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北送事業60周年の年に  いまこそ歴史的検証と被害者救済の取り組みを

2019-01-31 18:33:52 | 日記
2019年01月01日 00:00

統一日報


北送事業60周年の年に

いまこそ歴史的検証と被害者救済の取り組みを

三浦小太郎(評論家)


今年こそ、日本と韓国の間で、そして北朝鮮との間でも解決しなければならない「歴史問題」がある。

それは慰安婦問題でも徴用工でもない。

「北送事業」という、いまだに未解決の、かつ現在進行形の歴史問題である。

1959年12月14日、新潟を最初の「北送船」が出港した。

当時の朝鮮総連が宣伝していた「地上の楽園北朝鮮」への旅立ちのはじまりである。

それから80年代初頭までに、そのほとんどが韓国出身であった在日朝鮮人と、そして日本人配偶者たち9万3000人は、

地上の楽園どころか「凍土の収容所共和国」に送り込まれていったのである。

もちろん、その第一義的な責任は北朝鮮の金日成独裁政権と、それに追従した朝鮮総連にある。


しかし、ここで忘れてはならないのは、当時の日本の政党、報道機関、市民運動家のほとんどは、

この「北送事業」を「北朝鮮への帰国運動」「帰還事業」という「人道的行為」として、

ごく一部の例外を除いては全面的に支持していた。

当時、韓国赤十字、そして日本国内では韓国民団は断固として、この北送事業に抗議した。

この点においては、日本国の戦後における大きな政治的判断の誤りとして記憶しておく責任がある。

そして、北送者たちの存在は、ここ日本の在日社会を広く呪縛することになった。

朝鮮総連の完全な北朝鮮への従属化は、彼らの親族が北朝鮮に「人質」にとられたことも大きく影響している。


在日朝鮮人の多くは、家族の命を救うために多額のお金を北朝鮮に送り続けざるを得なくなった。

日本人拉致事件にも総連関係者が深く関与してきたことは、シン・ガンス裁判記録などで明らかだが、これもまた同様の構図である。


一方、日本側にも大きな問題があった。

日本政府も報道機関も、かつては進んで送り出した在日朝鮮人や、また自国民であるはずの日本人配偶者(多くは女性)のその後の運命については知ろうともしなかった。

62年という、最も早い段階で北朝鮮の実態を告発した関貴星の著作「楽園の夢破れて」は黙殺された。

65年、日韓条約によって日本政府が韓国を朝鮮半島における正当な政府として認めたにもかかわらず、

その後も、日本国内における朝鮮総連の対南工作活動はほとんど取り締まられることもなく、

逆に当時の朴正煕政権は、北送事業を称賛したのと同じ日本の報道機関や「進歩派知識人」によって、

時にはヒトラー同様のファシズム政権とまで罵倒された。

北送者や日本人妻が、この時期すでにわずかな配給食糧と抑圧体制下にあり、スターリンの政治犯収容所にも送りこまれていたことに気づくべきであったのに。

70・80年代、日本人配偶者の救援活動が旧民社党系などにより行われ、国会で質問もなされたが、大きな進展を見るには至らなかった。

その後、大韓航空機事件、勇気ある在日の告発、それを支援する日本のジャーナリストや市民運動、さらには拉致事件の発覚と救出運動の高まりの中、

北送者の悲劇、そして北朝鮮こそが最悪の独裁体制であることの認識は、やっと日本社会でも定着するようになる。

同時期、北朝鮮では大量の餓死者を出す飢餓が勃発、それに伴う脱北者の出現は、北送者やその子孫が、ここ日本に「再帰国」する道を開いた。

いま現在、わずか二百数十人とはいえ、彼らはここ日本で受け入れられている。

この「北送事業60周年」の年、

日本国、韓国、そして北朝鮮はそれぞれの戦後史の問題として、この事業の歴史的検証と「被害者」の救出に取り組むべきである。

これは、自由民主主義の国から共産主義独裁の国に9万を超える人々が移住し、

多くは悲惨な運命をたどったという、人類の歴史上、最初で最後の巨大な悲劇である。

私たちは同時代、現在進行形の人権問題として、北送者の問題を解決する使命を持つはずである。

三浦小太郎 評論家。北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会副代表。

著書に『嘘の人権偽の平和』『収容所での覚醒民主主義の墜落』(高木書房)、『渡辺京二』(言視舎)などがある。







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