平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ローマ法王の発言

2006年09月18日 | Weblog
ローマ法王ベネディクト16世の発言がイスラム世界で反発を呼んでいます。

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ローマ法王「聖戦思想」批判で釈明

 【ベルリン=黒沢潤】ローマ法王ベネディクト16世が神学講義でイスラム教の「ジハード(聖戦)思想」を批判したとして、イスラム諸国に反発が広がっている。バチカン(ローマ法王庁)は16日、「発言がイスラム教徒を攻撃するように聞こえたことを非常に遺憾に思っている」とする法王の釈明を出したが、事態が沈静化するか不透明だ。

 法王は12日、ドイツ南部レーゲンスブルク大学で講義をした際、「(預言者)ムハンマドがもたらしたのは邪悪と残酷さだけだ」とする中世ビザンチン帝国皇帝の言葉を引用、「暴力は神の本質に反する」と語った。



 ローマ法王が神学講義で語った問題の部分(抜粋)は以下の通り。

 私は以前、ビザンチン帝国のマヌエル2世パレオロゴス皇帝とペルシャ人が1391年に交わした対話に関する書籍を読んだ。皇帝は対話の中でジハード(聖戦)について言及した。宗教と暴力の関係について皇帝が語った内容はこうだ。「ムハンマドが新しくもたらしたものを私に見せよ。邪悪と残酷さであり、彼が教えた信条を剣で広めたということだ」

 皇帝はこう述べた後、なぜ暴力を通じて信条を広めることが非理性的であるかを説明した。暴力は神の本質に反するものである。皇帝はこうも語った。「神は血を喜ばないし、非理性的な行動は神の本質に反する。誰かに信条を伝えようとする者は暴力や脅威を使わずに、的確に理を説かなければならない。理を説くには武器は必要ない」

 書籍の編集者はこう語った。「ギリシャ哲学の素養がある皇帝は、理性に基づかずに行動することを神の本質に反すると知っている。だがイスラムの教えでは、神は絶対的に超越した存在だ。その意思はわれわれが理解できるものではない」

 今回の講義は(他宗教への)批判ではない。理性という概念を考えるためのものだ。そうすることで今、必要とされている宗教間の真の対話をすることが可能になる。(ベルリン 黒沢潤)
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http://www.sankei.co.jp/news/060916/kok013.htm

「神は血を喜ばないし、非理性的な行動は神の本質に反する。誰かに信条を伝えようとする者は暴力や脅威を使わずに、的確に理を説かなければならない。理を説くには武器は必要ない」――これは真理です。イスラム教徒はこの言葉を否定するのでしょうか? もしイスラム教徒が「信条を剣で広め」ることを正当化するのであれば、そのような宗教観念はオウム真理教とたいしてかわりありません。

ベネディクト16世が批判されるべきなのは、キリスト教もまた十字軍や異端審問という「信条を剣で広め」た過去があったことを、自己批判しなかった点です。イスラム教の中東諸国はキリスト教ヨーロッパ人の「暴力」によって植民地化され、石油という富が搾取されてきました。ヨーロッパ人の反ユダヤ主義がユダヤ人をパレスチナに追いやり、イスラエルという国の建国を助け、その地にいたパレスチナ人を難民にしました。キリスト教ヨーロッパが行なってきた諸々の罪を反省し、それを償うことなく、イスラム教徒の聖戦思想だけを批判してみても、イスラム教徒は納得できないでしょう。ベネディクト16世は、はからずもキリスト教ヨーロッパ人の心の中にぬきがたく潜んでいるイスラム教徒に対する敵意と優越感を漏らしてしまいました。

前法王のヨハネ・パウロ2世はキリスト教の過ちを率直に謝罪し、神に赦しを請いました。そのような謙虚な姿勢がなければ、宗教間の対話と協力は困難でしょう。