平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

第3回「ウォーター・フォー・ライフ・フェスティバル」(4)

2006年12月27日 | 江本勝と水からの伝言
もう一度昨年12月5日の『AERA』の記事に戻りますと、そこで山形大学助教授の天羽優子氏は、

「水が情報を記憶することはないし、どんな結晶ができるかについては既に中谷宇吉郎博士が解明済みで、言葉や音楽とは無関係」

と断定していますが、本当にそうでしょうか?

「水が情報を記憶することはない」ということは、現在までの科学的知見ではそうだということで、これからもそうであるかどうかわかりません。治部眞里・保江邦夫著『脳と心の量子論』(講談社ブルーバックス)は、脳内の水が情報を蓄えている、という仮説を提唱しています。これはまだ仮説ですから、証明されたわけではありませんが、しかしそのような可能性に理論物理学者が言及していることは注目に値します。

次に、「どんな結晶ができるかについては既に中谷宇吉郎博士が解明済み」というのは、中谷宇吉郎博士の雪の結晶の研究のことを指しています。私は中谷博士の研究については、『雪』(岩波文庫)という一般書しか知りませんが、そこに紹介されている雪の結晶写真と、江本氏の氷結結晶写真とはかなり違います。江本氏の写真のほうがはるかに多様ではるかに美しいのです。雪も水からできていますが、それは空中で水蒸気からチリを核として生成されます。江本氏は液体の水を凍らせてから写真を撮るのですから、雪とは結晶の生成のしかたが違います。雪の研究をもってきて、「既に中谷宇吉郎博士が解明済み」というのは、水の氷結結晶写真に対する反論にはなっていません。

江本氏を批判するWikipediaの記事は、こう述べています。

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彼らの実験で作られる雪花状の氷は、雪や霜と同様に「気相成長」でできたもの、つまり種となる氷に周辺の水蒸気がくっついてできたものである。ひと言で言えば、「小さな霜」である。したがって、結晶の形は中谷宇吉郎が研究した雪の結晶形の成長条件に従い、雪花状に成長するかどうかは温度と水蒸気量で決まる。形こそ雪花状であるが、雪や霜がそうであるのと同様、分子構造は普通の氷と同じである。
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つまり、江本氏が撮影している結晶は、検体の水ではなく、「周辺の水蒸気」が作っているものであるというのです。しかし、これは証明されていない主張です。もしそれを主張したいのであれば、検体となる水のない状態で、空中の水蒸気から氷結結晶が生成され、同じような結晶写真が撮れることを実証しなければなりませんが、それは簡単なはずです。寒くなると、空中の水蒸気が窓ガラスに霜を作ります。その霜を顕微鏡で撮影し、江本氏が撮影したのと同じような写真が撮れることを証明すればよいのです。江本氏のトンデモ科学を具体的な証拠で反証するのは簡単なはずなのに、科学者はなぜそれをしてくれないのでしょう。

中谷博士は『雪』の中でこう言っています。

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〔雪の結晶には角板形のものがあり、その内部には様々な模様があるが〕角板の内部の模様の成因如何というような些細な問題すら解決がついていないのである。そんな簡単なこと位、専門家は誰でも知っているかと思われるかも知れないが、ただ今の所では世界中のどの学者にきいて見ても分らないのである。もっともそういうつまらぬことは誰も研究をしないから分らないので、ちょっと研究すれば直ぐ分るはずだという議論も出るかも知れないが、子供に「どうして雪があんなに不思議な形をしているのか」と聞かれて、何とも返答の出来ぬのもちょっと考え物である。これは雪の場合と限らず、大抵の自然の珍しい現象はまだ殆どよく分っていないのである。(93頁)
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本当の科学者はこのように謙虚な姿勢で自然を探究しているのであって、自分で実験もしないで「そんなことは既に解明済み」などと安易には言わないものです。

江本氏は、水の結晶は、いったん凍った水が溶け始めるときに一瞬その姿を現わすのだ、と言っています。そうすると、結晶写真は、周辺の水蒸気も関係しているかもしれませんが、やはり検体の水の影響もある、ということになります。雪のデータで「既に解明済み」などと論じることはできません。

私は水が想念波動の影響を受けることは、ありうることだと思いますが、それが結晶写真の変化という形で出現するのかどうか、科学者ではないので断定はできません。江本氏の説は一つの仮説だと理解しています。科学者が具体的な実験を行ない、江本氏の仮説を検証してくれればありがたいと思います。次回はその具体的な実験方法について提案してみます。