平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

原爆が戦争を終わらせたのか(4)

2007年07月11日 | 原爆が戦争を終わらせたのか
【ソフト・ピースとハード・ピース】
1945年6月23日の沖縄陥落によって、日本の敗戦は、日本側にも連合軍側にも時間の問題となっていました。双方は、この戦争をどのように終結に持って行くか、という問題を真剣に考えはじめました。

戦争終結をめぐって、アメリカ側には「ハード・ピース」と「ソフト・ピース」という二つの考え方がありました。(上巻226頁)

〔ハード・ピース〕
 真珠湾のだまし討ち、フィリピンでの米軍捕虜虐待(バターン死の行進)、硫黄島や沖縄で激しい抵抗をやめない日本は、徹底的に屈服させ、ドイツと同じように無条件降伏させねばならない。軍国主義の中心である天皇も戦争犯罪人として処刑する。
 これを支持するのは、保守派、孤立主義者(モンロー主義者)、反共主義者で、その中心はバーンズ国務長官。

〔ソフト・ピース〕
 勝敗の帰趨が決した今、できるだけ流血少なく日本を降伏させるためには、「無条件降伏」というそれまでのスローガンを捨て、日本の軍部が戦争継続の根拠とする「国体の護持」=天皇制の存続を容認する。
 これを支持するのは、グルー国務次官、スティムソン陸軍長官などの知日派。

1939年にナチス・ドイツがポーランドを電撃的に侵略して第二次世界大戦が始まったとき、アメリカ国民は当初、遠いヨーロッパの戦争にアメリカが介入することに反対しました。そのようなアメリカの世論をひっくり返し、アメリカがヨーロッパ戦線に参戦するきっかけになったのが、日本の真珠湾攻撃です。アメリカは日本に宣戦すると同時に、日本と軍事同盟を結んでいたドイツとイタリアにも宣戦布告しました。アメリカは、それまで目立たない形で軍事支援していた英仏側に立って堂々と戦争することができるようになったのです。日本の真珠湾奇襲は、アメリカにとってまさに「渡りに船」だったのです。

真珠湾を「だまし討ち」されたアメリカの世論は、日本に対する憎悪に燃え上がりました。その後もアメリカでは、日本に対する憎悪をかき立てる宣伝が繰り返されました。日本でも「鬼畜米英」という宣伝が行なわれましたが、アメリカでも同じようなものだったのです。

その反日宣伝の一つが、「バターン死の行進」でした。これは、フィリピンのバターンで、トラックがなかったため米軍捕虜を歩かせて収容所に連れて行く途中に、大勢の米兵と警護の日本兵がマラリアで死んだ事件です。これはアメリカによって、日本軍による米軍捕虜に対する意図的な虐待事件として宣伝されました。

ルーズベルト大統領は、日本に対する憎悪を意図的に煽り立てたふしがあります。日本の真珠湾攻撃も、事前に察知していながら、あえて隙を見せてしかけさせたという説も、日本ばかりではなく、アメリカ人研究者からも出されています(ロバート・スティネット『真珠湾の真実』文藝春秋社)。

このような反日宣伝に洗脳されたアメリカの世論は、ハード・ピースを支持していました。そして、戦争の最高責任者である天皇ヒロヒトに対する憎悪も激しかったのです。天皇とヒトラーの違いすら、アメリカ国民の大多数は知りませんでした。

アメリカは民主主義の国で、国民の世論を重視せざるをえませんから、いったんそういう憎悪がアメリカ国民の間に根づくと、それは対日政策に大きな影響を及ぼすことになりました。