人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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合気道について(4)

2020-04-17 07:58:15 | スピリチュアル
        (前日からの続き)
武道の武というのは、それこそ戈をおさめる。
昔の話じゃないですが、すべての武道はそこへ
行くわけですね。
武は愛なりなんですね。
その、武は愛なりを悟った人、悟って私に
バトンタッチをして下すった先生、それが
植芝先生なわけね。
だから、植芝先生が拓いた合気道、先生個人の
ものではないけれども、神様の流れというものが
植芝先生の肉体の奥に感応して、そして開かれた
気の流れというものは、この合気道の中に流れて
いる訳です。
その流れを少しでも祈り心でね、打ち込んで
ゆく人、打ち込まれてゆく人、やってゆく人は、
それを自分のものにして、天に宝を積むように、
自分の魂に宝を積むということが出来る。
そういう人になってゆく訳ですね。

合気道だけじゃない、いろんな物事、いろんな
行為、武道だけじゃなくて、日々の営みそのものが
やはり気の流れを受けて、その神の愛の気の流れを
流してゆく。
皆流してゆく。
皆平等に、子どもから老人に至るまで、私たちは
それぞれの立場立場、持ち場持ち場で、その役目を
持っている。
そう考えませんと、これはおかしなことになって
ゆく訳ですね。
合気道だけがすごいんじゃない。
偉いんじゃない。
そこへ立つ、そこで祈る。
祈りの座へ、本心の座へもってゆく、もって
ゆかれやすい。
その先達の役目を務めたのが合気道なんだ
ということ。
だから合気道をすることによって、皆さんが
自分の祈りの生活を深めて、日常を少しでも
過ごしやすくして、体も心もすこやかに
してゆくということが、現実生活を豊かに
してゆくということがですよ、精神的に豊かに
してゆくということが、本当に人間の気持ちを
ひろやかにしてゆくということになる訳ですね。
それが同時に、世界人類が平和でありますように
というこの祈り心ね、祈りそのものの光を
拡めてゆくことにもなる訳なんです。
         昭和63年5月5日
             五井昌久