難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

「たったひとりのクレオール」は障害受容論に異議

2010年11月08日 09時00分35秒 | 社会福祉の学習
立岩真也の「たったひとりのクレオール―聴覚障害児教育における言語論と障害認識」(上農正剛氏著)の書評があった。

詳しくは後で補足したいが、障害受容論にむっとくる障害者がなぜ多いのかを、上農氏は著書で説く。

障害受容ではなく、障害認識が必要だと。

中途失聴・難聴者向け手話講習会の「指導」を話し合っている場でも同じことを話し合っていたので、すぐ「たったひとりのクレオール―聴覚障害児教育における言語論と障害認識」をAmazonで注文した。中古で750円。


『たったひとりのクレオール』(医療と社会ブックガイド・33)
立岩 真也 2003/12/25 『看護教育』44-11(2003-12):
http://www.arsvi.com/0w/ts02/2003011.htm

同書評より
「聴覚障害者に限らず、障害受容という言葉にむっとくる障害者はとても多いのだが、そのことも知らない人もまた多い。あるいは、こうした否定こそ障害が受容できていないことだと言ってしまう。そう言われる相手は、そのように言いくるめられてしまう言葉としてのこの言葉が不快であるというのに、である。
  著者はこの言葉が機能するメカニズム、言われる当人が納得できない理由
を第8章「障害「受容」から障害「認識」へ」で解析する――この章は『紀要』の論文がもとになっている。さらに、一方で「障害受容」を言いながら、他方で聴覚口話法を教えることがダブル・バインドを引き起こすことを述べてい
る。病者や障害者に関わる仕事をしているなら、そんなことを毎日しているかも、と思わない人は少ないはずだ。」


ラビット 記
※写真はスーパー前の工事中の広場に出現した盛り土

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