平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

原爆が戦争を終わらせたのか(9)

2007年07月22日 | 原爆が戦争を終わらせたのか
【昭和天皇の役割】

経済力、軍事力、科学力で圧倒的な力を誇るアメリカと戦って日本が勝てる見込みは、最初からほぼゼロでした。

連合艦隊司令長官であった山本五十六は、アメリカを視察して、日米の国力を差を知悉していました。彼は近衛文麿首相に、

「〔日米戦を〕是非やれといわれれば、初めの半年や一年は、ずいぶん暴れてごらんにいれます。しかし二年、三年となっては、全く確信は持てません」

と述べていました。「初めの半年や一年暴れる」ために生まれたのが、真珠湾奇襲作戦でしたが、そんな勝利がいずれ雲散霧消することは時間の問題でした。

負けるに決まっているこんな無謀な戦争をどうして始めたのか、と後年の人々は考えるかもしれませんが、明治開国以降の日米の確執は、どうしても戦争という形でしか決着できない歴史的潮流に流されていたのです。伊藤整など、日米開戦当時の知識人の日記を読むと、戦争が始まったとき、多くの日本人が、頭上の暗雲が晴れたような爽快感を味わっていたことがわかります。

緒戦の大勝利が、ひょっとしたらアメリカに勝てるかもしれないという錯覚を日本人に与えてしまいました。戦局が悪化してきても、軍部は、天皇にも国民にも「大本営発表」という嘘の情報を流し続け、戦況の実態を隠蔽し続けました。(こういう情報隠蔽は現代でも続いています)

物量的に見たら、日本がアメリカに勝てるわけがないのに、軍部指導者はそれを精神力で補えると宣伝し、最後まで「神国日本」の敗北という考えを受け入れることができませんでした。沖縄が陥落したあとでも、本土決戦によってアメリカに一矢を報い、アメリカに国体護持を認めさせ、名誉ある停戦をしなければ、というのが軍首脳部の考え方でした。しかし、本土決戦などしていたら、日本はドイツ以上の悲惨な状況になっていたでしょう。

ヒトラーは自分の身を守るために、最後までドイツの降伏を許しませんでした。ようやく敗北が不可避になったとき、彼は、「ドイツは世界の支配者となりえなかった。ドイツ国民は栄光に値しない以上、滅び去るほかない」と言い、ドイツの全土を焦土と化すことを命じました。つまり、彼はドイツの全国民を地獄への道連れにしようとしたのです。

ソ連軍がベルリン市内に殺到し、市街戦になり、逃げ場を失ってもうどうしようもない状況になって、ヒトラーは4月30日に自殺しました。ヒトラーという最高権力者がいなくなったので、誰が代表になって連合軍に降伏するかもしばらく決められない混乱状態の中で、各地の軍がばらばらに降伏し、5月8日「頃」に戦争が終わったのです。無条件降伏するにも、降伏を命令する中心者が必要なのです。ドイツは日本のような整然とした降伏ができませんでした。

もし日本でも、天皇陛下がヒトラーと同じように、日本人は最後の一人まで戦え、と命じていたならば、日本人は本当に戦ったでしょう。日本人の多くは、天皇陛下の命令とあらば、死ぬ覚悟でいたからです。私の母は大正12年生まれでしたが、動員先の工場で8月15日の玉音放送を聴いたとき、ラジオの音が悪くて内容がよくわからず、最後まで頑張って戦うように、という内容だと思い、これで自分もまもなく死ぬのだ、と考えたといいます。

天皇陛下の命令がなければ、日本軍人は戦争をやめることができなかったのです。そのことは、戦後になっても、横井庄一さんや小野田寛郎さんなどが、ジャングルの中に潜んで戦い続けていたことを見ればわかります。

しかし、戦争を継続していたら、大空襲と原爆によってすでに大きく破壊されていた日本は、さらに破壊され、あと数発の原爆を投下され、ソ連に北海道だけではなく本州の一部までも占領され、戦後の東西ドイツ以上の悲惨な運命に見舞われていたことでしょう。

軍部が戦争という自分たちが敷いた軌道から自力で抜け出せない中にあって、これ以上戦うことの愚をはっきりと見抜いていたのが昭和天皇でした。

ポツダム宣言には天皇の身柄を保証する文言は何ひとつ入っていませんでした。もし日本が無条件降伏すれば、天皇が戦犯として処刑される可能性もあったのです。それを恐れるがゆえに、軍部はアメリカから国体護持の保証が得られるまでは徹底抗戦すべきだと主張したのです。それはそれなりに天皇を思う心ではありました。もし昭和天皇がヒトラーのような自己顕示欲と世界征服への欲望をいだいていた独裁者であれば、天皇もまた、軍部の方針に従い、自分の身柄の保証が得られるまでは国民に戦うことを命じ、最後はヒトラーと同じ運命を選んだはずです。

しかし、昭和天皇はご自分の身の安全よりも国民の生き残りを優先し、戦争をやめることを決断したのです。このことは実に偉大なことであって、昭和天皇の御聖断のおかげで、日本はさらなる荒廃をまぬがれ、ソ連の北海道への侵攻を防ぎ、ドイツのような分裂国家となる運命をまぬがれたのです。

8月14日の昭和天皇の第2回目の御聖断のあとも、一部の軍人は天皇の意志に逆らっても戦争を続けようとしました。彼らはクーデターを起こし、天皇の終戦の詔勅を録音した録音盤を奪おうとしました。彼らにとっては、天皇も、自分たちの思想を貫くための御神輿、看板にすぎないのであって、自分たちに都合が悪ければ、現天皇を廃して、自分たちの思うままになる天皇を即位させればよいと考えていたのです。

それは何も終戦の時だけの話ではなく、日本の歴史上、何回も起こっていたことでしたし、明治以降の近代史でもそうでした。

昭和天皇がいなければ、日本は原爆を落とされても、ソ連に侵略されても、戦争をやめることができなかったでしょう。その先に待ちうけていたのは、日本全体の玉砕でした。しかし、そんな玉砕は軍部の自己満足にすぎません。その軍部を押さえることができたのは、昭和天皇しかいませんでした。日本がドイツのような状態にならないで、整然と戦争をやめることができたのは、国民の幸福を思う昭和天皇のおかげだったのです。