難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

人工内耳で自分の声が最初に聞こえたことについて

2007年12月06日 01時10分23秒 | 人工内耳
今日の昼(2007年12月5日11:00)から、短時間を除き、右耳の補聴器はスイッチを切ったままにしている。

昨夜、自分の話した声が聞こえた(2007年12月5日21時頃)。

人工内耳の伝えている音を認識する際に、視覚情報があると認識しやすいことが指摘されている。
> http://poolpool.blog68.fc2.com/blog-entry-262.html
> http://blog.livedoor.jp/brain_network/archives/50757319.html
> http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/11/post_4d0b.html


人工内耳を付けた直後の一昨夜(2007年12月4日18:30から20:00)に手話を使う人と話しているとだんだん声がピポパと聞こえ始めた(ピポパが手話や口型と合ってきた)のは、視覚情報の読話と手話で言葉を読み取り、その言葉が頭の中に浮かんだ時にピポパが同期したために「聞こえ始めた」のではないか。

テレビのニュースのインタビューの声もテロップと口型を見て聞いていると「聞こえた」(2007年12月21時20分)のだ。

自分の声はこうした視覚情報がない。あるとすれば、発声時に声帯から直接聴覚器官に伝わる「音」の記憶しかない。発声した時、補聴器を使って来た右耳にも、補聴器をしていない左耳も同じように届いていたはずだ。聴覚的に増幅できない経路の音だからだ。
人工内耳をした左耳は聴覚がなくなったので、左耳には声帯からの音は「聞こえない」が、脳の中には左耳も右耳もその記憶があると思う。
昼間も話していたが人の話し声だったり、CDの音楽だったり、電車の音だったり、周囲の音がいろいろあった。しかし自分の声が聞こえたのは静かな夜道で
反響がないところだった。それで、人工内耳は自分の声だけを増幅して伝えたので、「聞こえた」のだ。

そうすると人の話しに耳を傾けるのと別に、静かな場所で自分でいろいろしゃべって自分の声を聞かせる方が良いかも知れない。自分の声も日本語なので、人工内耳の聞こえによる日本語のデータベースが構築されれば、他人の日本語を聞いた時の言葉のマッチングがスムーズになるのではないか。


早速、ドクターとSTの先生に報告しよう。

人工内耳を外したが、左耳は人工内耳をしているようなピピッピーガガーと「耳鳴り」(幻聴?)がしている。


ラビット 記
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駅から自宅まで歩いている時、声を出してみたら、自分の声はピピーガガーではなく、少し高い声だがちゃんと聞こえた。ヘリウムガスを吸った時の声のよう
に聞こえる。映画「未知との遭遇」のいわゆる宇宙人の声だ。
自分の声がそれなりに聞こえる。これには少し驚く。
自分の声は、人工内耳の声以外に骨伝導で伝わっている声(右だけだろう)も合わせてそう聞こえるのかもしれない。





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