カメラ大好きおばあちゃん

極々近場を一人気ままにウロウロし、目に留まった光景を投稿しています。

ラジオ体操

2014年08月31日 | 写真
7月21日から始まった町会のラジオ体操は、今日8月31日に無事最終日を迎えました。雨で中止になった日も5~6回ありましたが、私は何とか皆勤で締め括ることが出来ました。実は今日最終日の天気予報がよくなかったので、昨日30日に参加賞の配布などは済ませています。
しばらくは蝉の大合唱でラジオが聞こえにくいほどだったり、わずか10分の体操で汗ぐっしょりになったりしました。蝉の鳴き声も段々と弱く少なくなり、8月下旬にはまったく聞こえなくなりました。また朝は肌寒いくらいになり、汗をかくこともなくなりました。秋への移り変わりを何時もの年より、より身をもって感じています。

体操の始まる前のひと時


体操の始まる前に‥


参加賞


出席者全員に参加賞を‥


すっかり秋の空!!

転ばぬ先の知恵

2014年08月29日 | その他
「意識して片脚立ちを!」 東京大大学院教授 武藤 芳照 (毎日新聞より)

「転倒予防に一番効く運動は何ですか?」とよく尋ねられます。答えは簡単です。「片脚立ちを意識すること」なのです。
振り返ってみてください。朝起きてから夜寝るまでの日常生活の間、片脚立ちの動作をたくさんしています。例えば、朝パジャマのズボンからはき替える時、両足同時にする人はいません。靴をはく時も、脱ぐ時も、必ず片脚立ちになります。お風呂に入る時、裸足で滑りやすい床面に片脚立ちになり、浴槽の高さを目で推し量り片脚を上げてゆっくり入ります。「エイヤッ!」と両足同時にジャンプして浴槽に入る人はいません。
階段の上り下りも、一つ一つの動作は、片脚でしっかりと体重を支え、持ち上げ下ろす動作です。下りの階段の最後の一段で、高齢者が転倒しやすいのは、動作が加速されて斜めの動きから水平の動きに変わる瞬間で、体をしっかり支える片脚立ちの能力が要求される場面だからです。
「ステテコ症候群」という言葉があります。男性高齢者が、一人でステテコをはいたり脱いだりすることが出来るうちは大丈夫。もし、それがうまく出来なくなったら要注意という意味です。今はステテコをはく人は、多くないかも知れませんが、パジャマのズボンでも女性のストッキングでも原理は同じです。片脚立ちの大切さを伝えた養生訓ととらえるべきでしょう。
何気ない日常動作の中に、数多くの片脚立ちが含まれているのを見つけるのは、面白いものです。「普段の暮らしが自然な訓練」です。毎日、暮らしの中の片脚立ちをしっかり意識して行うことが、転倒予防に一番効きます。

関西あそ歩 (京都・大阪・神戸・堺まち歩きラリー)

2014年08月27日 | 写真
南海・阪急・阪神電車で巡るまち歩きで今回は堺を歩きました。(2010年11月)

南海堺駅前にそびえるメキシコ人による「フェニックスアーチ」というオブジェ。


ザビエル公園 天文19年(1550)に堺へ来たイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルを手厚くもてなした豪商、日比屋了慶の屋敷跡に作られた公園です。昭和24年(1949)ザビエル来航400年を記念して「ザビエル公園」と命名されました。


覚応寺境内にある与謝野晶子の歌碑。当時住職、川野鉄南氏は与謝野鉄幹と晶子を引き合わせた人物として知られています。毎年5月29日の晶子の命日には白桜忌が行われます。




山口家住宅 慶長20年(1615)、大阪の陣により堺が全焼した直後に建てられ、数少ない江戸初期の町家として昭和41年(1966)国の重要文化財に指定されました。 


水野鍛錬所 明治5年(1872)創業。


戦後間もなくの法隆寺大改修の際に、300年に一度かけかえられる国宝五重塔九輪の「魔除け鎌」を鍛造して奉納。


明治時代からの鍛錬工房







大阪あそ歩 (昭和レトロ文化の薫陶を阿倍野に訪ねて)

2014年08月26日 | 写真
戦前の大坂庶民の生活を支えた長屋。高度経済成長の影響で一戸建て住宅やマンションが増加していますが、昭和町界隈は戦災に遭わなかった幸運もあって、現在でも多種多様な長屋が数多く見られます。懐かしい昭和レトロの面影が色濃く残る、昭和町界隈を歩いてみましょう。(あそ歩資料より)
2010年10月に歩きました。

猿山新田を開墾した奥田市郎兵衛の子孫、シャンソン歌手奥田真祐美さんの邸宅で、邸内には大阪市指定の保存樹があります。


保存樹とは緑の文化財ともいわれ、都市の美観維持と環境保全のために大阪市が保存を指定した樹木のことで、奥田邸の保存樹はこの制度が出来た昭和43年10月1日の最初に指定されたクスノキです。


育徳コミュニティーセンター内にある「リハビリギャラリーいくとく」は、障害者の方々が精魂込めて制作した美術工芸品を常時展示する施設で昭和51年(1976)に全国で初めて設立されました。


戦前の大阪庶民の生活を支えた長屋には、伝統的な住宅様式から和洋折衷あるいは大胆な洋風のものまで様々な創意工夫が見られます。阪南町界隈は大正13年(1924)に設立された阪南土地区画整理組合によって順次町並整備が行われ、その際に様々な長屋が建てられました。現在でも多種多様な長屋が数多くみられます。


寺西家阿倍野長屋(国の登録有形文化財)は昭和7年(1932)に建築され、平成15年(2003)12月1日長屋として全国初の国の登録有形文化財として登録されました。


坂田寛夫詩碑 坂田寛夫(1925~2005)は詩人、小説家、児童文学作家です。大阪市住吉区天王寺町(現、阿倍野区松崎町)生まれで、東京帝国大学文学部卒業後、朝日放送に入社しラジオ番組プロジューサーとして活躍しますが退社。「音楽入門」で小説家としてデビューし1974年「土の器」で芥川賞を受賞。童謡「サッちゃん」「おなかのへるうた」などの作詞者としても知られています。


南大阪教会鐘楼 昭和3年(1928)大阪基督教会創立50周年記念事業の1つとして企画され、設計監督を担ったのが若き建築家村野藤吾で、これが処女作です。

日本人はなぜ、赤レンガの建物が好きなのか。

2014年08月25日 | その他
2014.8.25 毎日新聞「余禄」

一昨年に復元された東京駅をはじめ、妙に懐かしさを誘うのは一体、どうしてなんだろう▲今年2月に死去した建築史家の鈴木博之さんは昨秋の講演で二つの理由を挙げたたという。一つは日本人が縄文土器以来、土を焼く行為をえんえんと続けていること。焼き物も瓦も生活の原風景にあり、レンガにも心休まるというのだ▲もう一つは、日本のレンガ建築には英国にルーツを持つものが少なくなく、近代日本人の英国への思いが、愛着の背後にあるのではないかという。夏目漱石をはじめとし、いち早く産業革命を実現した国に留学した人々を思い出す▲日本各地に赤レンガの建物がある。伝統のある建物は、地元の誇りでもあるのだろう。近代建築を保存する意識が広がり、生活を楽しくするために使う動きもあちこちに見られる▲山口県下関市の旧下関英国領事館が今年7月にリニューアルオープンし、1ヶ月で約13,000人と、予想を大きく上回る入館者を集めている。英国人技師の設計で明治末期の1906年に建てられ、40年に領事業務を終えた。国指定の重要文化財です。美しい赤レンガが本州最西端の港町の歴史を伝える。2階にレストランがあり、夜10時まで開いているのがうれしい。関門海峡をすぐ身近に感じながら、ビールやカクテルも楽しめる▲夜はパブになる活用法は、市民の声を聞いて決めたそうだ。たとえばビールグラス片手にシェークスピアからビートルズまで、英国文化を語り合うのもいい。赤レンガの建物では、思いが時間を超えて広がっていくのではないだろうか。