今、大津市の中学2年男子生徒が、自殺した問題が大きく取り扱われている。
事件は、昨年10月に発生した。
死亡した生徒の両親が、市と3人の同級生らを相手取った訴訟での話し。
原告の訴状では、担任教師が「プロレス技を仕掛けられ、半泣きになっている生徒を見かけ、『あまりやりすぎるなよ』と声をかけた」と指摘している。
「いじめを何度も目撃しながら、漫然と見逃してきた」と主張。
市は答弁書で、教師が「あまりやりすぎるなよ」と声をかけた部分を認め、行為をやめさせる趣旨だと主張している。
このプロレス技が、この時が初めてだったら、百歩譲って、許される発言の範囲と考えるが、いじめ行為があったことを知っていた場合は、違う。
まず、半泣きになっている生徒を見て、未だ、遊びと判断するその感覚も可笑しい。
その生徒を助け出し、状況を聞くコミュニケーション力もない。
虐める側の生徒だったら、この発言は、先生も公認していると考える。
生徒を本気で叱れない先生。
指導できない先生。
この手の先生が問題。
同類である教育委員会が詮索する範囲ではない。
この手の問題が発覚したら、別の組織の者が調査したり、助けてあげる制度が必要と考える。
休題:
一見、いじめみたいな行為は、昔(小学生時代)からあったが、こんないじめはない。
遊びの一環で、一人を虐めるのでなく、皆がいじめ、その虐めた人も虐められる。
加害者であり、被害者でもあった。
まさに、遊びの一環。
鬼ごっこみたいな遊びだった。
誰もが、一度は、鬼になる。
閑話休題:
いじめと遊びの違いをどう教えるのか。
この手のモラルは、どう教えるのか。
自分がされて嫌なことは、他人にしない。
子供同士でも、遊びを通じて学んだ。
やはり、親の責任、見てみぬ振りをした先生の責任と考える。
この事件の様な陰湿さは、昔はなかった。
中学生になると、陰湿になるので、先生も気をつけるのが、当たり前と考える。
そう考えると、やはり先生の対応は、良くない。