室長です。
本日、なすからミーティング・カフェという集まりがあり、先ほどまでそこに参加してきました。
那須烏山市主催のイベントで、「これからのまちづくりについて市民・企業・市民活動団体・職員等が共に考え、新たなアイディアを創出し実践する場」という題目のもと、ワールド・カフェという手法を用いてワークショップを実施するものです。
①那須烏山市は、どのような「まち」だと思うか
②那須烏山市に住み続けるために、「あったらいいなと思うこと」、「自分ならこうする」といった「思い」や「考え」
③自分が「市長」だったら、どのような「まちづくり」を行なうか
といった議題に即して、30名程の参加者がグループに分かれて雑談形式で意見を出し合うという内容でした。
普段顔を合わせることがない方々とも意見交換できる貴重な場ではあるのですが、まとめられた成果物の発表を聞いていますと(というか、その場を離れて覚めた頭で振り返ってみると)、ややもすると危ういなァと思わされる点があることにいくつか気付かされました。
それは、(一見すると)「魅力的な/耳触りの良い/短期的に効果が出そうな」アイディアに全体の意見がリードされていってしまうという危惧。言い換えますと、分かり易い内容に収斂されていくとでも言うか、平坦にならされていってしまうという怖さです。なんとなく世論の生成過程を見ているかのごとき様相です。それをもとに政策が展開されていってしまったらと少々戸惑うのは私だけでしょうか。。
しかも、今回はどのような募り方をしたのか分かりませんが、集まった参加者の顔ぶれを見たところ、市民=若者、企業=一次産業、三次産業というように少々偏りがあったことは否めません。①那須烏山市の特徴を考える際に、「自然」や「農業」といったキーワードは多く出るものの、「金属加工を主とする製造業が集積している」という意見を出したのは室長だけだったのではないかという気がしてなりません。那須烏山市がこれまで製造業を中心に産業集積が進んできたという経緯を過大評価しているのかもしれませんが、製造業のような分野こそ強烈な個性の臭いに満ちており、そうした分野のキーパーソンの意見も俎上にあげて議論をした方が今後のためには良いのではないかと思った次第です。
一方で、個人的にはちょっとばかり収穫もありました。
それは、ある参加者の「これからは行政任せにしない」という類の発言の中にありました。方々からいろんな政策提言がなされる中で、本当に創意のある個性的なアイディア(これが真に求められているものでしょう)は、強烈なアクの強さを放つ個人ないしは集団からしか生まれないのではなかろうかということに思い当たりました。とりわけビジネス的な発想に立つ個人や集団であれば、物事をよりシビアに捉え、ハードルがあったならそれをクリアするための知恵も絞るので、より洗練されたアイディアが生まれるのではないかと。
地域の活性化を考える際に行政はあくまで、行政が目指すまちづくりの範疇に入っている限り、そうした挑戦する個人や集団にスポットライトを当てて成功体験を積ませるといったアシスト役に徹するべきかもしれません。手っ取り早いのは、知恵を絞った個人や民間企業、団体がビジネスのような永続性のある形で事業に着手してしまうということです。行政は彼らが活躍しやすいように、情報・人脈・資金(補助金)のコーディネートをしてあげればよいでしょう。
ワークショップがまちづくりを進める際の有用なツールのように感じられる向きもありますが、ややもすると万人ウケする「民意」になってしまいます。それでは世の中を半歩リードするのことすら覚束ないでしょう。それよりも、知恵を絞り出した者が示す三歩も五歩も進んだ創意(もちろんロジックは必須)に価値を見出したいものです。エリート主義の誹りは免れないでしょうが、混迷を極める時代にはそうした選択肢も持っておかないといけないのではないでしょうか。
本日、なすからミーティング・カフェという集まりがあり、先ほどまでそこに参加してきました。
那須烏山市主催のイベントで、「これからのまちづくりについて市民・企業・市民活動団体・職員等が共に考え、新たなアイディアを創出し実践する場」という題目のもと、ワールド・カフェという手法を用いてワークショップを実施するものです。
①那須烏山市は、どのような「まち」だと思うか
②那須烏山市に住み続けるために、「あったらいいなと思うこと」、「自分ならこうする」といった「思い」や「考え」
③自分が「市長」だったら、どのような「まちづくり」を行なうか
といった議題に即して、30名程の参加者がグループに分かれて雑談形式で意見を出し合うという内容でした。
普段顔を合わせることがない方々とも意見交換できる貴重な場ではあるのですが、まとめられた成果物の発表を聞いていますと(というか、その場を離れて覚めた頭で振り返ってみると)、ややもすると危ういなァと思わされる点があることにいくつか気付かされました。
それは、(一見すると)「魅力的な/耳触りの良い/短期的に効果が出そうな」アイディアに全体の意見がリードされていってしまうという危惧。言い換えますと、分かり易い内容に収斂されていくとでも言うか、平坦にならされていってしまうという怖さです。なんとなく世論の生成過程を見ているかのごとき様相です。それをもとに政策が展開されていってしまったらと少々戸惑うのは私だけでしょうか。。
しかも、今回はどのような募り方をしたのか分かりませんが、集まった参加者の顔ぶれを見たところ、市民=若者、企業=一次産業、三次産業というように少々偏りがあったことは否めません。①那須烏山市の特徴を考える際に、「自然」や「農業」といったキーワードは多く出るものの、「金属加工を主とする製造業が集積している」という意見を出したのは室長だけだったのではないかという気がしてなりません。那須烏山市がこれまで製造業を中心に産業集積が進んできたという経緯を過大評価しているのかもしれませんが、製造業のような分野こそ強烈な個性の臭いに満ちており、そうした分野のキーパーソンの意見も俎上にあげて議論をした方が今後のためには良いのではないかと思った次第です。
一方で、個人的にはちょっとばかり収穫もありました。
それは、ある参加者の「これからは行政任せにしない」という類の発言の中にありました。方々からいろんな政策提言がなされる中で、本当に創意のある個性的なアイディア(これが真に求められているものでしょう)は、強烈なアクの強さを放つ個人ないしは集団からしか生まれないのではなかろうかということに思い当たりました。とりわけビジネス的な発想に立つ個人や集団であれば、物事をよりシビアに捉え、ハードルがあったならそれをクリアするための知恵も絞るので、より洗練されたアイディアが生まれるのではないかと。
地域の活性化を考える際に行政はあくまで、行政が目指すまちづくりの範疇に入っている限り、そうした挑戦する個人や集団にスポットライトを当てて成功体験を積ませるといったアシスト役に徹するべきかもしれません。手っ取り早いのは、知恵を絞った個人や民間企業、団体がビジネスのような永続性のある形で事業に着手してしまうということです。行政は彼らが活躍しやすいように、情報・人脈・資金(補助金)のコーディネートをしてあげればよいでしょう。
ワークショップがまちづくりを進める際の有用なツールのように感じられる向きもありますが、ややもすると万人ウケする「民意」になってしまいます。それでは世の中を半歩リードするのことすら覚束ないでしょう。それよりも、知恵を絞り出した者が示す三歩も五歩も進んだ創意(もちろんロジックは必須)に価値を見出したいものです。エリート主義の誹りは免れないでしょうが、混迷を極める時代にはそうした選択肢も持っておかないといけないのではないでしょうか。