人は、ふるさとびと

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合気道について(2)

2020-04-15 12:45:25 | スピリチュアル
        (前日からの続き)
合気道で構えて打ち込む時というのは、もう
すでにそれは、こういうことを知ってる人も
知らない人もですけれども、合気道でやる場合
には、その人の肉体人間の気持ちはどうあれ、
本体そのものはそういうことを知って
おりますから、本当に祈りの器としてそこで
立って、そこで構えて、構えるってことは、その
気の流れを受けて、それを流す。
そのための構えです。
言わば、印でずっと皆さんの想いを受けて
手を上げますよね、あの上げて光を集める状態と
構える状態は一緒なんですね。
立って構える、そうして打ち込む。
打ち込むというのは何を打ち込むのか。
本当言えば、霊界には打ち込むものは
ないんですね。
愛と愛がぶつかるだけです。
けれども人間世界の中では、打ち込むもの打ち
込まれるもの、いろんなものがあります。
いろんな感情があります。
余計なものがあります。
それを打ち込んでゆく。
でそれを、業なら業というものが来たら、
それに対してそれを打ち負かすものは愛ですね。
あるいは大きな気の流れですよね。
神様の愛という気の流れですよね。
それを今度返してゆく。
だから、構えて打ち込まれる方は、その
気の流れを存分に受けて、そうして自分自身が
光の住者になって、そして、打ち込まれた分
それを光にして帰してゆく。
そういうことを知って動いている訳ですから、
そこで自分の生命が充実してゆくんだなって
いうのは、動きの中で、これは言葉じゃ
ないですよ、想いでもない、行為の中で本体が
知ってゆく訳なんですね。

だから、空気が瞬動しますよね。
武道ですからね。
武道ですけれども、植芝先生が悟ったあの神様は
愛だというあの武道ですから、神の愛の気が
満ちているはずなんです。
あるいは、そうなってゆくべきなんですね。
だから、祈りの本心開発といいますか、祈りを
やってゆく人たち、うちで祈りをやってゆく
人たちというのは、特に合気道というものを
通して、そして肉体の行為化というものを通して
肉体を光明化してゆく。
そのために合気道をやるということは、本当に
大いにいいことでして、どこに行くんでも、
どこでやるんでも、その木太刀にも自分の
心にも、世界平和の祈りというものが込められて
いるくらいに思ってね。
そして、打ち込む時にも、打ち込まれる時にも、
自分の心をカラッポにしてやってゆく。
自分が打つんじゃない。
気の流れが来て、その気の流れに従って、
自分の木太刀が動いてゆくんだ、自分の体が
動いてゆくんだ、それによって自分の霊性が
開発されてゆくんだと思うと、自然に
動くんですよね。
体がね。
光になって動くんです。
            (翌日に続く)