ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

バカだね~、男は。頭の中は「女」のことばかり。

2011-12-29 21:26:49 | 社会
師も走る。生徒も走る。疲れたおじさんも走る。何かと慌ただしい年の瀬、なかなか落ち着いて机の前に座れないのは、自分の弱さと自戒するものの、更新が飛び飛びに。まるでクリスマス休暇。このまま正月休みへ突入かと思ったりするわけですが、毎日200人前後の方々にアクセスしていただき、感謝、感謝の師走。大つごもりを前に、今日から、再開です。

再開第一弾(という、大層なものではないのですが)は、「男はバカだね~」という話題です。何を分かり切ったことを、とお思いの方も多いことかもしれませんが、どうやら、科学的にも実証されているようです。

男のどこがバカなのか・・・23日の『ル・モンド』(電子版)を覗いてみましょう。

科学の分野では、次のような言い方になる。人類のオスの認識行動は異性と会うことにより劣化するのか? とても魅力的な女性のいるパン屋さんに行くと、ロベールは(すべてのロベールに事前に謝っておくが)良く焼けたバタール(bâtard)を注文するのを忘れ、クロワッサンだけを買って店を出てしまう。こうした状況をテクス・エイヴリー(Tex Avery:アメリカのアニメ作家、1908-1980)は、「ポカーンと開けた口を閉じろ、あほが、何か喋れ」という状態だと表現している。心理学では、認識テストにおいて、異性愛の男性は女性について話した後では、その前よりもテストの結果が悪くなる、という研究成果が発表になっている。女性の場合では起きないそうだ。どうしてなのだろう。

平均的に言ってだが、男性は女性以上に日常生活のシチュエーションに性的な意味合いを持ちこむ特徴がある。「こんにちは、お隣さん。ゴミを出す姿もお美しい」などと言っているのだが、生物学者によれば、異性から発せられるシグナルに過剰反応する男性の能力は、交尾のチャンスを逃さないよう促された進化の側面だそうだ。しかし、常に交尾のチャンスを追い求める本能ゆえに、認識テストの結果が劣るといった代償を払わされることになる。なぜなら、男性は、相手の生殖者としての能力を判断し、感情をコントロールし、自分のイメージがよく見えるように、他人に良い印象を与えることができるようにと気を配ることによって、認識能力(「知性」とは敢えて言わないでおこう)を必要以上に使い、疲れきっているからだ。

従って、異性との出会いの後では明らかな影響が出る。しかし、出会う前では? 女性と会うと思っただけで、平均的な異性愛男性はかなりの認識力を失うことになるのだろうか。『アンナ・カレーニナ』(Anna Karénine)の冒頭の部分で、トルストイは地主・リョーヴィン(Levine)を登場させている。リョーヴィンは凍ってスケート場となっている池へ向かうのだが、そこで恋に落ちた相手の若い女性と合うことになっていた。「小道を辿りながら、リョーヴィンはつぶやいた。『落ち着け、動揺するな。何をしたいのだ。何ができるのだ。黙れ、このバカ者が。』このように、彼は自らの心に語りかけた。しかし、落ち着こうとすればするほど、感情があふれ出し、息苦しいほどになった。知り合いが通りかかって彼に声を掛けたのだが、リョーヴィンは気づくことすらなかった」・・・気の毒な若者だ。こうした「リョーヴィン現象」を確かめるために、オランダの心理学者チームが、ある実験を行い、その結果を11月、学術誌“Archives of Sexual Behavior”に発表した。

その心理学チームは、言語に関する実験だという嘘の背景説明をし、90人の男女に意味を理解するテストを行った。被験者には、調査員が後に部屋に入って行くので、調査員が出す二番目のテストの開始合図を待つように、そして待つ間、ウェブカメラの前でテキストを読むようにと伝えた。被験者には調査員のファーストネームが伝えられ、男性か女性か分かるようになっている。仕掛けは、やがて入ってくる調査員への期待を膨らませることだ。この条件で実験を行ったところ、女性の場合、やってくる調査員の性別による変化はほとんど現れなかった。一方、男性の被験者の場合、女性の調査員が入ってくると思うと、テキストを読むテストの結果は調査員が男性と思われる場合よりも悪くなった。しかも、滑稽なことに、実際には女性は部屋に入って行かないにもかかわらず、こうした結果が出たことだ。

・・・ということで、これではまるで、男は「パブロフの犬」。女性が部屋に入ってくると思うだけで、そわそわ、ドキドキ、妄想も膨らみ、テキストを読むことに集中などできなくなる。それも、女性など入って来ないというのに。哀れな者よ、汝の名は、オ・ト・コ。

鳥や魚、動物など、確かにオスのほうが見た目が美しい生き物が多いですね。見映えでメスの関心を惹くのでしょう。しかし、一方、オス同士の激しい戦いを経て、勝者だけがメスと交われる、つまり子孫繁栄のために強い肉体と闘争本能が求められる種類もあります。オスは見映えが肝心、いや、オスは強くなければ生きていけない。さあ、人間のオスは、どうあるべきなのでしょうか・・・幸いなことに、十人十色、“Chacun a ses goûts.”が受け入れられる余地があります。強く生きたい男、美しくありたい男。そして、それぞれを支持する女性たち。似た者同士であれば、外野がとやかく言う必要はないのかもしれません。しかし、似た者同士で終生連れ添うことができるのは、意外と少ないのではないでしょうか。似た者同士と思っていたら、実は価値観が違っていたり・・・人生、ままなりませんね。

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