ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

「移民」は「国民」に含まれるのだろうか・・・ルペンとサルコジの違い。

2012-02-20 21:31:20 | 政治
ヒト・モノ・カネが国境を越えて移動するのが国際化・・・ひと昔、あるいはふた昔前に人口に膾炙した言い回しですが、人が動いて住みつけば、「移民」という問題が発生します。移民先進国は、この問題にどう対処しているのでしょうか。

昔、人種のるつぼとか、人種のサラダボールとか言われたアメリカでは、今、公用語をめぐる裁判が行われています。アメリカは英語、と思い込んでいましたが、連邦レベルでの公用語規定はないそうで、メキシコと国境を接する、ヒスパニックの多いある町では、英語能力が政争の具と化しているようで、それが大統領選にまで影響を与えています。

 米大統領選共和党候補の指名を争うロムニー氏やギングリッチ氏が訴えていることがある。「英語を公用語に」という主張だ。まるで日本の企業のようなスローガンだが、英語は米国の今日的な問題なのだ。
(2月19日:産経:電子版)

また、ソビエト連邦時代に、ロシア人が移民したバルト三国。その一つ、ラトビアでは、第二公用語をめぐる国民投票が行われました。

 旧ソ連のラトビアで18日、ロシア語をラトビア語に次ぐ「第2公用語」とする憲法改正の是非を問う国民投票が行われ、19日発表された暫定集計結果によると、賛成24.9%、反対74.8%で否決された。
(略)
 ラトビア語を「解放の象徴」ととらえ、ロシアの影響力拡大を懸念するラトビア系住民の大半が反対したとみられる。
(2月20日:時事:電子版)

また、移民の国でありながら、移民であるいわゆる白人たちが征服者のような状況を享受している旧白豪主義のオーストラリアでは、

 オーストラリアで先住民の存在を認めることを目的とした憲法改正の是非を問う国民投票が計画され、市民団体が19日にも提案を打ち出す。主要政党もおおむね賛同する姿勢だが、細部をめぐって意見の食い違いもあるようだ。
(略)
 シドニー大学のマーク・マッケナ准教授(歴史学)によると、同国の現在の憲法では、欧州の入植者が来る以前からオーストラリアに先住民がいた事実が否定され、アボリジニの存在は無視されているという。
(略)
 一方、先住民の権利を保証する条項については、象徴的な文言にとどめるか、法的拘束力を伴う文言を盛り込むかをめぐって温度差がある。
 ただ、超党派の支持がなければ国民投票は成功しないとの認識で関係者は一致しており、たとえ象徴的な文言にとどまったとしても、「オーストラリア先住民の存在を認めることは重要な一歩になる」と専門家は指摘している。
(1月19日:CNN:電子版)

と、先住民・アボリジニの存在自体が認められていないそうです。捕鯨に反対する前に、アボリジニの存在を認めたらどうだ、と言いたくもなってしまいます。

さて、では、今回のフランス大統領選挙では、移民はどのように扱われているのでしょうか。

右派は移民の増加に反対していますが、右派の中にも温度差はあるようです。一般的に、反移民と言えば極右の国民戦線(FN)の常套句のように思えてしまいますが、大統領選となると、極右票を取り込もうと現与党・UMP(国民運動連合)の候補者、サルコジ大統領が移民増加に明確なノンを表明しています。

一方、FN党首で大統領選候補者、マリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)は・・・19日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

マリーヌ・ルペンはポピュリスト的な言辞をエスカレートさせている。ニコラ・サルコジとの、2月19日のほぼ同時刻だが、お互い別の場所での論争で、FNの候補者であるルペンはポピュリズムと愛国心をまぜこぜにした演説を行った。

彼女は、民衆の蜂起と自由な国民の統合を幾度となく繰り返し、第一次大戦の際にフランス兵によって歌われた“Chant du départ”(出陣の歌)を二度引用した。

マリーヌ・ルペンは、会場に詰めかけた支持者たちに、新たな小道具、赤い紙を振りかざすよう呼びかけた。サッカーの審判が使うレッド・カードに倣ったもので、サルコジ大統領に今や退場すべき時だというメッセージを送るものだ。それに引き続き、二つの部屋に分かれた2,000人もの支持者たちは、退場、退場(dehors!)と、繰り返し叫んだ。

予想できたことだが、彼女はサルコジ大統領に対する最も辛辣な言葉をその後に残していた。サルコジ大統領が第1回投票の最大のライバルになると彼女は考えている(トップで決選投票へ進むのは社会党のオランド候補で、残りの一つの椅子をルペンとサルコジが争うと見ているようです)。「国民が与えた信頼をあざ笑うかのような人間に第1回投票で制裁を加えることは国民を喜ばせる行為とならないのであろうか。」熱狂する聴衆を前にこのように自問し、そして、「ニコラ・サルコジは死んだフランスの候補者だ(candidat de la France morte:サルコジ大統領の選挙スローガン、la France forteをもじったものです)」と評した。

マリーヌ・ルペンがサルコジ大統領の5年の任期を振り返る時、その辛辣さは決定的なものとなる。「サルコジは自らを国民の候補者だという。国民の知性に対するなんという侮辱だろうか。失政を行った大統領の国民への最大の侮蔑だ」と、彼女は言い放った。フランスがそこから脱け出さねばならないほどの失政を行った大統領の職責は、まさに略奪し、裏切り、しくじったようなものだと、ルペンは述べている。

彼女はサルコジ大統領の集会を放送する番組を観て、その後で自分の集会を終えるために演説を再開した。反サルコジの攻撃は1時間の演説の前半、30分に及んだ。

結局、マリーヌ・ルペンは孤軍奮闘を演じようとしたのだ。グローバルな銀行(banque mondialisée)の支持を得た2人の候補者(ニコラ・サルコジとフランソワ・オランド)に対するたった一人の抵抗者というわけだ。そして専門家やジャーナリストなどのエリートと対峙し、エリートの信用を失墜させ、フランス国民を守るただ一人の候補者だということになる。こうした言い回しは、父であり、国民戦線の前代表であるジャン=マリ・ルペンがよく使った犠牲者としての立場の強調(victimisation)であるが、マリーヌは最近まで使うのを嫌がっていた表現だ。

明快な筋立てのない演説で、大統領の椅子を目指すマリーヌ・ルペンは続いて奇妙なコンセプト、つまり「根付いた愛国心」(patriotisme enraciné)というものを提示した。グローバル化した金融資本主義に直面し、自らの肉体がある祖国に根ざした人々(hommes enracinés)という概念を持ち出したのだ。彼女にとって、自立した国民から一斉に起こる声は総力戦に対する唯一の防御壁となる。彼女の著書、“Pour que vive la France”で書いているように、“homo economicus”(ホモ・エコノミクス:経済活動 において自己利益のみに従って行動する完全に合理的な存在=ウィキペディア)や“consommateur compulsif”(コカコーラやマクドナルドをたらふく食べ、飲み、アディダスを履き、トレーナーを着、帽子を前後ろ反対に被るような脅迫的観念の消費者)の名を挙げ、彼らは多国籍企業を利するために、自らの歴史や伝統を忘れてしまっていると指摘した。

マリーヌ・ルペンはまた、共和国精神の擁護者たらんと欲している。しかし、あくまで彼女流の共和国だ。「共和国とはフランスそのものであり、本質的にフランス的であり、肉体的にもフランス的だからこそ普遍的であり得る」と語っている。新右翼の分析を呼び起こす信条とともに、ルペンは人々の相違に称賛を贈り、「違いが世界を素晴らしく、多様で、輝かしいものにしている」と述べ、「国民と人々の多様性が世界をこれほど素晴らしいものにしている」と語った。

マリーヌ・ルペンは続いて、驚くような余談を述べている。肉体的にもフランス的であるべきという彼女の「共和国」と矛盾を起こすような脱線だ。2006年にジャン=マリ・ルペンがヴァルミー(Valmy)で行った有名な演説を思い起こさせるような余談とも言える。耳の聞こえない人が聞くことができるように語られるべき厳粛な言葉だ。

「われらが母なるフランスは、そのすべての子たちを愛している。長子だろうと末っ子だろうと。先祖代々のフランス人も、最近フランス人に加わった人たちも。フランスのすべての子どもたちの間には、違いはない。移民の家系であろうと、大昔からのフランス人家系であろうと。フランス人がいるだけだ。生まれながらのフランス人にせよ、帰化したフランス人にせよだ」とマリーヌ・ルペンは語り、国民第一主義という彼女の主要政策の一つを繰り返し述べた(彼女の国民第一主義とは、社会保障にせよ住居にせよ、フランス国民に対してのみ提供するという政策)。

彼女の父、ジャン=マリが対独協力者でフランス解放時に銃殺刑に処された作家のロベール・ブラジヤック(Robert Brasillach)を紙上で引用した24時間後、彼女は逆説的な言い方を駆使して、新レジスタンス国民会議(nouveau Conseil National de la Résistance)の創設を訴えかけた。

・・・ということで、反移民の極右支持者の票を狙って、受け入れる移民の数をさらに減少させようというサルコジ大統領に対し、根っからのフランス人も、移民も、フランス国籍を持つ者は同じフランス人。一致団結して、グローバル化と闘おう。グローバル化の影響を受け、苦しんでいる人たちの唯一の理解者、ただ一人の支援者がマリーヌ・ルペンである、という極右・国民戦線の訴え。どちらがより多くのフランス人の心をとらえることができるのでしょうか。答えは、4月22日に出されます。2人のうち、どちらが第1回投票で2位となって、決選投票に進むのでしょうか。どうも、フランソワ・オランドの1位通過は動かし難いようです。しかし、政治の世界は、一寸先は闇にして、選挙は水もの。まさに、“On verra”ですね。

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