「高い議員報酬、省庁の無駄遣い、慣例化した汚職を改めるだけでなく、派手でうるさい弁士の集まりから実務をこなす議会へと少しでも改めない限り、政治家憎悪はさらに深まるだろう」という文章が、11月14日の毎日新聞(電子版)に出ていました。
どこの国の話でしょうか・・・永田町のことかと思えてしまいますが、実は、ギリシャとイタリアの現状を紹介する記事からの抜粋です。こう似ていると、PIGSの次は、やはり日本か、と恐ろしくなってしまいます。
アメリカ大統領選挙の予備選の進展を見ていても、まるでモグラ叩き。誰かの支持率が急上昇すると、その立候補者のスキャンダルが発覚する。あるいは、自ら墓穴を掘る。他にいないのか、といった状況を呈しています。政界に、人材がいない。では、どこにいる、と問われてしまうと、思わず答えに窮してしまいます。金融界でしょうか、学界でしょうか・・・日本では科学技術の研究者の中に多くの人材がいると言えるのですが、かといって国の舵取りはどうでしょうか・・・
多くの国々で、市民の政治不信は高まるばかり。政治家不要論まで聞こえるほどですが、その政界では相変わらずの内輪もめ。コップの中の嵐です。
そのコップの中の嵐、フランス政界でも、もちろん起きています。来年は大統領選の年。そう言えば、来年はフランス以外にも、アメリカ、韓国で大統領選挙があり、中国では国家主席&首相の交代が予定されています。流れに乗って、日本の首相も、また交代してしまうのでしょうか・・・内閣支持率が、今年もまた、年末へ向けて下降して来ています。二度あることは、三度ある??? いや、五度あることは、六度ある!!!
さて、肝心のフランス。大統領選へ向けて、各党の非難合戦が始まっていますが、さらに小さなコップ、左派陣営の中でも、合従連衡をにらんで、さまざまな駆け引き、足の引っ張り合いが行われています。
2008年に、社会主義者(socialiste)・エコロジスト(écologiste)・共和主義者(républicain)の統合を目指して社会党を離党し、左翼党(Parti de gauche)を設立したメンバーの一人、ジャン=リュック・メランション(Jaen-Luc Mélenchon:元上院議員、現欧州議会議員)が左翼陣営の一部を糾合して左翼戦線(Front de gauche)の統一候補として、大統領選に立候補しています。
そのメランションが批判しているのが、古巣・社会党の公認候補、フランソワ・オランド(François Hollande)。どのように非難しているのでしょうか。13日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
嵐の海に漕ぎだす足踏みボートの船長(un capitaine de pédalo dans la têmpete)。左翼戦線の候補者、ジャン=リュック・メランションは、13日の週刊紙“Journal du dimanche”に掲載されたインタビューで、このように社会党の候補、フランソワ・オランドを形容している。メランションは、特にオランドの中道寄りの路線(une ligne centriste)を批判している。
メランションから見れば、オランドはその社会自由主義(sociale-libérale)への固執をきれいな言葉やジョークで包んでいるだけだ。「しかし、左翼が選挙で勝ったのは、左翼本来の路線に立った時であり、中道寄りの立場で戦った時には、負けている。嵐の中に踏み出そうとしている今、左翼はどうして、オランドのような足踏みボートの船長を選ぶのだろうか。自分は、左翼が勝利できるよう、左翼の立場で立候補しているのだ」と、メランションは語っている。
現在、原子力を争点に社会党(PS)とヨーロッパ・エコロジー緑の党(EELV)が投票での協力を模索しているが、メランションはその原子力についての国民投票を提案している。そして、両党の原子力をめぐる立場の違いを嘆いている。
「片や、オランドは原子力を継続すると一人で決めてしまった。一方、頑固なエコロジストたちは原子力から脱却すべきだと譲らない。しかし、ついには、彼らが原発と選挙区(選挙協力)を交換することに気づくことになる。まったく、愚かなことだ(la carabistouille)」と、メランションは一刀両断に批判している。そして、国民投票を行う場合、事前に国民的論議が必要だと付け加えている。
オランドに近いピエール・モスコヴィシ(Pierre Moscovici:下院議員)は、足踏みボートの船長というメランションの評価を受け入れはしない。“Radio J”の番組で、モスコヴィシは「メランションの用いた表現には驚いた。大きな誤りだ。しかも、右翼がよく使う、穏やかな海の船乗り(le marin d’eau douce)というテーマの二番煎じであり、まったくの的外れだ。この表現は、“UMPS”(UMPとPSをつなげた表現で、どちらも立場的にはあまり違わない、と非難する時に用いられる表現で、特に極右の国民戦線や右派のフランス運動が使います)と同じだ。メランションのように、いみじくも左派の候補者であるなら、同じ左派の社会党候補についてこのような言及を行うべきではない。右派や極右を除いて、このような批判を聞いて誰が喜ぶだろうか」と述べている。
「フランソワ・オランドは、自分のペースを守り、どこへ向かうべきかを心得ている人間だ。経験も十分にあり、国家意識も持ち合わせている政治家だ。横暴なリーダーであるニコラ・サルコジとは大違いだ。オランドは、統合を目指している。しかし、多くの意見を集約するタイプだからといって、決断力に欠けているわけではない」と、モスコヴィシは続けている。
・・・ということで、同じ左派陣営から、足踏みボートの船長と揶揄されたフランソワ・オランド。しかし、側近は、多くの意見を集約していくタイプだが、経験も十分、決断力も申し分ない、と反論しています。さて、実際は・・・
ところで、ジャン=リュック・メランションが提案している、原子力に関する国民投票。イタリアでは今年6月に実施され、原発凍結賛成、つまり運転再開に反対する票が94.05%に達しました。日本でも、できないものでしょうか。
「日本でも原発の是非を問う国民投票は実施可能なのだろうか。総務省などによると、現状のままではできない。通称「憲法改正国民投票法」が2010年5月に施行されているだけで、憲法改正についてのみ、国民投票が実施できることになっている。自治体単位で行われる住民投票は別物だ。」
(6月15日:J-castニュース)
ということで、現状では、憲法改正以外で国民投票を行うのは無理。そこで、次のような取り組みが行われているようです。
「原子力発電の是非を問う住民投票の実現を――。12月1日から東京都と大阪市で署名集めを始める市民団体が呼びかけに力を入れている。著名な作家や俳優らも活動の先頭に立っている。
「原発は暮らしや命を左右する重要なテーマ。是非を決めるのは国や電力会社でなく、住民の直接的な投票であるべきだ」
東京都内で14日に記者会見したジャーナリスト今井一さんは、そう訴えた。東京電力福島第一原発事故を受けて6月に発足した市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」(事務局・東京)の事務局長。17日には、来月に市長選を控える大阪市でも会見を開き、「次の選挙で選ばれる大阪市長や関西電力だけが決めるのは間違っている」と語った。
有権者の50分の1以上の署名が集まれば、首長に条例の制定・改廃などを直接請求できる。同団体は住民投票条例の制定を求めて署名活動に乗り出す。東京では21万4千人の署名が必要で、12月1日から請求代表人が渋谷、新宿、池袋などの街頭に立って署名を募る。東京・生活者ネットワークは生活協同組合の組合員らにも協力を求める。今井さんは「無効分を見込んで30万人分を目標とし、12月中に達成したい」と語る。
(10月17日:朝日新聞・電子版)
原子力は、フランスの左派陣営での選挙協力の可否を決める争点になっています。減原発や脱原発を決めた国もあります。さて、日本は? 明確な結論が出されないうちに、ストレステストは行われるものの、なし崩し的に運転再開が決まって行きます。そうです、なし崩し的に・・・今まで、幾度となく見せつけられてきた日本独特の解決方法。こうした政治手法が、今日では政治不信に拍車をかけているのではないかと思うのですが、それとも、これで今回もうまくいってしまうのでしょうか・・・
どこの国の話でしょうか・・・永田町のことかと思えてしまいますが、実は、ギリシャとイタリアの現状を紹介する記事からの抜粋です。こう似ていると、PIGSの次は、やはり日本か、と恐ろしくなってしまいます。
アメリカ大統領選挙の予備選の進展を見ていても、まるでモグラ叩き。誰かの支持率が急上昇すると、その立候補者のスキャンダルが発覚する。あるいは、自ら墓穴を掘る。他にいないのか、といった状況を呈しています。政界に、人材がいない。では、どこにいる、と問われてしまうと、思わず答えに窮してしまいます。金融界でしょうか、学界でしょうか・・・日本では科学技術の研究者の中に多くの人材がいると言えるのですが、かといって国の舵取りはどうでしょうか・・・
多くの国々で、市民の政治不信は高まるばかり。政治家不要論まで聞こえるほどですが、その政界では相変わらずの内輪もめ。コップの中の嵐です。
そのコップの中の嵐、フランス政界でも、もちろん起きています。来年は大統領選の年。そう言えば、来年はフランス以外にも、アメリカ、韓国で大統領選挙があり、中国では国家主席&首相の交代が予定されています。流れに乗って、日本の首相も、また交代してしまうのでしょうか・・・内閣支持率が、今年もまた、年末へ向けて下降して来ています。二度あることは、三度ある??? いや、五度あることは、六度ある!!!
さて、肝心のフランス。大統領選へ向けて、各党の非難合戦が始まっていますが、さらに小さなコップ、左派陣営の中でも、合従連衡をにらんで、さまざまな駆け引き、足の引っ張り合いが行われています。
2008年に、社会主義者(socialiste)・エコロジスト(écologiste)・共和主義者(républicain)の統合を目指して社会党を離党し、左翼党(Parti de gauche)を設立したメンバーの一人、ジャン=リュック・メランション(Jaen-Luc Mélenchon:元上院議員、現欧州議会議員)が左翼陣営の一部を糾合して左翼戦線(Front de gauche)の統一候補として、大統領選に立候補しています。
そのメランションが批判しているのが、古巣・社会党の公認候補、フランソワ・オランド(François Hollande)。どのように非難しているのでしょうか。13日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
嵐の海に漕ぎだす足踏みボートの船長(un capitaine de pédalo dans la têmpete)。左翼戦線の候補者、ジャン=リュック・メランションは、13日の週刊紙“Journal du dimanche”に掲載されたインタビューで、このように社会党の候補、フランソワ・オランドを形容している。メランションは、特にオランドの中道寄りの路線(une ligne centriste)を批判している。
メランションから見れば、オランドはその社会自由主義(sociale-libérale)への固執をきれいな言葉やジョークで包んでいるだけだ。「しかし、左翼が選挙で勝ったのは、左翼本来の路線に立った時であり、中道寄りの立場で戦った時には、負けている。嵐の中に踏み出そうとしている今、左翼はどうして、オランドのような足踏みボートの船長を選ぶのだろうか。自分は、左翼が勝利できるよう、左翼の立場で立候補しているのだ」と、メランションは語っている。
現在、原子力を争点に社会党(PS)とヨーロッパ・エコロジー緑の党(EELV)が投票での協力を模索しているが、メランションはその原子力についての国民投票を提案している。そして、両党の原子力をめぐる立場の違いを嘆いている。
「片や、オランドは原子力を継続すると一人で決めてしまった。一方、頑固なエコロジストたちは原子力から脱却すべきだと譲らない。しかし、ついには、彼らが原発と選挙区(選挙協力)を交換することに気づくことになる。まったく、愚かなことだ(la carabistouille)」と、メランションは一刀両断に批判している。そして、国民投票を行う場合、事前に国民的論議が必要だと付け加えている。
オランドに近いピエール・モスコヴィシ(Pierre Moscovici:下院議員)は、足踏みボートの船長というメランションの評価を受け入れはしない。“Radio J”の番組で、モスコヴィシは「メランションの用いた表現には驚いた。大きな誤りだ。しかも、右翼がよく使う、穏やかな海の船乗り(le marin d’eau douce)というテーマの二番煎じであり、まったくの的外れだ。この表現は、“UMPS”(UMPとPSをつなげた表現で、どちらも立場的にはあまり違わない、と非難する時に用いられる表現で、特に極右の国民戦線や右派のフランス運動が使います)と同じだ。メランションのように、いみじくも左派の候補者であるなら、同じ左派の社会党候補についてこのような言及を行うべきではない。右派や極右を除いて、このような批判を聞いて誰が喜ぶだろうか」と述べている。
「フランソワ・オランドは、自分のペースを守り、どこへ向かうべきかを心得ている人間だ。経験も十分にあり、国家意識も持ち合わせている政治家だ。横暴なリーダーであるニコラ・サルコジとは大違いだ。オランドは、統合を目指している。しかし、多くの意見を集約するタイプだからといって、決断力に欠けているわけではない」と、モスコヴィシは続けている。
・・・ということで、同じ左派陣営から、足踏みボートの船長と揶揄されたフランソワ・オランド。しかし、側近は、多くの意見を集約していくタイプだが、経験も十分、決断力も申し分ない、と反論しています。さて、実際は・・・
ところで、ジャン=リュック・メランションが提案している、原子力に関する国民投票。イタリアでは今年6月に実施され、原発凍結賛成、つまり運転再開に反対する票が94.05%に達しました。日本でも、できないものでしょうか。
「日本でも原発の是非を問う国民投票は実施可能なのだろうか。総務省などによると、現状のままではできない。通称「憲法改正国民投票法」が2010年5月に施行されているだけで、憲法改正についてのみ、国民投票が実施できることになっている。自治体単位で行われる住民投票は別物だ。」
(6月15日:J-castニュース)
ということで、現状では、憲法改正以外で国民投票を行うのは無理。そこで、次のような取り組みが行われているようです。
「原子力発電の是非を問う住民投票の実現を――。12月1日から東京都と大阪市で署名集めを始める市民団体が呼びかけに力を入れている。著名な作家や俳優らも活動の先頭に立っている。
「原発は暮らしや命を左右する重要なテーマ。是非を決めるのは国や電力会社でなく、住民の直接的な投票であるべきだ」
東京都内で14日に記者会見したジャーナリスト今井一さんは、そう訴えた。東京電力福島第一原発事故を受けて6月に発足した市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」(事務局・東京)の事務局長。17日には、来月に市長選を控える大阪市でも会見を開き、「次の選挙で選ばれる大阪市長や関西電力だけが決めるのは間違っている」と語った。
有権者の50分の1以上の署名が集まれば、首長に条例の制定・改廃などを直接請求できる。同団体は住民投票条例の制定を求めて署名活動に乗り出す。東京では21万4千人の署名が必要で、12月1日から請求代表人が渋谷、新宿、池袋などの街頭に立って署名を募る。東京・生活者ネットワークは生活協同組合の組合員らにも協力を求める。今井さんは「無効分を見込んで30万人分を目標とし、12月中に達成したい」と語る。
(10月17日:朝日新聞・電子版)
原子力は、フランスの左派陣営での選挙協力の可否を決める争点になっています。減原発や脱原発を決めた国もあります。さて、日本は? 明確な結論が出されないうちに、ストレステストは行われるものの、なし崩し的に運転再開が決まって行きます。そうです、なし崩し的に・・・今まで、幾度となく見せつけられてきた日本独特の解決方法。こうした政治手法が、今日では政治不信に拍車をかけているのではないかと思うのですが、それとも、これで今回もうまくいってしまうのでしょうか・・・