カメラ大好きおばあちゃん

極々近場を一人気ままにウロウロし、目に留まった光景を投稿しています。

御堂筋彫刻ストリート

2014年03月31日 | 写真
大阪のシンボルストリートにふさわしい、格調高い魅力ある街並み作りを目指す御堂筋。大阪市は、平成3年(1991)に「御堂筋都市彫刻設置検討委員会」を設置し、御堂筋周辺の企業などから寄付を募った。最初の1体、オーギュスト・ロダンの「イヴ」が設置されたのは、平成4年(1992)8月。人間賛歌をテーマに「人体」をモチーフとする彫刻は、現在29体。高村光太郎やジョルジオ・デ・キリコなど国内外から集められた一流作家の作品が、土佐堀通りから長堀通りまでの約2㎞に並ぶ。
本町から淀屋橋までの一駅をぶらぶら歩くとき、彫刻の前では立ち止まって眺めたり、カメラを向けたりしている。












大正区 船町工場群

2014年03月30日 | 写真
明治16年(1883)三軒家に大阪紡績会社(現:東洋紡績)が設立されると、大正区は日本一の紡績工業都市となり、大阪は「東洋のマンチェスター」とも呼ばれた。その後、船町に造船所や製鋼所などが作られて、阪神工業地帯の重工業集積地に姿を変えた。現在でも中山製鋼所や日立造船の工場群が立ち並んで、見るものを圧倒させてくれる。平成元年(1989)公開のアメリカ映画「ブラック・レイン」のロケ地にも選ばれた。(大阪あそ歩資料より)
夜の工場群は格別の雰囲気があるようなので、機会があれば是非夜も行きたい。






ツバナ

2014年03月29日 | その他
日本の植物学の父と言われる牧野富太郎の名を冠した1989年版の植物図鑑にチガヤという多年草の説明がある。一部を要約、補強すると「春に伸びるチガヤの花穂(かすい)をツバナといい、子供たちはガムのようにかんだり食べたりする」となる。地方によって時期が違うが、春のごく短い期間以外は花穂がかたくなり、食用には適さない。そしてもちろん、道端の野草を口に入れるこの習慣は既に過去のものだ。都会育ちの人々はツバナの存在そのものを知らないだろう。だが、ツバナはかって広く愛されたようだ。中国地方や東海地方など各地で呼び名が相当違うが、取材で会った福島県の被災地住民はツバナと言っていた。地方出身の団塊の世代あたりなら、ほのかに甘いツバナの味を覚えている人も多いのではないか。高度経済成長期以前の子供たちの生活に触れたのは、アマ玉もガムもなかったけれど元気いっぱいで、野山でアケビやクリ、グミ、野いちごなどを探し、時には幼い子たちに分け与えた彼らに好印象を抱いているからだ。そしてツバナはシイの実拾いと同様、だれでも簡単に楽しむことができる。地域の子供の伝承だったのか、さらに太古の昔からの採集本能なのか分からないが、大自然とつながっていた子供の文化がおそらく絶えてしまったのは惜しい気がする。だからといって元通りにはできない。だれかあのころの「田舎の子供の遊び」を絵本にでもしてくれないものか。ひよっとすると、もうどこかにあるかもしれないないが。(2014.3.24.毎日新聞余禄)この記事にあるツバナは、私が子供の頃確か「ツンバネ」と言って、田んぼの行き帰り土手に生えてるのを食べた覚えがある。60年以上も昔の記憶がよみがえり、今は亡き父や母のことが偲ばれた。