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難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

意思疎通支援事業で、手話通訳、要約筆記事業の行く末。

2012年12月30日 20時22分01秒 | 日記(つぶやき)
一昨日で仕事納めだったが事務所の内装工事があり出勤した。
総合支援法の意志疎通支援事業は必死事業になったものが多いがどの事業が市町村か都道府県が担うのかまだ境界が曖昧なままだ。
広域派遣の「連絡・調整」は都道府県事業となったが、市町村の必須事業の派遣事業を調整するので、
広域から集まる団体への派遣は、団体派遣として開催地の都道府県が派遣すべきとおもうが、市町村間の広域派遣の按分負担にならないとも限らない。

地方公共団体の財政状況では、また地域生活支援事業の統合補助金という性格上、出来る限り増やしたくないのはどっちも同じだ。
国も、地域生活支援事業は1/2まで補助できると強調し始めたので必須事業になったからといって、補助金が増えるわけではない。地域生活支援事業の予算要求が今年度比プラス5億円増の450億円しかない。

県や市町村に、予算確保と利用しやすい要綱を要望する運動が必要。

ラビット 記

「聞こえるということ」 人工内耳両耳装用効果への期待(2)

2012年12月30日 11時00分52秒 | 人工内耳
あまりに「聞こえること」が当たり前の健聴者には意識すら出来ないのかも知れないが、
聴力検査で純音による検査や単音、単語、文章の言語明瞭度の検査をいくらしたところで、この会話能力は図れない。ある程度言葉が聞こえるとそれ以上の「言語能力」煮関する追跡はない。調べたわけではないので乳幼児の問言葉の発達についての研究はあっても、一応言語生活が出来ている成人についてはないと思う。耳鼻科の範疇ではなく、言語発達、生活の質の問題になるからだろうか。

今年12月2日に埼玉県で開かれた全国難聴者福祉大会にメドエル社CEOのインゲボルグ・ホフマイヤー博士のビデオメッセージがあった。
次の話は興味深かった。ドイツの聴覚関係者が新しい人工内耳の基準を発表したということとドイツの保険システムではQOLがどれだけ向上したかで償還される金額が異なるらしいのだ。

人工内耳も補聴器も装用することによってどれだけ生活の質QOLが高まるか、高まったかが重要になる。仕事をしている人はその中に就労の質、労働の質の向上も含まれる。
そう言えば先日発表のあったテクノエイド協会と日本補聴器工業会の補聴器に関する調査「JAPAN TRAK2012」に補聴器が仕事をする上でどれだけ役に立ったかという項目があったのもうなづける。

人工内耳を両耳装用することによって聞こえが改善するということは、スムーズな会話、対話が出来るようになり、会話によって刺激を受けた脳の活動が活発になり、思考能力が高まるのではないかと期待している。

乳幼児のような飛躍的な発達は望むべくもないが、人生の後半期に脳に刺激が増加するということは、それまでの人生経験と言語・知識の蓄積により、より豊かな言語生活ができると期待している。
また、音楽や周囲の自然音、環境音の聞こえも情緒の発達につながればこれもQOLの向上が図れるのではないかと期待している。

ラビット 記

「聞こえるということ」 人工内耳両耳装用効果への期待(1)

2012年12月30日 09時24分16秒 | 人工内耳
人工内耳ないしは補聴器の両耳装用は、その聞き取り能力の向上の効果があると言われている。

人工内耳と補聴器の両耳併用をした経験では、補聴器の低い音の聞こえを人工内耳の高い音の聞こえがカバーしたことで、人の声が生の声らしく聞こえたものだ。
補聴器では対面の人の声も何を言っているのかも聞き取りにくかったのが、人工内耳によって聞き分けられる要になった。ぼやけた音が輪郭が付いたというか、淡いカ色が彩度の高い色になったというか。

補聴器時代が長かったが補聴器で会話のラリーをするという経験はほとんどなかった。手話と読話も習得した中ですら会話に不慣れだった。
人前で講演、講話をする機会は多かったが原稿を用意して話す事がほとんどで、質疑応答も答える内容を頭の中で作文してそれを読むという感じだった。
人工内耳を装用し始めてから、自分の声が聞こえることが思考に大きな影響を及ぼした。つまり、自分でどのように声を発しているのか、相手に届けるために発している言葉を「聞く」ことでどのように聞こえているかが分かるので、発声や言葉を変えるようになってきた。

あることをしゃべると、それを聞きながら次にどのような事を話すかを頭の中で考える余裕が出てきた。
「今年最後のキンカンがあるのでこれから行ってきます。キンカンというのは毎週金曜日の首相官邸前のデモ行動のことです。」
聞こえた言葉が頭の中をくるくる回っている感じだ。これは言ってしまって良いのか、デモをすこし柔らかく言った方がいいのか、「しゅそうかんていまえ」なんて聞いても分からないか他の言葉が良いか、今日のお昼のカレーはおいしかったなとか関係ないことも頭に浮かぶ。

これが聞こえるってことではないか、補聴器では出来なかったことだ。14歳から54際までの補聴器装用では出来なかった「会話」だ。
大げさに言えば人の人としての特徴である言葉を初めて使ったようなものだ。2001年宇宙の旅だったか、初めて斧を持った原人が雄叫びを上げているシーンがあるがそんな感じだ。
(続く)

ラビット 記