新・心のサプリ 海原 純子 (日本医大特任教授)
2014年11月9日 毎日新聞より
ささやかなことに生きている実感を感じたり、小さなことや普段当たり前に思っていることに喜びを感じるのは、幸せなことで多くの人がそうなりたいと思っているはずである。
しかし、なかなかそうなれない。ささやかなことに喜びを見出すには、ささやかなことに気づく敏感さとこまやかさを持っていなければならないからだ。しかし敏感であること、感じる、ということは生きていく上で厄介なことも多い。感じるが故に傷つくことも多いからだ。
学校で職場で中傷や足の引っ張り合い、権力争いに巻き込まれたり、人間関係のゴタゴタで嫌な思いをしたり否定されたりすると、「感じない」ことが一番楽、ということで感覚を麻痺させ鈍感になる。あるいはつらさを忘れるために酒や買い物でうさばらしをする。しかしちょっとうさばらしするだけでは満足できなくなり、次第に量や回数が増えていく。つらさをまぎらわすというのは、その一瞬「我」をなくすることでもある。自分から離れて別の世界に逃避する。しかし 別の世界へ行ってもまた元の自分に戻らねばならない。
いつもいつも我を忘れたいためにはどうするのか?今、 危険ドラッグが一般社会に入り込んでいる。危険ドラッグに手を出す人は現実の自分から離れ「我」を忘れたい人ともいえる。「我」をなくさないと楽しいという感覚を感じることができず現実社会の空虚さから逃げているのだろう。 危険ドラッグを吸わないとワクワクしない人が増えているのはこわいことである。
小さなことを楽しむ敏感さは、逆に言えばささいなことでも傷つく震える心ともいえる。いいこともにも嫌なことにも敏感でありながらその両方を受け止める心の受容力を持つために薬は役に立たない。その震える心を守りつつ「感じる」我を成長させていくことで人は成熟していくのではないだろうか。 周囲のわかりあえる人たち との交流がその助けになるだろう。
2014年11月9日 毎日新聞より
ささやかなことに生きている実感を感じたり、小さなことや普段当たり前に思っていることに喜びを感じるのは、幸せなことで多くの人がそうなりたいと思っているはずである。
しかし、なかなかそうなれない。ささやかなことに喜びを見出すには、ささやかなことに気づく敏感さとこまやかさを持っていなければならないからだ。しかし敏感であること、感じる、ということは生きていく上で厄介なことも多い。感じるが故に傷つくことも多いからだ。
学校で職場で中傷や足の引っ張り合い、権力争いに巻き込まれたり、人間関係のゴタゴタで嫌な思いをしたり否定されたりすると、「感じない」ことが一番楽、ということで感覚を麻痺させ鈍感になる。あるいはつらさを忘れるために酒や買い物でうさばらしをする。しかしちょっとうさばらしするだけでは満足できなくなり、次第に量や回数が増えていく。つらさをまぎらわすというのは、その一瞬「我」をなくすることでもある。自分から離れて別の世界に逃避する。しかし 別の世界へ行ってもまた元の自分に戻らねばならない。
いつもいつも我を忘れたいためにはどうするのか?今、 危険ドラッグが一般社会に入り込んでいる。危険ドラッグに手を出す人は現実の自分から離れ「我」を忘れたい人ともいえる。「我」をなくさないと楽しいという感覚を感じることができず現実社会の空虚さから逃げているのだろう。 危険ドラッグを吸わないとワクワクしない人が増えているのはこわいことである。
小さなことを楽しむ敏感さは、逆に言えばささいなことでも傷つく震える心ともいえる。いいこともにも嫌なことにも敏感でありながらその両方を受け止める心の受容力を持つために薬は役に立たない。その震える心を守りつつ「感じる」我を成長させていくことで人は成熟していくのではないだろうか。 周囲のわかりあえる人たち との交流がその助けになるだろう。