人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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愛のはたらき(1)

2020-04-05 13:35:55 | スピリチュアル
私はマイクの前に立って、こうやって皆さんの
顔を見ながら、何を話そうかとか、今日は
これについて話そうかとか、そういうことは一切
考えていないのであります。
だから、質問をどうぞというのは、質問を
きっかけにして、私は、神様のこと、神様が
どんなに人間を愛しているかということ。
で実は、神様の愛の働きによって人間が
生かされているということを伝える。
そういう場所に私がなるということ
なんであります。

だからいつか申しましたように、釈迦が来る
こともあるし、キリストが来ることもあるし、
老子が来ることもあるし、いろいろな人が
私の体に降りて来て、そうして、その方面の
ことをしゃべってそしてまた出てゆく。
だから、私の体というのはカラッポなんだとね。
私は、生命はもう神様の中へ帰しました。
帰した時に、とにかくまあキリスト教で言えば、
“御心のままになさしめたまえ“というあの主の
祈りの中の、ああいう気持ちになって。
自分がなったんじゃない、何か奥の方が
なって、そうして、そういう活動をなにかしら
させていただけるようになって、今日になって、
今こうしてしゃべっている訳ですけれども。
私というものは一切無いんですね。
何があるかというと、神様の愛がある。
それだけなんです。
その愛というものは、私のためだけに
あるんじゃなくて、これは実は、我々
人間全体のためにある。
この地球世界の自然とか、いろんなものが
いろんな形で生きていますけれども、
それこそ、生きとし生けるものの有りの
ままの姿をそのまま生かして、さながらに
生かして、その生命が完うするようにという
ので、その愛が注がれている。
その愛の姿というものを、皆が、ああ
そうだなと思って納得して感動して、
そうして、それぞれが静かな想いになって、
神様というものにね、その想いをはせた時に、
皆が神の子なんだということになって
いきますでしよ。

そして次には、他愛ですね。
他を愛すること。
他を愛することというのは、自分のまわりを
確認できることなんですね。
自分のまわり、自分の生命が何によって支え
られて、まわりの人のいろんな親切だとか、
いろんな想いだとか思いやりだとか、
そういうものによって生きてる。
生かされているということを確認する。
この現実の世の中でね。
そして、自愛というのは、そういう感謝の
おもいを今度自分が確認して、そうして、
じゃあ何をすればいいかということになると、
自分を本当の意味で労わってね、そして
生きてゆく。
その自分を本当に労わるということの
中には、人間の心には、いろんな姿が
あります。
見たくない、こんな自分は確認したくない。
こんな自分は見つめたくないという想いが
ありますよね。
ですけれども、それをずっと見て、ああ
こういうやり切れないものを人間は
持ってるんだな。
そこが自分の中で確認できれば、人間
というものは高められてゆく訳。
          (翌日に続く)