ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

ボジョレ・ヌーヴォーを飲んだら、次は、どこへ・・・

2011-11-17 21:23:28 | 社会
今日、11月の第三木曜日は、“Beaujolais nouveau”の解禁日。毎年飲まずにはいられない、という方もいらっしゃることでしょう。今年は、50年に一度と言われた当たり年、2009年にも匹敵する出来だそうですから、飲む前から、垂涎。とは言うものの、50年に一度が一年おきというのも、「?」ですが、その年のブドウの出来を確かめる試飲酒、お天道さま次第では素晴らしい出来の年が続くこともあるのでしょう。

しかも、今年は、1951年の官報でワインの解禁日が決められてから、つまり、“Beaujolais nouveau”の誕生から60年。ただし、当初は日にちが明確には決まっておらず、年によって変わっていたそうですが、1967年に11月15日に決められました。しかし、それでは週末にあたる年も出てくる。日曜日にはスーパーや商店などが閉まってしまうフランスのこと、週末では商売に影響すると、1985年に11月の第三木曜日に決められたそうです。

という蘊蓄はともかく、今年のボジョレ・ヌーヴォーをお楽しみ下さい。その後は・・・飲んで、食べたら、その後は、出すものを出さないと。ということで、今日の話題は、強引ですが、トイレ。「うんちく」の後だけに、「うん」の話???

トイレといっても、そこは文化の香るフランスのこと、「トイレと読書」というテーマです。スカトロジーの好きな方には、残念です。

日本のトイレの個室にも、読み終えた新聞や雑誌がよく置き去られていますね。そんなのを読んでいるから時間がかかると言われながらも、なかなか止められないトイレでの読書。しかし、トイレでの読書が、健康に影響を及ぼすことはないのだろうか・・・こうしたテーマを追求している研究者もいらっしゃるそうです。

そうした研究結果を4日の『ル・モンド』(電子版)が紹介しています。健康に、どう影響しているのでしょうか・・・

宇宙の果てからセックス・クラブまで、科学の研究対象から逃れることのできる領域はない。トイレも例外ではない。国王も一人で行くと思われるトイレでさえ、研究者はその後を追う。排便のさまざまな習慣が、便秘や痔など健康にどう影響を及ぼすのか、追求されている。しかし、ひとつだけ、トイレに関する習慣で研究されてこなかったことがある。トイレでの読書だ。

1989年、有名な専門誌“The Lancet”で、このテーマに関するちょっとした論争があった。ある記事が、読書は通便を妨げると批判した。頭脳活動が基本的な肉体活動を邪魔すべきではない、というわけだ。読書は、食事をしながら、トイレで息張りながら、セックスをしながら、サッカーをやりながら、やるべきではない・・・しかし、反対の意見が2009年に発表された。

“Neurogastroenterology & Mobility”という雑誌に発表された、イスラエルの研究者たちによる文章だ。6人の医師が、500人ほどを対象に調査を行った。質問内容は、トイレで読書をする習慣があるか、トイレに座ってどのくらいの時間を過ごすか、トイレに何回くらい行くか、排便時にどのくらい力むか、肛門の状態はどうか、便の状態はどうか・・・最後の点に関しては、有名な「ブリストル便形状スケール」(l’ échelle de Bristol:1997年にイギリス・ブリストル大学のKen Heaton博士によって公表された等級で、本来の英語ではThe Bristol Stool ScaleあるいはMeyers Scaleと表記されています)によって、小さな砂利のような形・硬さの「スケール1」から水のような「スケール7」までに分類して調べた。

ちょっとユニークなこの調査の結果は・・・至って平凡なものだった。調査対象者の約半数がトイレで読書をする習慣をもっていた。その読書家のプロフィールは、若い男性で、学歴が高く、宗教に熱心ではない、というものだ。逆に、女性、高齢者、農業従事者、工員、信心深い人にはトイレで本を読む傾向はあまりなかった。しかし、この傾向は読書に対する一般的傾向が反映されているのではないか。

トイレでの読書が健康にとって良いのかどうかという質問に戻れば、ウイでもノンでもないという結論になった。トイレでの読書により、ごく僅かに便秘が減り、ごく僅かながら痔が増える、という影響だけだ。読書にはリラックス効果があり、プルーストやジョイスが描写するような便秘に悩む人には良い効果があるのではないかという仮説を立てていた医師たちには、がっかりする結果となった。

*プルースト(Marcel Proust)の『失われた時を求めて』(A la recherche du temps perdu)には、「十五年おきにやっと一つ、一幕ものかソネットをしぼり出す便秘作家」という一文があり、ジョイス(James Joyce)の『ユリシーズ』(Ulysses)では、「昨日の軽い便秘はどうやら解消した。頼むぜ、あまり大きいと痔になってしまう。いや、ちょうどいい。そう、ああ!便秘薬。カステラ・サグラダを一錠。」という文章に出会います。

医師たちは、トイレで本や新聞を読むことには治療効果はなく、単に時間を過ごすだけだと結論付けるしかなかった。この結論は、チェスターフィールド卿(Philip Chesterfield)を思い出させる。彼はその名著『父から息子への手紙』の中で、次のように書いている。

「時間の使い方の上手な人間は、トイレで過ごさざるを得ないわずかな時間さえも無駄にはしない。そのわずかな時間を、ラテン語の詩の復習に充てたものだ。例えば、ホラティウス(古代ローマ時代の詩人、BC65~BC8。『詩について』が有名。仏語表記は、Horace)の普及版を買い、数ページをちぎってはトイレに行き、それを読み始める。読み終えるとその紙をお尻の方へ持っていく・・・その時間を得したというものだ。息子よ、君にもこの例に倣うよう勧める。しないわけにはいかないことができて満足する、それ以上の行為となるのだから。」

文学的スカトロジーに最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。なお、水洗を流すことをお忘れになりませんように・・・ジャーナリスト、ピエール・バルテレミー(Pierre Bathélémy)

・・・ということで、トイレで何かを読むからといって、特に健康に影響があるわけではないようです。そうであれば、詩の復習でもしたらどうか・・・しかし、読むものが堅くては、出るものも硬くなってしまいそうで、やはり、新聞や雑誌になってしまうところが、凡人たるゆえんと、反省です。

ところで、チェスターフィールド卿は、読んだ本のページでお尻を拭くと言っていますが、紙が硬くては痔になってしまいそうと思うのですが、そうならないところを見ると、トイレット・ペーパーとして十分な柔らかさがあるのでしょうね。さすがは、イギリス。なにしろ、紙の質が文明の高さを物語る、という意見がありますから。

薄く、それでいて丈夫な紙が作れる国の文明は進化している。逆に厚くて、ごわごわ、それでいてすぐ切れてしまう紙しか作れない国は、近代文明の面で後れを取っている。そのような主張を聞いたことがあります。確かに、本や辞書の紙質を見ると、お国ぶりがはっきり出ています。日本の紙はと言えば、その薄さ、丈夫さ、特筆ものですね。文明の発展ぶりをよく物語っています。

しかし、その日本のトイレには「備え付けのペーパー以外は水に流さないでください」という表示がよくあります。もちろん、タバコの吸い殻やその他の固形物を流さないで、ということなのでしょうが、別の紙もダメとすると、日本では、チェスターフィールド卿の勧めるやり方は、やってはいけないのでしょうか。でも、読むのが新聞や雑誌では、紙質も本や辞書よりは硬そうですし、インクさえ付いてしまいそう。止めておいた方が、無難ですね。

最後のオチを探したのですが、トイレに流してしまったのか、見つからないので、今日のところは、これまで。
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