9月21日(日)午後10時からのNHK教育テレビ「ETV特集・“手の言葉”で生きる8歳の小さな手が紡ぐ手話の世界▽聞こえてほしい親の葛藤▽語り大竹しのぶ」を見た。
言語としての手話とろう教育における手話の導入と課題、ろう者自身による教育方法、ろう児における人工内耳の是非、ろうコミュニティ、学校教育と家庭教育の連携、家族の役割など内容が盛りだくさんだった。
しかし、これらのことを伝えようとした意欲は買えるが結果的にはみな中途半端で、主題がぼけてしまったと思う。
ろう児の教育問題に「手話」を前面に出すので、逆に視点が曖昧になっているのではないか。
子どものコミュニケーションする権利、ひとりひとりに合った教育をうける権利があることを視点にしたら、聞こえる子どもも難聴の子ども、ろうの子どもも等しく、自分に最適の環境で教育を受けることが保障されなくてはならないことが浮かび上がり、番組の構成もしっかりしたものになっただろう。
とくに、手話ありき、ろう者イコール手話だけの視点はいただけない。
手話によるコミュニケーションと聴覚を「対立」させたり、聴覚機能を音声言語のコミュニケーションにのみに限定するのは、昨今の世界の聴覚障害児教育でも受け入れられないだろう。
最近の補聴器や人工内耳の発達はめざましいものがあり、ろう学校でも補聴器や人工内耳をした子どもが増えているはずだ。ろう者でも使用している人は増えている。
聴覚は風の音などの自然音、楽器音などの情操醸成また現在の社会では交通における危険予知や災害警報、各種の生活の信号音を感じるために重要な感覚情報だ。
このことを親も教師も医師すらも説明できていないのは解せない。
編集段階でこうしたコメントが削除されていることはあるだろうけれど。
人工内耳がうるさく感じるのは、脳が慣れていないためだ。胎内にいる時から音や声を聞いている子どもに比べて、初めて外界から入る音に衝撃があるのは当然だ。それをきちんと説明して、適切なマッピングと少しづつ馴らしていくリハビリテーション、ハビリテーションをしなかったのが問題であって、人工内耳のせいではないだろう。
特に自分でも理由の分からないのに人工内耳を取りたいとろう児に繰り返させるのは、なんの意図があるのだろう。人工内耳と人工内耳をしているものに対する偏見と差別をもたらしかねない。
番組には、父親の姿がないこと、ろう学校にいるはずの多様な他の子どもたちの姿が見えないこと、専門性を持つ教師集団の姿もない、地域との関わりも見えない。
ラビット 記
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます