三陸鉄道でも景色を楽しむ
三陸鉄道は、紫陽花の「是非乗ってみたい!」という強い希望で計画に組み入れたもので、何の用事もないのに 普代 ~ 久慈(終点)間を往復してリアス式海岸の景色を堪能しました。乗車始点に普代駅を選んだ理由は、旅全体の時間的な行程と駅前での駐車条件から選択、行先の久慈駅はあまちゃんで有名な場所なので選んだものです。
三陸鉄道は、紫陽花の「是非乗ってみたい!」という強い希望で計画に組み入れたもので、何の用事もないのに 普代 ~ 久慈(終点)間を往復してリアス式海岸の景色を堪能しました。乗車始点に普代駅を選んだ理由は、旅全体の時間的な行程と駅前での駐車条件から選択、行先の久慈駅はあまちゃんで有名な場所なので選んだものです。
久慈駅は道の駅内に併設され、お客さんが出札窓口に近づくと担当店員が慌てて駅事務室に駆け込み切符を販売してくれます。列車が近づくとハッピ姿のままの店員さんがホームに駆け上がりにわか駅員さんになります。
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元 久慈市長 久慈義昭氏の発祥地の碑がある
観光列車は、観光客のために要所要所で徐行または停車して観望時間をとる配慮がなされていますが、夜や朝夕のラッシュ時間は通常運行です。ラッシュ時と言えども、高校生や通勤客が少し増えるだけです。
紫陽花は、記念(私達夫婦は晩婚ですが、実は結婚40周年記念旅行なので)に久慈特産の琥珀のネックレスを(highdy からのプレゼントとして)購入しました。
紫陽花は、記念(私達夫婦は晩婚ですが、実は結婚40周年記念旅行なので)に久慈特産の琥珀のネックレスを(highdy からのプレゼントとして)購入しました。
帰りの駅の階段で highdy が「ひょっとしたら・・・」と紫陽花に話していたら、本当に往きも帰りも同じ若い女性運転士(上の写真)でびっくり!(彼女も・・・)
しかも、昔 highdy が勤めた会社の子会社(現在は社名が変わっています。)が製造したのディーゼル列車で、彼女にも話したら大変喜んでいました。
しかも、昔 highdy が勤めた会社の子会社(現在は社名が変わっています。)が製造したのディーゼル列車で、彼女にも話したら大変喜んでいました。
どの宿も部屋と景色と食事に恵まれて
どの宿も海側、景色は最高でした。舌鼓(つづみ)で喉を喜ばす美味しい旅でした。(ブログ上では食べ物の写真が多いので宿の食事は割愛します。)
どの宿も海側、景色は最高でした。舌鼓(つづみ)で喉を喜ばす美味しい旅でした。(ブログ上では食べ物の写真が多いので宿の食事は割愛します。)
陸前高田市の再興された道の駅で安さに圧倒されました!「よくばり丼」や厚みが20㎜もある「かつ丼」(都内なら15%~20%以上アップ?)
新鮮な海産物で我が夫婦にとっては大歓迎! とにかく何処へ行っても朝から晩まで美味しい魚介類と海藻料理を十分に味わいました。
(4日間で体重はプラス 2 kg! 痩せるには1か月以上かかるのに・・・。ただの食べ過ぎか?! 反省!! サルでもする?)
初めの宿では何もかも無くなった陸前高田市の現在の状態、行った場所がすべて一望できます。悲しい景観ですね。
ホテルキャピタル1000からの展望
2番目の宿は、浄土ヶ浜パークホテルという景色が素晴らしいところで、最上階の一番眺めの良い場所が予約できましたが、天候が曇りでなければもっと良かったのに・・・。
以前にもありましたが、また今回も謀(はから)らずも天皇家と同じ宿に泊まることになりました。また、泊りたい宿が一つ増えました。
天皇家がお使いになった食器も展示(右中央)、眞子内親王殿下も・・・
パノラマ写真を撮り忘れました!(中央の白い山の下が「青の洞窟」)
最終日は、国民宿舎くろさき荘。価格は庶民的なのに和室+洋室+寛ぎスペースというちょっぴり贅沢な構成で、浴室に併設した洗面台と寛ぎスペースにも洗面台があり、トイレは浴室とは別なので便利です。冷蔵庫も金庫も、入浴・化粧セットも十分過ぎるほど配慮されており、”国民宿舎”なので共同トイレや大浴場もしっかり完備しています。メチャメチャお得感がありました。
宿の傍には陸中黒崎灯台があり、とても眺めの良い所です。
灯台もとからの眺め(宿からの眺めはどれも似た景色なので割愛)
まだまだご紹介していない観光地や景色の写真や旅のエピソードが多数ありますますが、また機会をみてアップしたいと思います。
こんなのを沢山造ったり、遺(のこ)すのが、復興工事ではない筈ですが・・・、確かに無いよりあった方がいいかも知れませんが、もっと地域住民に寄り添って考えた施策が必要と思う旅でした。
本日もご来訪いただきありがとうございました。
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いつも素晴らしい読後感想に感心しています。
上にも書きましたが、皆様に「懐かしさ」を提供しているようですね。
今回の三陸鉄道では、「あまちゃん」に出たような2両編成の楽しい絵をペインティングした列車は見ることができませんでした。
私のつまらない旅の記録が shima さんの懐かしい思い出を蘇らせるとは、面白いキッカケになったようで嬉しいことです。
何かのキッカケで記憶の彼方にあった事柄を思い出すことは、誰でもよくありますね。
200を超えると言われた「ミニ独立国」ブームになった小説の中の「吉里吉里国」は、たまたま実在の地名にあったようで、観光誘致の引き金として役立ったようです。
三陸鉄道。
どれもこれも、とても懐かしいです。
良い旅をされましたね。
皆様がお困りの様子が、よく解ります。これまで全国の自治体でも困っていました。所有者不明の土地・家屋が土地の収用・開発の足かせになっていますよね。
長年、全国で所有者不明の土地・家屋が問題になっていましたが、やっと本年の春、「所有者不明土地の解消に向けた民事基本法制の見直し(民法・不動産登記法等一部改正法・相続土地国庫帰属法)」に関する法律が成立しました。
特に災害などが発生して、所有者が亡くなったり、行方不明になった場合は大変だと思います。
でも、これからのんびり登記法を改正して?・・・では困りますよね。強力なリーダーシップがとれる政治家がいないお粗末な国ですから。呆れたものです。
私が最初に20年勤めた会社を退職し、弟と二人で立ち上げた会社が5年余りで閉鎖を余儀なくされ、その後1年半勤めた会社の若い女性たちの中には東北出身者が多く、各県から採用されていたようですが三陸の人たちもかなりいました。
陸前高田、釜石、宮古、遠くは久慈あたりの人も・・・
みんな素直ないい娘たちで、私を慕ってくれて仕事が順調にいったことも懐かしく思い出されます。
震災後は疎遠になった人もいますがこちらで結婚した人たちからは今も時々連絡があるのは東北人の人情を感じ嬉しいものです。
我が家へ遊びに来て大槌町の「吉里吉里国」の話を楽しくする様子や結婚式に招待され、新婚夫婦と一緒に出掛けたことなども懐かしい思い出として蘇りました。
大震災は、多くの皆さんが犠牲となり多くの施設が被災したため、私の同期や後輩が仙台で
事務所を開いていますが・・その相続手続きや
所有権の確認や相続人探しなど沢山の民間の事情
に阻まれて収用手続きも開発手続きも進みません
なので、私友人たちも、半分近く諦め状態
そして今になって、国は登記法の改正で令和6年
から施行の予定です。何をするにも準備も手配も
すべて他人事のように、のんびり・・まさに
お役所仕事です。でもその影には民間の相続や
権利やの確定・・など全国に散らばってしまった
人たちに・・いろんな業務の難しいことを
更に困難にしたいるのも事実、そこに住む人だけ
で決められことでもないのが・・辛いところです
しっかりした指導者が無くみんな面倒なことは
先送り・・変な国です。