ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

“ZUS”がこれからのキーワード。フランス、都市と移民の問題。

2010-12-20 21:06:31 | 社会
フランスの大都市郊外、そこの住民には移民や外国人が多く、ここは、どこ?という風景に出合うことがよくあります。“les minorités visibles”(外見上でわかる少数民族)のアフリカ系、中近東系。パリの北から北東にかけての郊外でも、こうした移民、外国人が多く、「花の都」とは程遠い街並みになっています。

私がパリで最初に住んだのは、パリの東郊、メトロ1号線の“St. Mandé Tourelle”(サン・マンデ・トゥレル)という駅から徒歩4分のところ。駅の周辺にはスーパーが2軒あり、銀行もカフェもある。水曜と日曜の週2回マルシェも立つ。そんな便利なところでしたが、住所が、Vincennes St-Mandé(ヴァンセンヌ・サン・マンデ)市ではなく、道路1本の差で北隣のMontreuil(モントルーイユ)市。この道路1本の差が大きい。ヴァンセンヌ・サン・マンデ市は、ヴァンセンヌの森に隣接した“banlieue chic”と呼ばれる、白人の中産階級を中心とした落ち着いた住宅街。それが、モントルーイユ市に入ると・・・

モントルーイユ市から北が有名なSeine Saint-Deni(セーヌ・サン・ドニ)県。その郵便番号から、“93”(quatre-vingt-treizeとか最近ではneuf-trois)と言われる移民の多い地域。滞在許可証の取得をするにも、まず申請の予約を取り、次に申請し、そして受理と3度も県庁のあるBobigny(ボビニー)に行かなければならないのですが、滞在許可証を必要とする人、つまり外国人が管轄地域に非常に多く、朝5時以前に並ばないと、その日の受け付け人数オーバーになってしまう。冬でも朝5時前に着くようにして行き、窓口の開く9時頃まで寒さの中をひたすら待つしかない。しかも、窓口が開けば、それまでの列はどこへやら、一気に押しくらまんじゅう状態に・・・しかし、滞在許可証を取得する外国人はまだいい方で、不法滞在者も多い。従って、さまざまな問題が起きやすい。2005年に起きたパリ郊外の騒動では舞台の一つになりました。今でも毎晩のように路上のクルマに火がつけられているようです。

こうした都市近郊の外国人が多く住む地域を、一般的には“les quartiers sensibles”(微妙な問題を抱えるエリア)と呼んでいますが、そうした地域の現状を“l’Observatoire national des zones urbaines sensibles”(Onzus:国立微妙な問題を抱える都市部研究所といった意味)という機関が2009年に調査し、その速報を15日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。なお、この施設の名前に冠されているように、“les zones urbaines sensibles”、略して“ZUS”が公式な呼び名なのか、『ル・モンド』も記事の本文ではこの呼び方を採用しています。メディアでの使用を通して、この単語が今後、一般的になってくるかもしれないですね。

Onzusの調査結果で、まず瞠目すべきは、失業率の高さだ。微妙な問題を抱える都市近郊地域においては、若年男性の43%、若年女性の37%が失業中である。その率は、生産年齢人口全体でも18.6%に達している。フランス全体の失業率の約2倍になる。社会最低手当(les minimas sociaux)の受給者の割合も全国平均の2倍、貧困層(les personnes vivant en dessous du seuil de pauvreté)が同じく2倍、普遍的疾病給付(la couverture maladie universelle:CMU)加入者は3倍・・・失業、教育、健康、治安、さまざまな分野で事態は悪化しており、解決が急がれる。

もう一つの大きな問題が、犯罪。ZUSにおいて警察への届け出があった犯罪は2005年と比べ11%減少している。しかし、この減少傾向は窃盗などの頻発するものの被害が甚大でない軽罪が減少したことによるもので、人間の身体に危害を与える犯罪は逆に7%も増えている。

・・・というレポートなのですが、失業と犯罪は特に大きな問題です。就職を例にとっても、以前は名前でその出自が判断され、アフリカ系・中近東系などの人たちが面接にまでたどり着けないと問題になっていましたが、最近ではヨーロッパ系の苗字でも住所がZUSにあると、やはり就職でマイナスの影響を受けているそうです。

民族、宗教、文化・・・微妙な問題を抱えるフランスの大都市郊外。ほとんどのケースでこうしたエリアは都市の北から北東の郊外に位置しています。どうしてでしょう? パリを例にとると、産業革命以降、多くの工場が建設されました。その立地ですが、パリ市内は建物がびっしりですから、当然郊外。それも北から東の郊外が選ばれました。その立地のカギになったのは、実は、風向き。パリをはじめフランスの多くの地方では、南風や南西の風が強い。工場のばい煙を住宅地区に流入させないようにするには、風下の北、あるいは北東に工場を建設すればよい、となりますね。しかも、パリの場合、北の郊外ではセーヌの水運が利用しやすい。土地は平坦、地下水にも恵まれている。という訳で、パリの北から北東の郊外に多くの工場が立地したわけです。そこでの労働力として、まずはブルターニュ、アルザス、オーヴェルニュなど国内の他地域から人々が移住してきました。やがて、スペイン人、ポルトガル人、イタリア人などに変わり、そして、アフリカ系、中近東系に。フランス人やヨーロッパからの移民は、それなりに資産を貯めてこの工場エリアを抜け出ましたが、その後の移民たちが相変わらずそこにいわば隔離された状況でいます。

肌の色が違う、宗教が違う、文化が違う・・・違う人たちを隔離するだけでは、問題は解決しないどころか、いっそうこじれさせてしまうのではないでしょうか。イギリスがフランスよりも移民をめぐる問題が少ない一因は、同じエリア内でのイギリス人と移民との共存だとも言われています。

移民をどう受け入れ、どう共存していくのか・・・我らが日本でも、労働人口の減少分を補い、社会を活性化するためにも多くの若い外国人移民を受け入れるべきだという声が、次第に大きくなってきています。中には、1,000万人という案も民間から出されています。とりあえず受け入れて、問題が発生したら考えよう、という私たちの伝統的やり方では手遅れになってしまうのではないでしょうか。さまざまなケースを考慮に入れて、少しでも問題が軽減されるような方法をきちんと考えてから受け入れを始めるべきなのではないでしょうか。フランスが、反面教師になってくれるのかもしれません。

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