難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

聞こえないひとの主体性が奪われること

2009年09月27日 20時16分53秒 | PHSから
090925-081431整理術.jpg090923-184612本棚1.jpg長男が小学校に入学する手続きに手話通訳者と行った際に、受付で何か聞かれた際に手話通訳者が代わって答えてしまったので、何を聞かれたのかわからずじまいだったことがあった。

こちらは何も言わなかったので、その通訳は聞こえない人の手助けをした満足感があったかもしれない。でも、子どもは聞こえないお父さんはやっぱりだめなんだと思っただかもしれない。こちらも父親としての責任を果たせない悔しさを感じていた。

もう20年も前のことでもはっきり覚えている。結婚して以来の二間のアパートから団地に引っ越してきたばかりの時分だ。
今でも鮮明に覚えているというのは子どもの面前で手話通訳者が聞こえない人の主体性を奪われたというのが今でも悔しく感じている。

切符の購入に手間取っていたおばあさんを手助けをしてあげたら、おばあさんは喜ぶかもしれない。
でも通訳を連れたり筆談ボードをもって自分で対応しようとしている聞こえない人にその意志をそぐのは本当の「手助け」にならない。
くだんの手話通訳者は地域のボランティアだっただろう。頼むとそれ以上のことをしてくれる人は要約筆記者にもよくみかける。
しかし一緒に活動している顔見知りの要約筆記者でも派遣されている時は顔つきまで違って見える。

通訳は通訳以上のことをしないというのは一見冷たいように思うかもしれない。しかし、高齢者の介護に当たる人は安全確保、医療効果、リハビリテーションによる機能回復、病気等の予防を優先しつつもその高齢者の主体性を尊重する。これは介護従事者の専門性の一つだが介護ボランティアだから主体性を損ねても良いということにはならない。

要約筆記者が奉仕員として養成されたころにはそうしたことはきちんと指導されていなかった。日頃から人間関係が希薄だった難聴者には手助けは嬉しかったのだ。難聴者側そうしたことが整理されていなかった。手助けと自立支援が区別されていなかった。

聞こえない人はその通訳を自分のコミュニケーションツールとして主体的に使いこなすことが自立でそれを目指す必要がある。


ラビット 記




南米の地上デジタル放送は手話が見られない

2009年09月27日 20時03分48秒 | 放送・通信
南米で、地上デジタル方式に日本のISDB方式を採用する国が相次いでいる。

ブラジル、チリ、ペルー、アルゼンチンだ。これにベネズエラが加わる。
南米は最近次々とアメリカと独占資本の支配の影響力を避ける政権が誕生して、南米共同体を構成している。
地上テレビの方式が同じなら番組も提供しやすいので政治的な意図もあるのかなと推測したが。

しかし、日本の地上デジタル放送は手話放送のクローズド放送が出来ないという欠陥がある。これはテレビメーカーも認めているが放送事業者は公にはしていない。
クローズドというのは字幕放送のように必要な人だけに字幕が見られる仕組みだ。手話放送を必要な人だけ見るにはハイビジョン画質を標準に落とさなくてはならない。
受信機の規格が原因か割り当てられた電波の容量が足りないのか、二つの動画を表示する出来ない。

アメリカでは字幕放送表示回路内蔵の規格に合わせて作られた日本メーカーのテレビはどのテレビでも字幕放送が見られるが、日本では字幕表示回路は内蔵が義務化されておらずすべてのテレビで見られる訳ではなかった。これは字幕放送拡充の上で大きな壁になったという苦い経験を日本の聴覚障害者の運動は持っている。

もし、南米の地上デジタル方式は手話のクローズド放送が可能で日本は不可能な方式だったら、また字幕放送の二の舞だ。


ラビット 記
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ベネズエラ地上デジタル放送に日本方式の採用を決定 チャベス大統領090925
南米ベネズエラのチャベス大統領は導入を計画しているテレビの地上デジタル放送について 24日NHKの取材に対して日本方式の採用を決めたことを明らかにしました ...

http://www3.nhk.or.jp/news/k10015693991000.html
http://ime.nu/www3.nhk.or.jp/news/K10056939911_01.jpg