藁科川上流・大川地区の日向在住の友人のお宅に別用でお邪魔した際、家の裏に社がある、と聞いてどんなものかと見せて頂くことになりました。
この友人は代々この日向にお住まいの方で、御先祖は村長さんもお勤めになられたという名家。由緒あるお家の裏に回りこんで、20mほど急斜を登ると山の斜面の山腹に大きさ一畳ばかりのお社が祀ってあり、「山の神を祀ったものと聞いている」と教えてもらいました。
その下の台地状になった部分には、いくつかの墓碑があり、その中の戦争で亡くなったご先祖の墓は、以前は地区の陽明寺というところにあったものを、改めて敷地内に引っ越して祀ったものだそうです。
屋敷神と屋敷墓について、地域の歴史を著わした書に以下のような文章がありましたので、引用します。
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『家屋敷と屋号』
日向には、屋敷内に屋敷神と屋敷墓をもつ家々がある。そういう家には屋号がついていて、旧家であることが多い。そして、屋敷墓には初代である先祖をまつる。カジヤという屋号の家では、屋敷神としてカナヤマサン(金山社)をまつる。この家では屋敷神をショイガミといい、先祖が移住してきたときにもってきた神様だと言う。また先祖が刀鍛冶であったという家でも金山社をまつり、庄屋であった佐藤家や土着した小長井家でも屋敷神はやはり金山社であるとする。このように、日向には金山社を屋敷神とする家が非常に多い。鍛冶屋や刀鍛冶のように職業として金山社をまつる家もあるが、むしろ日向では金山社を屋敷神としてまつる習慣があるのではないかと考えられる。
屋敷神の呼称として、ほかにイチヤシロ(一社)という言い方がある。「屋敷の一番隅っこに氏神さんをまつるものだ」といって、これをイチヤシロというのである。つまりイチヤシロというのは、その土地に住み着くときにまずまつる、地の神的な意味を持つとも言える。個人の家の屋敷神に限らず、神官家の屋敷跡ネギヤシキ(禰宜屋敷)は、イチヤシロというところにある。白髭神社は何度か移転を繰り返しており、前述したように仮宮跡がこのイチヤシロである。この場所を字で一谷城と表記しているが、白髭神社は神官家のイチヤシロ(一社)であったという見方もできよう。なお、この屋敷跡には、現在も神官家の屋敷墓が残っている。・・・
『日向の七草祭』静岡市教育委員会.平成18年
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この友人は代々この日向にお住まいの方で、御先祖は村長さんもお勤めになられたという名家。由緒あるお家の裏に回りこんで、20mほど急斜を登ると山の斜面の山腹に大きさ一畳ばかりのお社が祀ってあり、「山の神を祀ったものと聞いている」と教えてもらいました。
その下の台地状になった部分には、いくつかの墓碑があり、その中の戦争で亡くなったご先祖の墓は、以前は地区の陽明寺というところにあったものを、改めて敷地内に引っ越して祀ったものだそうです。
屋敷神と屋敷墓について、地域の歴史を著わした書に以下のような文章がありましたので、引用します。
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『家屋敷と屋号』
日向には、屋敷内に屋敷神と屋敷墓をもつ家々がある。そういう家には屋号がついていて、旧家であることが多い。そして、屋敷墓には初代である先祖をまつる。カジヤという屋号の家では、屋敷神としてカナヤマサン(金山社)をまつる。この家では屋敷神をショイガミといい、先祖が移住してきたときにもってきた神様だと言う。また先祖が刀鍛冶であったという家でも金山社をまつり、庄屋であった佐藤家や土着した小長井家でも屋敷神はやはり金山社であるとする。このように、日向には金山社を屋敷神とする家が非常に多い。鍛冶屋や刀鍛冶のように職業として金山社をまつる家もあるが、むしろ日向では金山社を屋敷神としてまつる習慣があるのではないかと考えられる。
屋敷神の呼称として、ほかにイチヤシロ(一社)という言い方がある。「屋敷の一番隅っこに氏神さんをまつるものだ」といって、これをイチヤシロというのである。つまりイチヤシロというのは、その土地に住み着くときにまずまつる、地の神的な意味を持つとも言える。個人の家の屋敷神に限らず、神官家の屋敷跡ネギヤシキ(禰宜屋敷)は、イチヤシロというところにある。白髭神社は何度か移転を繰り返しており、前述したように仮宮跡がこのイチヤシロである。この場所を字で一谷城と表記しているが、白髭神社は神官家のイチヤシロ(一社)であったという見方もできよう。なお、この屋敷跡には、現在も神官家の屋敷墓が残っている。・・・
『日向の七草祭』静岡市教育委員会.平成18年
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