フランス語ですから、もちろん“achetez Français”になるのですが、「“Made in France”を買おう」という掛け声が、大統領選が近付くにつれ、左、中道、右、それぞれの候補者から合唱よろしく聞こえて来ています。
背景は言うまでもなく、高止まりする失業率、工場の海外移転、低迷する経済成長、そして欧州債務危機。先進国に共通する問題で、リーマン・ショックの後、アメリカでは「Buy americans」という掛け声が響きました。日本では、聞こえてきませんね。外国ブランドがお好きな方々が多いのでしょうか。あるいは、安いのが一番と、中国や東南アジアからの輸入品に飛びついているからでしょうか。
いずれにせよ、欧米からは自国製の製品を買おうという声が聞こえてきます。しかし、21世紀の今、そうした運動が自国の雇用を増やし、経済を後押しすることに繋がるのでしょうか。
懐疑的な意見を、フランスのあるシンクタンク(cercle de réflexion)が発表しています。“Fondapol”と呼ばれるシンクタンクで、正式名称は“Fondation pour l’innovation politique”(政治改革財団)。2004年4月に、現与党・UMPの支援で設立された財団で、政治的立ち位置は中道右派。特にシラク(Jacques Chirac)前大統領に近く、自由主義を標榜しています。このシンクタンクの研究員、アレクシス・ブノワ(Alexis Benoist)氏の文章が、16日の『ル・モンド』(電子版)に掲載されていました。どのように、語っているのでしょうか・・・
フランソワ・バイルー(François Bayrou:中道政党・MoDemの大統領選候補)の“achetez Français”(フランス製を買おう)から、サルコジ(Nicolas Sarkozy)大統領の“produire en France”(フランス国内で生産しよう)、そしてフランソワ・オランド(François Hollande:社会党の大統領選候補)の“patriotisme industriel”(愛国心ある産業)まで、“Made in France”を擁護することが選挙の争点になっているが、はたしてそのことが脱工業化の時代において効力のある対策なのかどうか自問するだけの価値はありそうだ。
“produit en France”(メイド・イン・フランス)は、12月4日にフランソワ・バイルーがフランスの再工業化を強調して以降、大統領選挙の一つの旗となった。しかし、もううんざり、といった気分だ。なぜなら、ジョルジュ・マルシェ(Georges Marchais:フランス共産党の書記長を1972年から94年まで務めた政治家)がすでに1981年の大統領選の際、“Produison français !”(フランス製を作ろう)を選挙運動のスローガンにしていたからであり、1990年代には、極右の国民戦線(FN)がそれをすっかり真似て、“produire français avec des Français”(フランス人の手でフランス製品を作ろう)と提唱していた。しかも、同時期、幾分トーンダウンした形で、商工会議所が広告で“Nos emplettes sont nos emplois”(フランス製を買うことは雇用に繋がる)と、消費者、そして市民としての務めを訴えかけていた。国産品を買おうという訴えはどうしてこうも周期的に大きな声になるのだろうか。そうした運動は、フランスの産業界を覆っている危機を解消することができるのだろうか。
最近提唱されている市場における愛国心は、労働者階級の困窮に対する政治的対応だ。フランス国内の脱工業化によって引き起こされる問題を無視することは、不可能に近い。工場閉鎖や工場の海外移転、そしてそれらにまつわる悲劇・・・こうした事柄は、多くの人々が主張する通り、夜8時のニュースの視聴者を感動させるために繰り返し持ち出される単なる話題ではない。フランス産業界の雇用者数は1980年の530万人から2010年には300万人に減少している。30年間で40%以上も激減したことになる。こうした労働者数の減少は、選挙戦の状況を変化させ、国民戦線が伝統的な工業地域で支持を広げる結果となっている。従って、大統領選の候補者たちが政治に不信を抱く労働者たちの周りに次々と集まり、少なくとも言葉では、国産品を守ろうと声を張り上げているのも、不思議ではない。
労働者の票だけでなく、“Made in France”は激変する世界の中で、フランスの将来に不安を募らせている多くの声なきフランス人に、サブリミナルなメッセージを送ることになる。グローバル化が古い経済構造を揺るがし、EUが根幹からぐらつき、共和国的政策が共同体の崩壊により試練にさらされている今、国民的感情を刺激することが選挙民を突き動かすのに効率的なエンジンとなっているのだ。
また、フランス製品を支援しようという提唱がクリスマスの数週間前に行われているのは、偶然というわけではない。カトリックの伝統的義務として、クリスマスを前に連帯に心を砕くのがフランス人にとっての習わしとなっている。その意味で、“Made in France”購入の呼びかけは、再工業化や経済的愛国心、深刻な危機に直面しての国民的連帯心などを見込みのあるテーマとして持ち出すうまい方法だと見做すことができる。
見逃されていた産業を取り巻く現状へのこうした訴えかけは、提唱者の本気度にもよるが、幻想、あるいは手品の類と見ることもできる。アダム・スミス(Adam Smith:1723~90、イギリス人の経済学者、『富国論』はとくに有名、「経済学の父」とも呼ばれています)以降、商売と思いやりがお互い相容れないものであることは広く知られている。フランスの消費者が慈悲的気持ちを高揚させることができるにせよ、その消費行動は生産国がどこであろうと、品質と価格の関係(コスト・パフォーマンス)で商品を選ぶということになっている。コスト・パフォーマンスを良くすることにより、製造の国際分業はフランス人の購買力を向上させるのに役立っている。フランス人は喜んで購買力を“Made in France”の祭壇に捧げることはしないと断言できる。働いていた工場の閉鎖を嘆くフランス人が、限られた購買力のせいで、近くのスーパーで中国製品を買っている。一人の個人の中に、こうして利害の反する消費者と生産者とが同居しているのだ。
産業界での雇用の減少という実際の問題に対し、国産品を買おうという呼びかけは、誤った処方箋による間違った対応ということにもなる。実際、フランス国内で生産された製品は雇用の維持につながると考えるような、偏った見方は欺瞞だ。コルベール(Jean-Baptiste Colbert:1619-83、ルイ14世の財務総監、重商主義や保護主義を採用し、ゴブラン工場などの製造業を設立・保護しました)によるマニュファクチュアの時代に帰るのならいざ知らず、今日の競争を生き抜くためには、フランス企業も生産性を常に向上させねばならないということを認めざるを得ない。生産性の向上のためには、機械化や生産方法の効率化が必要となる。Schumpeter(ヨーゼフ=アーロイス・シュンペーター:1883-1950、オーストリアの経済学者、起業家の行う不断のイノベーションが経済を変動させるという理論を構築しました)によって分析されたように、創造的破壊(destruction créatrice)という残酷な名のプロセスは、避けようもなく最も非生産的な職場を削減させることに繋がる。こうした国内の生産手段の変化がフランス国内の労働者数減少の第一の原因であり、国際競争よりも大きな影響を与えている。こうしたデータを前に、フランス製の商品を買おうという運動は何もできないのだ。製造の国際分業により、ほとんどすべての製品が生産国がバラバラの部品を組み立てることになっているだけに、いっそう“Made in France”を買おうという提唱は効き目がないことになる。結局、フランス製の製品(produit français)とは、何を指すのだろうか。
・・・ということで、高失業率、経済の停滞、購買力の低下という背景もあり、国民の愛国心をくすぐることは、選挙戦で有利に働くのではないかという判断があるようです。そこで、“Made in France”を買おうという提唱が陣営の左右を問わず聞こえてくるわけですが、では、そのフランス製の製品とは何なのか、という疑問を持ちざるを得ないのが今日の現状です。
国際分業。数カ国にまたがるサプライ・チェーンを構築し、最終的にどこかの国で製品を組み立てる。この場合、その製品はどこの国で作られたものと断言できるのでしょうか。例えば、部品を、ハンガリー、トルコ、アイルランドで製造し、最終的組み立てだけをフランスで行った場合、どこの国の製品になるのでしょうか。そして、最終的組み立てがフランスだからと言って、その製品をより多く買うことが、国内雇用の増加にどれだけ役立つのでしょうか。最終組み立てほど機械化が進んでいる場合が多く、部品メーカーのある国の雇用増にはつながっても、フランスの雇用を増やすことには、あまり大きな影響を及ぼさないのではないか・・・なるほど、という指摘ですね。
では、日本で「バイ・ジャパニーズ」が叫ばれないのは、国民がこうしたことを良く理解しているからなのでしょうか・・・それなら、素晴らしいことです! 連帯心がないから、とは思いたくないものです。
背景は言うまでもなく、高止まりする失業率、工場の海外移転、低迷する経済成長、そして欧州債務危機。先進国に共通する問題で、リーマン・ショックの後、アメリカでは「Buy americans」という掛け声が響きました。日本では、聞こえてきませんね。外国ブランドがお好きな方々が多いのでしょうか。あるいは、安いのが一番と、中国や東南アジアからの輸入品に飛びついているからでしょうか。
いずれにせよ、欧米からは自国製の製品を買おうという声が聞こえてきます。しかし、21世紀の今、そうした運動が自国の雇用を増やし、経済を後押しすることに繋がるのでしょうか。
懐疑的な意見を、フランスのあるシンクタンク(cercle de réflexion)が発表しています。“Fondapol”と呼ばれるシンクタンクで、正式名称は“Fondation pour l’innovation politique”(政治改革財団)。2004年4月に、現与党・UMPの支援で設立された財団で、政治的立ち位置は中道右派。特にシラク(Jacques Chirac)前大統領に近く、自由主義を標榜しています。このシンクタンクの研究員、アレクシス・ブノワ(Alexis Benoist)氏の文章が、16日の『ル・モンド』(電子版)に掲載されていました。どのように、語っているのでしょうか・・・
フランソワ・バイルー(François Bayrou:中道政党・MoDemの大統領選候補)の“achetez Français”(フランス製を買おう)から、サルコジ(Nicolas Sarkozy)大統領の“produire en France”(フランス国内で生産しよう)、そしてフランソワ・オランド(François Hollande:社会党の大統領選候補)の“patriotisme industriel”(愛国心ある産業)まで、“Made in France”を擁護することが選挙の争点になっているが、はたしてそのことが脱工業化の時代において効力のある対策なのかどうか自問するだけの価値はありそうだ。
“produit en France”(メイド・イン・フランス)は、12月4日にフランソワ・バイルーがフランスの再工業化を強調して以降、大統領選挙の一つの旗となった。しかし、もううんざり、といった気分だ。なぜなら、ジョルジュ・マルシェ(Georges Marchais:フランス共産党の書記長を1972年から94年まで務めた政治家)がすでに1981年の大統領選の際、“Produison français !”(フランス製を作ろう)を選挙運動のスローガンにしていたからであり、1990年代には、極右の国民戦線(FN)がそれをすっかり真似て、“produire français avec des Français”(フランス人の手でフランス製品を作ろう)と提唱していた。しかも、同時期、幾分トーンダウンした形で、商工会議所が広告で“Nos emplettes sont nos emplois”(フランス製を買うことは雇用に繋がる)と、消費者、そして市民としての務めを訴えかけていた。国産品を買おうという訴えはどうしてこうも周期的に大きな声になるのだろうか。そうした運動は、フランスの産業界を覆っている危機を解消することができるのだろうか。
最近提唱されている市場における愛国心は、労働者階級の困窮に対する政治的対応だ。フランス国内の脱工業化によって引き起こされる問題を無視することは、不可能に近い。工場閉鎖や工場の海外移転、そしてそれらにまつわる悲劇・・・こうした事柄は、多くの人々が主張する通り、夜8時のニュースの視聴者を感動させるために繰り返し持ち出される単なる話題ではない。フランス産業界の雇用者数は1980年の530万人から2010年には300万人に減少している。30年間で40%以上も激減したことになる。こうした労働者数の減少は、選挙戦の状況を変化させ、国民戦線が伝統的な工業地域で支持を広げる結果となっている。従って、大統領選の候補者たちが政治に不信を抱く労働者たちの周りに次々と集まり、少なくとも言葉では、国産品を守ろうと声を張り上げているのも、不思議ではない。
労働者の票だけでなく、“Made in France”は激変する世界の中で、フランスの将来に不安を募らせている多くの声なきフランス人に、サブリミナルなメッセージを送ることになる。グローバル化が古い経済構造を揺るがし、EUが根幹からぐらつき、共和国的政策が共同体の崩壊により試練にさらされている今、国民的感情を刺激することが選挙民を突き動かすのに効率的なエンジンとなっているのだ。
また、フランス製品を支援しようという提唱がクリスマスの数週間前に行われているのは、偶然というわけではない。カトリックの伝統的義務として、クリスマスを前に連帯に心を砕くのがフランス人にとっての習わしとなっている。その意味で、“Made in France”購入の呼びかけは、再工業化や経済的愛国心、深刻な危機に直面しての国民的連帯心などを見込みのあるテーマとして持ち出すうまい方法だと見做すことができる。
見逃されていた産業を取り巻く現状へのこうした訴えかけは、提唱者の本気度にもよるが、幻想、あるいは手品の類と見ることもできる。アダム・スミス(Adam Smith:1723~90、イギリス人の経済学者、『富国論』はとくに有名、「経済学の父」とも呼ばれています)以降、商売と思いやりがお互い相容れないものであることは広く知られている。フランスの消費者が慈悲的気持ちを高揚させることができるにせよ、その消費行動は生産国がどこであろうと、品質と価格の関係(コスト・パフォーマンス)で商品を選ぶということになっている。コスト・パフォーマンスを良くすることにより、製造の国際分業はフランス人の購買力を向上させるのに役立っている。フランス人は喜んで購買力を“Made in France”の祭壇に捧げることはしないと断言できる。働いていた工場の閉鎖を嘆くフランス人が、限られた購買力のせいで、近くのスーパーで中国製品を買っている。一人の個人の中に、こうして利害の反する消費者と生産者とが同居しているのだ。
産業界での雇用の減少という実際の問題に対し、国産品を買おうという呼びかけは、誤った処方箋による間違った対応ということにもなる。実際、フランス国内で生産された製品は雇用の維持につながると考えるような、偏った見方は欺瞞だ。コルベール(Jean-Baptiste Colbert:1619-83、ルイ14世の財務総監、重商主義や保護主義を採用し、ゴブラン工場などの製造業を設立・保護しました)によるマニュファクチュアの時代に帰るのならいざ知らず、今日の競争を生き抜くためには、フランス企業も生産性を常に向上させねばならないということを認めざるを得ない。生産性の向上のためには、機械化や生産方法の効率化が必要となる。Schumpeter(ヨーゼフ=アーロイス・シュンペーター:1883-1950、オーストリアの経済学者、起業家の行う不断のイノベーションが経済を変動させるという理論を構築しました)によって分析されたように、創造的破壊(destruction créatrice)という残酷な名のプロセスは、避けようもなく最も非生産的な職場を削減させることに繋がる。こうした国内の生産手段の変化がフランス国内の労働者数減少の第一の原因であり、国際競争よりも大きな影響を与えている。こうしたデータを前に、フランス製の商品を買おうという運動は何もできないのだ。製造の国際分業により、ほとんどすべての製品が生産国がバラバラの部品を組み立てることになっているだけに、いっそう“Made in France”を買おうという提唱は効き目がないことになる。結局、フランス製の製品(produit français)とは、何を指すのだろうか。
・・・ということで、高失業率、経済の停滞、購買力の低下という背景もあり、国民の愛国心をくすぐることは、選挙戦で有利に働くのではないかという判断があるようです。そこで、“Made in France”を買おうという提唱が陣営の左右を問わず聞こえてくるわけですが、では、そのフランス製の製品とは何なのか、という疑問を持ちざるを得ないのが今日の現状です。
国際分業。数カ国にまたがるサプライ・チェーンを構築し、最終的にどこかの国で製品を組み立てる。この場合、その製品はどこの国で作られたものと断言できるのでしょうか。例えば、部品を、ハンガリー、トルコ、アイルランドで製造し、最終的組み立てだけをフランスで行った場合、どこの国の製品になるのでしょうか。そして、最終的組み立てがフランスだからと言って、その製品をより多く買うことが、国内雇用の増加にどれだけ役立つのでしょうか。最終組み立てほど機械化が進んでいる場合が多く、部品メーカーのある国の雇用増にはつながっても、フランスの雇用を増やすことには、あまり大きな影響を及ぼさないのではないか・・・なるほど、という指摘ですね。
では、日本で「バイ・ジャパニーズ」が叫ばれないのは、国民がこうしたことを良く理解しているからなのでしょうか・・・それなら、素晴らしいことです! 連帯心がないから、とは思いたくないものです。