活空間から遠く隔絶したところに身を置くのもなかなか気持ちの良いものです♪

山を下り終えると不意に視界が開け、烏山線の線路脇に出てきます。

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鉄道ファンがカメラを待ち構えていそうな場所でした。

ほどなくして本日のゴールの龍門の瀧に到着。先日降った雨で増水していて、いつになくダイナミックな流れでした~

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片道約1時間程度のハイキングに近い散歩でしたが、コース途中には自然や文化に触れるポイントもあり味わいのある体験になりました。程よい疲労感も覚え、今夜はぐっすり眠れそうです。

同行した先輩の薀蓄話を聞きながらの散歩はなかなかに斬新な試みで、地元に長く住む人生の先輩と語らいながら歴史的・文化的なコースを歩く「おじさんぽ」は案外オツな試みになるのではと思った次第です。

今度は毘沙門山や烏山城跡を「おじさんぽ」してみたいと思います(笑)

 


散歩の道中にて

2014年04月06日 | まち歩き

こんにちは、室長です。

花見がてらに烏山市内や郊外を散歩している道中、山道の峠あたりで気になる「トタン建築」を発見!

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ここはかつて烏山から宇都宮に車で向かう際に必ずと言っていいほど通った山道でして、今はこの真下にトンネルができた関係で旧道となってしまい、日中でも車通りはほとんどありません。

この掘立小屋はバス停として使われていたような面影を持っており、往時の通りの姿が偲ばれます。よく見ると“自由連合”やら“徳田虎雄”といった20年近く前の時代を感じさせる内容の色褪せたポスターが貼ってあったりして我々の目を楽しませてくれます(笑)

また、坂の入口付近には馬力神の石碑が立っていたりと歴史を感じさせるものもちらほら見受けられます。ちなみに、馬力神とは、人や荷物を運んだり力仕事を補助する馬を供養するために交通の難所等に設けた石碑のことです。

前後約2時間かけての散歩でしたが、昔懐かしの通りや路地を歩いて久々に懐かしい気分に浸ることができました♪それと同時に、新しくできた建物やなくなってしまった建物、空き家になっている建物など新しい発見もあり、町中を無目的に遊歩するのも案外刺激的な試みであることが分かりました。何人かでかつての通学路を巡って「ここにはあれがあった」とか「ここでよこく道草をくってた」とかとワイワイするもの楽しそうですね!


どてらを求めて真岡へ

2013年02月04日 | まち歩き

こんにちは、室長です。

とある事情から和服(と言っても防寒具の“どてら”ですが…)を買う必要に迫られ、どうせ買うなら地元にゆかりのある素材を用いたものがいいと思い立ち、県指定の伝統工芸品を調べてみました。

その結果、結城紬(小山市)と真岡木綿(真岡市)が候補に挙がりました。が、結城紬はいわゆる絹織物であまりにも高価ゆえに却下。と言うわけで必然的に真岡木綿に絞られ、さっそくこの週末にどてらを求めて真岡に出かけることと相成りました♪

プライベートでは初めて訪れる真岡市。読み方は「まおか」ではなく「もおか」です。余談ですが、真岡高校は略して真高(もおたか)、真岡女子高は略して真女(もおじょ)だそうな…こう、もおが連呼されると何かの鳴き声を連想してしまいます(笑)

さて、事前に調べたところによると、真岡には真岡木綿会館なるものがあるそうで、まずはここで情報収集をすることにします。

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同会館で手に入れたパンフレットによれば、
「かつては「真岡」といえば、そのまま木綿の代名詞として通用した時期がありました。丈夫で質が良く、絹のような肌触りの真岡木綿は絶大な人気を得て、江戸時代の文化・文政・天保の頃には年間三十八万反を生産し、隆盛を極めました。当時、江戸の木綿問屋はこぞって真岡木綿を求め、木綿の仕入高の約八割が真岡木綿であったという記録があります。しかし、開国による輸入綿糸流入などで衰退し、戦後はほとんど途絶えていましたが、昭和61年に真岡商工会議所が中心となって真岡木綿の「復興」を図り、昔ながらの技術と伝統をしっかりと受け継ぎ、今に伝えています。」
とのこと。

残念ながら、木綿会館にはパンフレットに記載されている以上のこと(真岡木綿の詳しい由来の説明やかつて使われていた道具類の展示等)はなかったのであまり具体的なイメージが湧かなかったのですが、木綿会館のスタッフが話してくれたことを要約しますと、
・真岡は古来から川の氾濫などがあり、耕作に適さない土地だった
・江戸時代頃に殖産興業の一環として不毛の地にも根付きやすい綿花の栽培が盛んになった(一説によると真岡は綿花栽培の北限に近いとのこと)
・晒しにする過程で何十回と叩く工程を経ることで不純物が除かれ、絹のような上品な手触りになる
・地方から参勤交代で上京した大名が地元へ持ち帰る土産物として上質な真岡木綿が喜ばれ、それが江戸でも人気となった
のだそうです。

そういうことを聞くと、なおのこと真岡木綿のどてらが欲しくなってきます。しかしこれまた残念ながら、現在では真岡木綿を用いた服飾関係の量産品は作っていないようで、そのようなものは特注になってしまうとのこと。地元の呉服屋にもあまりどてらは売ってないのでは…とのことだったので、仕方なく目的を変更して真岡市内を散策することに♪

真岡は城下町として栄えた街で、白河の関までつながる関街道(東山道)沿いの宿場町としても賑わったようです。現在は、SL蒸気機関車が走る街として有名のようです。

これがその真岡駅。

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ちょっと発想が安易な気がするのは私だけでしょうか…

線路沿いにはこじんまりとしたバッティングセンターもありました~とりあえず1ゲームだけ満喫します♪

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左上部のネット越しに見えるのは、あの建物の頭頂部ですね(笑)

他にも歩き回っていると、長蓮寺というお寺の前は昭和30年代に料亭や芸者の置屋が数多くあったところのようで、場末の飲み屋街のような面影を残しています。鳥居をすぐ出るとこうした飲み屋街が連なっているというのはなかなか不思議な空間です。

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近年は空き家が増えてすっかりうらぶれていたところを、雑貨や飲食店等の若い商店主が入居して活用するようになり、「門前エリア」として再度注目されているようです。

どてらを求めての真岡探訪だったので目的は達成できなかったのですが、意外な発見もありひとまずは満足して帰路につきました。また時期を置いて訪れてみたいものです。

おまけ。道中、坦々麺屋「發巳」に入店。以前、職場の先輩に教えてもらってから常々行ってみたいと思っていた店です。坦々麺にしてはしつこくない味付けでなかなか美味でした~

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初めての代官山

2013年01月29日 | まち歩き

こんばんは、室長です。

だいぶ前のことですが、テレビ番組で代官山の蔦谷書店が特集されていたことをふと思い出し、上京ついでに行ってきました♪

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ここは、ツタヤを運営するカルチャー・コンビニエンス・クラブが「本、映画、音楽を通してライフスタイルを提案すること」という開業当初のコンセプトに立ち返って作り上げた書店なのだそうな。
写真の建物の外壁はTの字の形をしたブロックのモザイク模様となっています。よく見ると建物のファサード(正面)の白い部分もTの字をしているような…

トラベルカウンターが併設されていたり、コーヒーを飲みながら店内のCDが全て視聴できたりというサービスにまず驚かされますが、やはり最大の特徴は「人文・文学」、「アート」、「建築」、 「クルマ」、「料理」、「旅行」という6つの専門に絞ったコーナーを設け、それぞれにブックコンシェルジュを配置していることでしょう。
専門分野に精通した多様なコンシェルジュは店内に30人以上いるそうで、各専門コーナーの棚を見てみると各コンシェルジュのこだわりがひしひしと伝わってきます。

ついつい買ってしまったのが『群れはなぜ同じ方向を目指すのか?』レン・フィッシャー著、 松浦俊輔訳、白揚社)という本です♪建築のコーナーにもいくつか惹かれる本があったのですが、値段や重量のバランスから今回は見合わせることにしました(笑)居心地の良さから滞在する時間を忘れてしまうような幸せな空間でした~

ちょうど昼時だったので、目の前のリストランテASOという一軒屋レストランで昼食をとろうとしたのですが、ランチコースが5,250円(サービス料13%別)~という高級ぶりにビビッてしまい、慌てて店の中から飛び出してしまいました(苦笑)店先のメニュー表をよくよく見てみると他に2,000円前後のパスタセットやサンドウィッチセットもあったようで、これならなんとか手が届いたかとちょっと後悔気味に店を後にしました。。やはり代官山という街は田舎者には似つかわしくないですね。


日光例幣使街道~栃木編~

2013年01月06日 | まち歩き

室長です。

昨日に引き続き、日光例幣使街道についてです。西方町を後にしていよいよ栃木市を訪問。

栃木市は、江戸時代から例幣使街道の宿場町として賑わいをみせ、市の中心部を流れる巴波川(うずまがわ)を利用した舟運によって栄え、北関東の商都と呼ばれたこともあります。明治初期には栃木県の県庁所在地だったこともあり、立派な蔵をはじめ戦災をまぬがれた歴史的な建造物が多数残っており、「蔵の町」として名高い地域なのです。

昨年には、日光例幣使街道沿いの街並みに対して、「栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区」として国選定の重伝建地区の設定を受ける等、近年注目のエリアです♪

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正月シーズンで観光客が多数やってくる時期ですので、さぞ賑わっていると思いきや。。観光情報の拠点である「蔵の街観光館」を皮切りに「とちぎ山車会館」、「とちぎ蔵の街美術館」、「横山郷土館」といった主要な観光施設が軒並み休館しています(涙)「油伝」という有名な味噌田楽店も休業で、どうやら街中の飲食店も多くがお休みのようです。重伝建選定が決まった時にはあれほど騒いでいたのに、案外と冷めやすいようで(笑)

街の街路にもあまり観光客は見当たりません。街の中心部にある福田屋もさっぱりしていると思ったら、こちらはおととし2月に閉店したとのこと。

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そんな中、主要な観光施設の一つ「岡田記念館」だけは通常営業していました♪

岡田記念館の岡田家とは、「現当主岡田嘉右衛門をもって二十六代を数える栃木市屈指の旧家である。祖先は関東管領の上杉憲政に仕えていたが、その居城上野国平井城落城により近世初頭の頃この地に帰農し、土豪として新田の開発にあたったため、開発名主の名に因んで嘉右衛門新田と称するようになった。日光例幣使街道の開設盛行に伴って沿道の名主としての重責を担ったほか、高家畠山氏の知行地となると、当家の屋敷内に領内十三か村の役所である陣屋が設けられたので、当主は代々領内の惣代名主的役割を果たしており、かつて幕末期には代官職を代行し、その後に戸長を勤めるなど地域発展のため寄与している。」(岡田嘉右衛門家由緒書)という立派な旧家だそうです。

記念館内部は当時の屋敷の配置をそのまま残したもので、代官屋敷の他、麻を商った商店や明治時代の床屋があり当時の雰囲気を味わうことができます。ちなみにNHKの朝ドラの梅ちゃん先生のロケでも使われていたらしいですよ~

また、道を隔てて少し離れたところに「翁島」という別荘もあります。

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これは明治期の二十二代当主が70歳代になって別荘建築を企てたもので、用材は全て銘木(江戸の木場から水運を利用して自分で運んだらしい)を使用しています。特に廊下には長さ六間半(約11.5m)、幅三尺(約90cm)、厚さ一寸(約3cm)の欅(ケヤキ)の一枚板が使われていまして、そのスケールは圧巻です!

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地元の欅から選び抜いたとのことですが、現在これと同じ床板を探すとなると億の金額が必要になるのだとか。というかそもそもこれだけの巨木はもはや手に入らないようです…建物に対する執着心もさることながら、すごい財力です。

こうした広大な敷地と立派な建物を維持するもの本当に大変なことでしょう。毎年要する固定資産税の支払いも千万円単位になるのだとか。。名家には名家なりの悩みがあるのでしょうねぇ~ひょんなことから幸せについて考えさせられました。

それにしても栃木市内で目にする住宅は立派な瓦屋根あり、広い庭園あり、高い塀あり…と存在感のあるものが多く残っており、同市の歴史の蓄積が感じられます。と同時に栃木市民の人となりがなんとなく分かってきます。現地人曰く、「栃木の人はみんなケチ」なので古い立派な建物が残っているのだとか(笑)

ちなみに個人的に気に入ったのはこの建物。栃木っぽくはないのですが。

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暖かくなったらまた是非とも訪れてみたいものです♪

おまけ。岡田記念館の中にいた狸。なかなかにユーモラスな顔をしていますね。

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日光例幣使街道~西方編~

2013年01月05日 | まち歩き

こんにちは、室長です。

新年明けましておめでとうございます。滞りがちなブログですが、本年もご愛読の程を宜しくお願いします♪

さて、新年早々の正月旅行で県南地区を訪れてきました。目的地は蔵の街として近年注目が集まっている栃木市です。道すがら、同じ例幣使街道沿いの西方町に立ち寄ってみました。

例幣使街道(日光例幣使街道:にっこうれいへいしかいどう)とは、京都から日光東照宮へ幣帛(へいはく=神に捧げる供物のこと)を奉献するための勅使である「日光例幣使」が通った道のことで、中山道の倉賀野宿(高崎市)を起点として、太田→佐野→栃木→金崎→楡木を経て日光に至る街道です。

西方町は当時の金崎宿付近の街です。西方と言えば有名なのが「姿」という美味しい地酒を造っている飯沼銘醸です。ちなみに室長も愛飲者の一人(笑)いつか訪れてみたいと思っていたのですが、今回ようやく実現することに♪

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西方町は良質な米の産地として有名な地域だそうで、仕込水には男体山を水源とする大谷川の伏流水を使用しているとのこと。比較的新しい造り酒屋のようで、先代の「冨貴(ふうき)」に続き、現在の代の「杉並木」、若い代の「姿」とそれぞれの代によって銘柄を変えているようです。正月休みにも関わらずお店は開いていて社長と若社長が丁寧に接客してくれました。残り一つの「姿ストラップ」も購入できホクホク顔で店を出ます♪

店を出て少し歩いていると足元のマンホール蓋に堰のような図案が施されていることに気付きました。そう言えば道の駅の観光案内版で町はずれにちょっとレトロな堰があるということを宣伝していたような…そんなことを思い出して現地に向かってみることに。

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小倉堰というこの農業用水堰は昭和28(1953)年に思川に築かれた栃木県の土木遺産です。ここで取水された水は水路を通って域内の田畑に農業用水として送られているようです。

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治水にも一役買っており、付近には水神社が祀られていて、少し渋いですが町のちょっとした観光スポットとなっているようです。2011年に栃木市に合併した旧西方町は人口約6,000人程の小さな町だったのですが、意外と地域資源に恵まれた町でなかなか気に入ってしまいました。

さて、濃厚な西方町の観光を終え、次はいよいよ本命の栃木市を訪れます。


産業の町を行く

2012年11月27日 | まち歩き

こんにちは、室長です。

先日、新潟は長岡~燕三条まで行ってきました♪最近は旅行のエントリーばかりで若干軽い印象になっていますが、ご容赦ください…

さて、新潟です。新潟と言うとみなさんはどのようなイメージを持っているでしょうか?私なら、つい季節柄、“雪深い地方都市”というイメージを抱いてしまいますが、実際に訪れて地域を歩いてみますと、案外、日常生活に馴染みのある産業が数多くあることに気付かされます。

米どころですから米菓関係の食品製造業(サトウ食品、亀田製菓が代表的でしょう)はもちろん、暖房機器の製造業(コロナ)、燕三条の洋食器や金物(マルト長谷川工作所のニッパーは個人的には愛着のあるものです)etc...

ちなみに、工業統計(経済産業省、平成22年工業統計表)で調べてみますと、その産業構造が垣間見れます。以下、工業製品出荷額(億円)や主要産業の構成について新潟県と周辺の県の比較データを記載します。
      製品出荷額      主要産業(%)     
新潟県   41,822    ①食料17.6 ②化学11.6 ③金属8.9
富山県   31,409    ①化学14.1 ②電子13.2 ③金属10.8
栃木県   83,365    ①輸送18.8 ②情報10.6 ③電気8.7
茨城県  106,932    ①化学12.2 ②食料10.4 ③生産9.9
群馬県   73,653    ①輸送33.8 ②食料8.6  ③化学7.0

なお、日本全体での産業構成は①輸送19.1%、②化学9.2%、③食料8.3%となっており、それぞれ①’裾野の広い自動車産業、②’世界的にも競争力を有するとされる素材産業、③’底堅い内需関連産業…といった日ごろのニュースから漠然と仕入れる情報と合致します。

上述したように、新潟県は食料品製造業の割合が高いこと(同じ北陸地方の富山県との比較でも)が見て取れます。金属関連の割合が高いのは、やはり燕の洋食器(銀食器や銅器)や三条の金物(刃物や工具類)がその基礎となっているのでしょうか。

燕三条と言えば、燕三条地場産業振興センター内には地場産品展示即売所なる広大な展示直売スペースがあり、訪れる人の目を驚かせてくれます。百貨店の食器・雑貨売り場とホームセンターの売り場を合体させたような商品の集積は圧巻です!

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また、燕市の物流センター内には、STOCK BUSTERSなるファクトリーアウトレットショップまであります(笑)これは数十社の地元メーカー・商社が協力してハウスウェア、キッチンウェアを中心とするアウトレットショップを立ち上げたもので、生産部門、流通部門ともに抱える課題であるデッドストックを解決するために「ストック・バスター=在庫退治」ということで格安で販売するというものです。

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訪問当日は休日だったこともあり、思ったよりも人がいました。欲しいものが見つかるかは保証できませんが、近くまで行った際には一見の価値があると思います♪

新潟の産業ネタのシメはもちろん日本酒(笑)あの有名な久保田を醸造する朝日酒造がプロデュースした居酒屋「あさひ山」(JR長岡駅ビル内にあります)は非常に居心地の良い酒場でした~日本海側の飲食店は本当に美味しいです。都内にも姉妹店が数店舗ありますので、興味のある方は是非どうぞ!


変わる上野の駅前空間

2012年11月02日 | まち歩き

こんばんは、室長です。

先日、久しぶりに上野駅周辺をぶらつきました。

JR上野駅前の雰囲気がかなり変わっていたので驚きました。

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老朽化したビルが、いつの間にかガラス張りのUENO3153(上野さいごうさん)という商業ビルに変わっています!個人的には隣の「上野松竹デパート」の方が味があって好きなのですが…

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*残念なことにこのビルは営業を終えているようです。

時間があったので更に御徒町から秋葉原近辺まで足を伸ばしてみます。するとJR御徒町駅~秋葉原駅間の高架下に面白い空間を発見。

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高架下には40~50の雑貨店を中心とする店舗がひしめいています。これは「2k540 AKI-OKA ARTISAN」という商業施設で、ものづくりをテーマに工房併設のショップやギャラリー、カフェが集積しています♪ちなみに2k540は「ニーケーゴーヨンマル」と読むそうで、東京駅から2k540mの距離にあることから命名されたとのこと。ジェイアール東日本都市開発が開発主体ということを考えれば納得です(笑)

その後、昭和通りの東側にある清洲橋通りを歩いて上野駅まで向いますが、途中、佐竹商店街という商店街を通りかかったときのこと。「あれ、角の肉屋はどこか見覚えのある風景だな~」と思っていたら、なんと過日鑑賞した「踊る大走査線 THE FINAL」のロケ地で唐揚げ屋として使われていたお店だったようです(笑)

犬も歩けば棒にあたる。まち歩きは楽しいものです~


栃木の田園調布

2012年10月11日 | まち歩き

こんにちは、室長です。

先日とあるところで宇都宮Walkerなるものを発見(笑)気になったので早速購入♪

内容の大半は取り立てて新鮮というわけではなかったのですが、東武宇都宮線沿線の南宇都宮駅の周辺が特集されており、意外と色々なショップが点在しているということは新発見でした。

さて本日、所用にて宇都宮に行くことになったので、ついでながら南宇都宮駅に行ってみた次第です。

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駅舎はこじんまりとしながらも、大谷石を用いたなかなか渋い造りになっています。

また、駅前の通り沿いには、宇都宮Walkerでも取り上げられていた大谷石でできた石蔵群があります。

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これは、石蔵をカフェやレストラン等の商業施設にリノベーションしたもので、なかでも悠日カフェはいかにも石蔵らしい雰囲気のあるお店のようでした(訪問時間が早かったため準備中でした…)。

それと、もう一つ気になったのが、駅前の区割りの形です。

Minamiutunomiya

まるで田園調布駅のような放射状に延びる街路が特徴的ではありませんか!

Dennennchouhu_2

ちなみに、私の知る限りでは他にも

東急東横線の日吉駅

Hiyoshi

小田急江ノ島線の南林間駅

Minamirinkan

がそれぞれ駅前に放射状の街路空間を有しています。
*以上の図はゼンリンの地図を参照しています。

いずれもJRとは異なる私鉄沿線であることが共通点で(ときわ台駅も東武東上線です)、おそらく私鉄各社が沿線開発の一手法として、エベネザー・ハワードの「明日の田園都市」で提唱した概念を援用していることが背景としてありそうです。

以下はハワードの田園都市計画を具現化した英国レッチワースの地図(google mapを参照)ですが、確かに街路の形状は似ていますね。

Letchworth_4

ただ、緑地等のオープンスペースの配置や職住近接の概念等は日本の沿線開発では踏襲されておらず(レッチワースの場合、放射状の街路の中心は公園なのです)、残念ながら似て非なるものに見えてしまいます。。

思わぬところから日本とヨーロッパの都市計画の違いを再認識することになってしまいました(苦笑)

まち歩きも案外色々と考えされてくれます。