室長の部屋

那須烏山市のスクラップ回収業(有)ひらつね 経営企画室ブログ

正午のサイレン

2014年06月30日 | 地域計画

こんにちは、室長です。

那須烏山市では、数ヵ月前に消防署が市内の遠方に引っ越したことを機に、正午のサイレンが鳴らなくなりました。

野外で仕事をしている身からすると、やはり正午にはサイレンが鳴ってくれた方が色々と便利なことがあります。うっかりしていると、お昼を過ぎているのに気付かずに仕事を続けていた、なんてことも多々あるもので。。

先日、仕事で隣町まで引き取りに行った時のこと。お客さんのところを出たのが昼ぎりぎりになってしまい、急いで車を走らせていると、道路の脇から大音量の音楽が流れてきました。よく聞くと「ふるさと」の曲で、時間帯から推してみるにどうやら正午を知らせる音楽だったようです(笑)

防災無線を利用しているのか、町はずれの場所にもかかわらず耳に入りやすいものだったのでこれは悪くない施策なのではと妙に心に残りました。

隣町でもやっていることなので、「わが那須烏山でも!」と思い立って、さっそく市の「広聴箱」に投書してみました。

すると、一週間程してから回答が返ってきまして、議会でも同様の質問があったそうです。市民からは、サイレン吹鳴に対する賛否両論の意見(スピーカー付近の住民にはうるさいようです)が挙げられており、市役所周辺の住民にあまり迷惑のかからない、かつ、低廉で扱い易い手法を導入する方向で対応策を検討・模索しているところのようです。

個人的には、サイレンの代わりに那須烏山らしさを感じられる音楽やメロディーを流すのも一法かと思っているのですが、それについても市の方では何か考えがあるようです。。今後の対応に期待したいと思います。

それにしても、正午のサイレンと書くと、中原中也の「正午」(詩集『在りし日の歌』)という詩を思い出さずにはいられません。

「正午」
丸ビル風景

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃も少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても・・・・・・
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

この斜め上方のあたり(まるで雲の上=あの世)から世の中を眺めるかのごとき眼差しは、いかにも中原中也らしくていいですねぇ。


おじさんぽ

2014年06月14日 | まち歩き

こんばんは、室長です。

遠くの山々の青もいっそう深さを増してきたこの頃、はやくも夏の到来を予感させます。こんな時期は万緑の中を歩いて爽快な気分になりたいものです。

折しも、地元在住の大学の先輩(といっても大大先輩)からのお誘いがあり、地元の山を歩こうという話になり、天気の良さそうな本日午後にさっそく行ってきました♪年上のおじさんとの散歩ということで、命名「おじさんぽ」(笑)

地元の山と言っても、小学校や中学校がある高台のような山の裏手を歩くハイキング的なものです。今回歩いたのは、「関東ふれあいのみち」なる名前の付いた、れっきとしたコースに指定されているところでした!

P1130870

インターネットで調べてみると、
「関東ふれあいのみち」(首都圏自然歩道)は、関東地方の一都六県をぐるりと一周する長距離自然歩道で、総延長は1,799kmです。東京八王子の梅の木平を起終点に、高尾山、奥多摩、秩父、妙義山、太平山、筑波山、九十九里浜、房総、三浦半島、丹沢などを結んでいます。
美しい自然を楽しむばかりでなく、田園風景、歴史や文化遺産にもふれあうことのできる道です。多くの人々が利用できるよう10km前後に区切った日帰りコースを160コース設定しており、ほとんどのコースで起終点では鉄道やバス等の公共交通機関が利用できるようになっております。
とありまして、かなり壮大なお散歩コースです(笑)

ちなみに、栃木県には32コースが設定されており、本日私たちが歩いたのは愛宕台公園から龍門の瀧までの道で、「山あげ祭りの里をめぐるみち」と「石段とツツジ咲く峠のみち」にまたがる片道約1.5kmのコースでした。

ただ、実際に歩いてみますと、道なき道を行くがごとき“けもの道”コース。。

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途中にはジャングルめいた箇所も。

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今回利用した山道はかつてのコース、いわば旧道でして、新しいコースが設定された後はあまり見向きもされなくなって朽ちつつあるようでした。同行した先輩が時たま歩いているおかげで土も踏みしめられ、雑草や倒木も適度に刈られていたので、今回はさほど難儀せずに済みました。

山道を下っていくと脇には沢が流れる音が耳に心地よく、遠くからは電車の音も風に乗って聞こえてきます。深山幽谷とまではいきませんが、日常の生活空間から遠く隔絶したところに身を置くのもなかなか気持ちの良いものです♪

山を下り終えると不意に視界が開け、烏山線の線路脇に出てきます。

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鉄道ファンがカメラを待ち構えていそうな場所でした。

ほどなくして本日のゴールの龍門の瀧に到着。先日降った雨で増水していて、いつになくダイナミックな流れでした~

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片道約1時間程度のハイキングに近い散歩でしたが、コース途中には自然や文化に触れるポイントもあり味わいのある体験になりました。程よい疲労感も覚え、今夜はぐっすり眠れそうです。

同行した先輩の薀蓄話を聞きながらの散歩はなかなかに斬新な試みで、地元に長く住む人生の先輩と語らいながら歴史的・文化的なコースを歩く「おじさんぽ」は案外オツな試みになるのではと思った次第です。

今度は毘沙門山や烏山城跡を「おじさんぽ」してみたいと思います(笑)

 


道徳、倫理、良心

2014年06月12日 | 商工会・法人会

室長です。

とある会議にて思ったことです。

地域の活性化を進めるにあたって一つの意見が出て、それが大勢を占めているとします。ただ、そのアイデアの内容がありきたりと言いますか、既にほかの自治体が何年も前に実行したプロジェクトの焼き直しだったりして、独創性の面で面白味がない訳でございます。もちろん、当事者は良かれと思って提案しているのですが。。

マーケティングの本を少しでも読みかじった者からしますと、「いかに集客するか」という観点から地域活性化を考える場合、他の地域(ライバル)との差別化を図ることがまずは必要になる、という考えが素朴に浮かんできます。

面白味がないだけで済めばまだ実害はないのですが、イニシャルコストだけでなくランニングコストも垂れ流しになる公算がわりとありそうなので、コトは単純ではないのです。

しかしながら会議に出て痛感することは、こうした考えは一般的にはまだまだマイノリティのようだということです。

対案を用意していない以上、何も言う資格はないのですが、それを棚に上げてでも、気付いている者(あるいは覚醒している者、知ってしまった者)はそうしたものに抗う必要があるのではと悶々とした次第です。かなりの摩擦(コンフリクト)を覚悟の上で。

その使命を全うするのが気付いている者の道徳や倫理、良心なのではないかと思うのです。

「本当に必要なのか」
「その根拠は何か」
「単なる思いつきではないのか」
「対案はいくつか考えたのか」
「先行事例はうまくいっているのか」
「そもそも足元の事業を見直すべきなのではないか」

先々、こうした問いを言葉にて発さなくてはならないかもしれません。

少し後ろ向きなことを抽象的に書き連ねてしまいましたが、立場上、明記できないにもかかわらず自己処理しかねたものでしてご容赦ください…


だから、2世・3世経営者は…

2014年06月08日 | 仕事と経営

おはようございます、室長です。

今日は朝から雨が降りしきっていて外出できないので、仕方なくブログを更新しています(笑)

さて、先日本屋をぶらぶらしていた時のこと、『AERA』の「世襲こそ革新を生む」と題した記事が目に入り、気になったので購入してみました。

「格差は固定化し、人々は世襲の持つ“負”に鈍感になっていないか」という切り口の記事なので、主に政治や司法、行政の分野での世襲を批判するトーンとなっています。

個人的に興味深かったのは経済の分野の話題でして、そこでは「創業より難しい2世のわな」と題して2世経営者の失敗事例がいくつか挙げられていました。大企業も例外ではなく、ダイエーや大王製紙など思い当たる事例も紹介されています。こちらは成功事例なのでしょうが、ホッピービバレッジや星野リゾートなどもここで言う世襲、つまりファミリー企業ということも知りました。

2世・3世経営者だから即ダメ、という訳ではなく、成否には何か特別な要因がきっとあるのでしょう。

そのあたりをまとめた好著に佐伯弘文『だから、二世・三世経営者はダメなのだ!』があります。

日本の企業数(ないしは従業員数)の大半を占める中小企業ですが、その大半がオーナー経営で家族に世襲されていることを考えると、世襲の成否を論じることは日本経済にとって重要なことと同氏は捉えています。

同書では、自らの経験をもとに「世襲経営者心得」なるものをまとめていまして、身につまされる内容にハッとさせられます(苦笑)自戒の念も込めて、参考までに列挙してみたいと思います。

①初代オーナーの企業創立の志と苦労を決して忘れぬこと
②初代オーナーと苦労をともにしてきた社員を尊敬し、感謝し敬愛すること
③初代オーナーの苦労のおかげで恵まれた現在の自分があることを決して忘れぬこと
④現在の地位と権力は自分の能力で勝ち取ったものでは決してないことを忘れぬこと
⑤長年その業務に携わってきた経験豊富な社内の人たちの意見を尊重すること
⑥権力をカサに人事権を利用した不公平な人事はせぬこと
⑦会社を私物化し、金銭面その他で公私混同せぬこと
⑧本業を忘れ、地元の名士たらんとして、ロータリークラブやライオンズクラブの活動に熱中せぬこと
⑨金と時間と地元の名士というステイタスを利用し、過度な異性遊びはせぬこと
⑩子供を決して甘やかさぬこと
⑪大企業と異なり中小企業は、個人のリーダーシップが決定的に重要であることを忘れぬこと
⑫色々な人との交際を広め、読書その他で幅広い教養を身につけ、魅力的な人間になり「人間力」を高めること
⑬オーナーを超えようと焦り、よく思慮せず、安易に新しい事業に乗り出すいわゆる「暴走族型」経営者にならないこと
⑭反対に何も新しいことに手を出さず、また現業の改善改革もせぬいわゆる「親の遺産の喰いつぶし型」経営者にならないこと
⑮自分の資力を誇示するため、見栄を張ってはならない
⑯若くして地位と権力を握ると、我儘で頑固になり易いが、人の意見をよく聞くこと
⑰後継者養成は早くから始めること
⑱後継者は社員の中の有能者から選ぶかまたは外部から選ぶべきかで、無能な子息にこだわってはならない
⑲経営は堅実経営に徹すべし
⑳相続税対策は早めに。また、次のオーナーに対し負の遺産も明確に
?グローバリゼーションの時代にはそれに対応した新しい経営手法をあみだすこと
?経営環境は常に変動することを念頭に置き、常に経営環境に関連する情報キャッチのアンテナを社内外に巡らすこと
?企業内の自由な発言と批判をできるだけ認め、内部の風通しを良くすること
?経営の失敗を防ぐため、社外や社内の経験豊かな人材を集め「施設顧問団」的なものを持つこと
?時間と月日が経つと共に、一族間の利害の問題が増える傾向にあるが、それをどう上手く調整していくか常に心がけておくこと
?取引銀行との友好関係を維持するために、特別の配慮を行うこと
*絶版本なのかネット通販ではもはや定価では購入できそうにないので、あえて全て書き出しました。

これが全てできたらかなりパーフェクトな人間ですね(笑)著者の繰り返す通り、人間力を高めよ、ということに尽きるのでしょうか。

先般から事業承継についてちょこちょこと触れていますが、商売をやっている人だれもがこれから考えなくてはならないことなのです。地元の商工会や法人会でも、オーナー経営者や後継者に向けてこうしたテーマの講演会で専門家から喝を入れてもらうのも良いかもしれません!


大台突破

2014年06月05日 | その他

室長です。

本日、ついにアクセス数が大台の10,000件を突破しました♪

ご愛読いただいている皆様、ありがとうございます。

ちなみに、このブログの管理ページでは、どんな単語で検索してアクセスしてきたかが分かる簡易的な分析機能があります。そこでここ数ヵ月間のデータを調べてみたところ、面白いことが分かりましたので件数順に下記に記します。

①「ダライ粉」・・・111(32.0%)
②「ダライ粉とは」・・・13(3.7%)
③「きむら5S実践舎」・・・4(1.2%)
④「室長の部屋」・・・3(0.9%)
⑤「House book cafe 那須烏山市」・・・2(0.6%)
⑤「アキュム 乗車」・・・2(0.6%) 他13件
番外「House スリッパ」・・・1(0.3%)

意外なことに、ダライ粉の語源に関するキーワードでアクセスしてくださる方が大多数のようです。スクラップ回収屋のブログとしては喜ばしい限りです♪「室長の部屋」でアクセスしてくる方もいるとは、いやはや驚きです(笑)

烏山に帰ってきて4年目。所属する組織等も徐々に増え、各方面から様々な情報が入ってきやすくなってきました。これからもより質の高いネタ(たまにはすっぽ抜けたネタも)を発信してまいりたいと思いますので、引き続きご愛読のほど、よろしくお願いします!


メメント・モリ

2014年06月01日 | 仕事と経営

室長です。

このところ残念なことに、偉大な先輩経営者の訃報が相次いでいます。

本日は地元の名経営者で、地元商工会の副会長を務められた御方のお通夜に参列して参りました。

その方とは地元商工会の会合で数度言葉を交わしただけでなく、一昨年には同社のフィリピン・セブ工場の法人会研修旅行でお邪魔させていただいたりとお世話になりました。最近では、昨年11月の商工会祭りにおいて、弊社が資源ライブラリーのブースを出展した際に、いたく感じ入っておられ、もったいない程のお褒めの言葉を頂いたことが印象に残っています。その後お話しする機会に恵まれず、まさかそれが言葉を交わす最後になるとは思っていませんでしたが…。ご冥福をお祈りいたします。

それにしても、成人してからというもの葬儀とはあまり縁のない生活を送っていたのですが、家業をやっていることもあるのでしょう、地元に帰ってきてからこの3年の間に片手では数えきれない数の葬儀に列席しました。

何回か経験して分かったことなのですが、どうにも私は葬儀の場で知人と言葉を交わす(話の接ぎ穂を探し続ける)というのが不得手なようです(苦笑)ですので、極力周囲を見ずに黙って故人と対話するというのが最近の自分の流儀になりつつあります。

そして、その度毎に、老いや病、そして死に対する実感が湧き上がり、死というものが少しずつではあるけれども確実に自分にも迫っているのだという現実を突きつけられて、焦燥に似た感情を抱いて一人冷や汗をかいているものです。まだ死への準備が整っていない、と。

「死を想え」とは、タイトルにもある藤原新也の写真集『メメント・モリ』の一語。

この集中に「死とは、死を賭して周りの者を導く、人生最期の授業。」とあるように、先輩方は文字通り、生き方=死に方を先に示してくれているのではないでしょうか。私たち後輩は、幾ばくかでもそこから何かしらを掬い取ろうとしなくてはなりません。