ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

取り調べ中の死亡事故、警官にはお咎めなし。その背景は・・・

2011-12-04 21:11:50 | 社会
足利事件や布川事件という冤罪事件、そして厚労省の村木元局長に対する証拠改ざん事件などを通して、取り調べや裁判における公平性について疑義が生じています。警察官による誘導尋問、検察にとって都合の悪い証拠の隠匿・・・そうしたことを解決するために取り調べの可視化が求められていましたが、完全可視化には至っていません。

戦前では、言うまでもなく、状況はさらに悲惨。少し前に『蟹工船』で再び脚光を浴びた作家・小林多喜二が取り調べ中に死亡するなど、取り調べに関わる多くの疑惑が残されています。

こうした取り調べ中における被疑者の死亡、日本に限ったことではないようです。しかも、人権の国・フランスでは、この21世紀でも起きている・・・11月30日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

アムネスティ・インターナショナル・フランス(Amnesty International France)は、取り調べ中に死亡した5人の例を引き合いに、暴力を振るったと疑われる警官が罪を受けていないことを批判するとともに、取り調べにおける公平性を求めた。取り調べ中の死亡事件に関するレポートを公表するにあたって、アムネスティのヨーロッパ事務局長、パトリック・ドゥルヴァン(Patrick Delouvin)は、「5人の取り調べは、はじめはごくありふれたものだったが、最終的にはとんでもないことになった。尋問開始から1時間で死亡したケースもある」と述べているが、「警官に職務逸脱があったというものではない」ことを強調している。

しかし、「いくつかのケースにおいては、死亡後何年も経過しているにもかかわらず、裁判が行われることはなく、関係した警察官は相変わらず通常勤務をしており、懲戒手続等も行われていない」と、アムネスティの調査員、Izza Leghtasは述べている。

アルジェリア人、アリ・ジリ(Ali Ziri)、69歳の場合は、2009年、アルジャントゥーイユ(Argenteuil)市で交通取り締まりに基づく尋問を受けた後で、窒息死している。また、モロッコ人、モハメッド・ブクルルー(Mohamed Boukrourou)、41歳は、ヴァランティニェー(Valentigney)市で、同じく2009年、取り調べ中に心不全で死亡した。二人のケースによって、構造的な問題、特に関係した警察官が不問に付されるという問題が明らかになっていると、アムネスティ・インターナショナル・フランスのジュヌヴィエーヴ・ガリゴ(Genevière Garrigos)事務局長は指摘している。

アムネスティは、検察と予審判事に、有効で公正な取り調べをより短時間で行うよう求め、また、内務省には取り調べにおける危険な身体的拘束(締め付け)を禁止すること、警察官への人権教育をより徹底すること、問題を起こした警官には自動的に停職処分か懲罰を科すよう要求している。

マリ人、アブ・バカリ・タンディア(Abou Bakari Tandia)、38歳は、クールブヴォワ(Courbevoie)市で2004年、警察署内で意識不明となり、その後死亡している。関係者は当然、訴追されるべきだと、弁護士のヤシヌ・ブズルー(Yassine Bouzrou)は主張し、「関わった警察官は司法の取り調べを受けておらず、警察と司法はそれでいいとお互いに納得している」と、語っている。

内務省と司法省は、11月29日の夜の時点で、何ら反応を示していない。5人が死亡した後、その残された家族にとって、捜査が終わらない限り、人生は宙に浮いたままであり、公判は未だ行われていない。「警察や検察に対する評価や信頼は、はなはだしく傷ついている」と、Izza Leghtasは述べている。

・・・ということで、アムネスティが指摘している取り調べ中の死亡事件は5件。詳細は3件しか明らかにされていませんが、どうも、2004年以降に発生しているようです。21世紀において、警察の取り調べ中に死亡した人が、少なくとも5人いる。しかも、その詳細が明かされることもなく、関わった警察官には一切お咎めがない。これで、人権が守られていると言えるのだろうか・・・という指摘がアムネスティ・インターナショナルからなされているようです。ただ、詳細が明らかでないだけに、警察側に落ち度があったとも、判断しかねる状況ではあります。

ところで、3件のケースからは、『ル・モンド』が指摘していない、もうひとつのことが見えてきます。それは・・・

アルジェリア人、モロッコ人、マリ人・・・3人とも、アフリカ出身、あるいはアフリカ系の2世。当然、皮膚の色も違うでしょう、骨格も異なっているでしょう、服装だって違っているかもしれません。“minorités visibles”、つまり、人種が、ち・が・う。この3つのケースは、たまたまそうなっただけなのでしょうか。それとも・・・

「白色人種の結束を乱してまで、黄色人種を支援することはない」・・・今、テレビ『坂の上の雲』で西田敏行演じる高橋是清が、そのようなことを言っていました。世界を知るほどに、そう思えてくるのかもしれません。

異なる人への違和感、嫌悪感、あるいは恐怖心・・・解消される日は来るのでしょうか。まずは、せめて日本国内において、異質を排除しないように心がけたいものです。異質な人や物があるからこそ、多様性が広がり、人生も面白くなる。そう思うのですが、どこまで異なることを受け入れることができるだろうかと自問すれば、つまらないことで言い争ってしまう日常が思い出され、100%受け入れられると胸を張れないことが哀しく・・・慙愧です。