カメラ大好きおばあちゃん

極々近場を一人気ままにウロウロし、目に留まった光景を投稿しています。

ほたるまち (大阪市)

2015年04月30日 | 写真
ほたるまちは、大阪大学医学部付属病院跡地(約2.1ha)における都市再生事業により誕生した複合施設。都心に残された貴重な大規模区画で、 水辺の環境を活かせる価値ある立地であり、 周辺には 大阪の歴史性・国際性・文化性の面でも高いポテンシャルを有している。そこで、開発にあたってはこの資質を活かし、「水都・大阪」 再生のシンボルとなる環境を創造し、質の高い街づくりと都市の活性化を促す開発が実施された。

独立行政法人都市再生機構が 全体のコーディネート役となり、 公募により選ばれた民間事業者による「文化・情報」「都心居住」「水辺のにぎわい」の3つの機能を備えた複合開発が行われ、 朝日放送の新社屋、 多目的ホール、サテライトキャンパス、分譲住宅、賃貸住宅、商業施設が立地している。このまちづくりと並行して、 治水機能の向上と親水性の高い空間の創出を目指し、大阪府によりスーパー堤防と船着場の整備が図られるとともに、 大阪市により堂島川沿いの遊歩道等が整備され、水辺に開かれた都市空間として2008年まちびらきを迎えた。

川のほとりのこの街の名前を考えているとき与謝蕪村の俳句をみつけました。
「淀船の 峠の雫も ほたるかな」
かつて淀川にもほたるが舞っていたのでしょう。 ほんもののほたるの光をここに呼び戻すことは不可能化なのかもしれません。でも、かつて川とともにあったものを心に思い出すことはできるはずです。 きらびやかな光ではなく、ほたるのようなやさしい光で川を照らす街になって欲しいと思い「ほたるまち」という名前をつけました。
(ネーミング:道面 宜久 TUGBOAT2/コピーライター)
水都大阪ホームページより

今回ほたるまちを散策し、なんで「ほたるまち」なのか?分かりませんでした。ネーミングの由来が分かった今、また訪れたいと思っています。


















中之島デザインミュージアム de sign de (大阪)

2015年04月29日 | 写真
2015年4月25日付毎日新聞 夕刊に 、 大阪在住のイラストレーター、 奈路道程さん(51歳)と河田潤一さん(50歳)が、中之島をテーマに書き下ろした「月刊島民発刊7周年特別展 中之島を描く」が、中之島デザインミュージアム de sign deで29日まで開催されている。という記事がありました。
中之島公園界隈へはよく出かけますが、 殆どが淀屋橋から 中央公会堂やバラ園方面だけでした。 反対側方面へはあまり行ってませんでしたが、 記事を見て お天気も良さそうだったので出かけました。

中之島バンクスという、堂島川左岸の堂島大橋から玉江橋までの全長400mの親水空間で、 京阪中之島線建設の復旧工事に併せて河川敷に空間を生み出し、中之島エリアが2008年国土交通省に社会実験区域の指定を受けたことにより、 民間による河川空間活用の枠組みができた。これを受けて大阪府による事業 コンペで、 デザインと クリエイティブを コンセプトに 提案された施設が民間により 設置され、 現在ではミュージアムや飲食店舗、チャペルなどが運営されている。
(水都大阪ホームページより)

de sign de はその中にあるミュージアムです。淀屋橋を渡り京阪中之島線の大江橋駅から終点の中之島駅で下車。 当日はお天気も良くてまさにリバーサイドで、 お洒落な雰囲気が目の前に現れました。
駅の近くの玉江橋を渡った対岸には、ほたるまちという複合施設がありそこも散策しましたが、次回投稿したいと思います。


































京阪電車 きかんしゃトーマスとなかまたち2015

2015年04月27日 | 写真
平成26年12月20日~28年3月27日 交野線・京阪本線・大津線などで運行しています。
娘が交野線沿線に住んでいますので、交野線はよく利用します。先日も娘宅を訪ねるのに、枚方市駅の交野線ホームに居ました。
すると賑やかな電車が入ってきましたが、 きかんしゃトーマスとなかまたちでした。枚方は終点で折り返し運転になりますので、しばらく停車します。カラフルで可愛らしかったので、思わず内やら外やらからパチパチ撮りました。













交野線ではホームも自販機・待合室・エレベーターなど、至るところがきかんしゃトーマスとなかまたち一色になっていました。









野田藤の発祥地 (大阪市福島区)

2015年04月26日 | 写真
JR大阪駅から南西に約2キロ。大阪市福島区玉川の住宅街にある春日神社境内に、「野田の藤跡」と刻まれた石碑が建つ。
この地が野田藤の名前の発祥。先ずはここから、 大阪の歴史の詰まった野田藤を復興したいと、のだふじの会事務局長の藤三郎さん(75歳)は、力を込める。

野田村と呼ばれた一帯は、 南北朝時代からの藤の名所。村の庄屋さんだった藤さんの祖先が記した「藤伝記」には、 1594年の「藤の花盛の節」に豊臣秀吉が自宅を訪れたとある。その後、「吉野の桜、野田の藤、高尾の紅葉」と童歌でも歌われたが、最盛期は20年ほどだった。
1614年、 大阪冬の陣の前哨戦「野田福島の合戦」で辺りは徳川方の焼き討ちにあい藤も焼けた。江戸時代に復活したが、今度は戦時中の空襲で壊滅状態に。1970年代には、 地元のライオンズクラブが区内に移植したものの、 手入れが行き届かず次第に咲かなくなった。

約10年前、 藤さんは大手化学メーカーを退職。 実家に伝わる古文書や絵巻を読み始め、野田藤こそ、大阪の『ふるさとの木』だと復活への思いを強くした。

2006年に連合町会の協力で、ボランティア団体「のだふじの会」を結成。現在メンバー約380人が、下福島公園など区内約20ヶ所、70本の水やりをしたり、選定をしたり、地道な手入れが実を結び、花をつける木は年々増えている。

「野田藤」マメ科フジ属。いわゆるフジの別名で野田の地名から、植物学者の牧野富太郎氏が名付けたとされる。長く豊かな房が特徴で、 1995年福島区の花に制定された。(YOMIURI ONLINE 2015年3月15日より)

写真は2011年4月下旬に、訪れた時のものです。












葛井寺(ふじいでら) 大阪 藤井寺市

2015年04月23日 | 写真
葛井寺は古代氏族葛井氏の氏寺として、 7世紀後半の白鳳期に建立されました。西国三十三箇所観音霊場の五番札所としての信仰を集め、 多くの巡礼者が訪れています。本尊の国宝乾漆千手観音坐像は、大阪府下唯一の天平仏で、毎月18日に御開帳されます。また、四脚門は桃山様式をよく伝える建造物として、国指定の重要文化財となっています。 4月中旬から5月上旬には境内のあちこちの藤棚に藤の花が咲き誇ります。4月29日にはふじまつりが開催されます。
(藤井寺観光・散策 WEBより)

2010年4月下旬に初めて訪れましたが、境内のあちらこちらにある藤棚の藤の花は見事でした。