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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】はるな、榛名神社は巨大火山榛名山と火の神火産霊神祀る 完結編

2017-01-11 20:26:55 | 旅行記
■榛名神社榛名山散策記
 榛名山は新生代に日本列島形成と共に生れ出た北関東有数の巨大火山で、盛んな噴火を引き起こす浅間山が過去に起こした記録は11世紀の火山爆発指数4という大噴火でしたが、榛名山は6世紀に火山爆発指数6の巨大噴火を引き起こし、火山としては榛名山が大きい。

 用明天皇元年の586年、この地に祭祀の縄張りが記され、ここから現在の榛名神社の歴史が始まりました。興味深いのは二ッ岳有馬火山灰噴火という榛名山噴火が489年から550年に掛けて続き火山爆発指数4と火山爆発指数5連続噴火が漸く鎮静化した時期と重なる。

 日本書紀に伝わる綏靖天皇治世下の神事に始まる榛名神社の歴史ですが、この地はその後の実に千年間を榛名山巨大噴火の火砕流とテフラに埋もれる訳で、用明天皇治世下の時代に行われた祭事こそが、今日の榛名神社に続く始まりの始り、といえるのかもしれません。

 今日の榛名神社と云いますと、昔日の榛名神社があったかを思わせる言葉ですが、実は、あったようなのです。そして、火砕流に飲み込まれました、これは渋川市の金井東裏遺跡で榛名山噴火を鎮める神事が行われ、その最中火砕流が発生し呑みこまれた、というもの。

 火山爆発指数6の噴火は10km3以上の火山性噴出物を発するもので、江戸時代の富士山宝永噴火が火山爆発指数5でした、セントヘレンズ山1980年噴火とヴェスヴィオ火山ポンペイ噴火も火山爆発指数5、在比米軍が撤退したフィリピンのピナトゥボ山噴火で漸く6です。

 美しい山は人類と敵対しない、とは巨大火山に関する所感です。日本で火山爆発指数8以上の巨大噴火を起こす火山は、九州の阿蘇、姶良、加久藤、鬼界、この四火山です。加久藤火山は霧島火山帯の総称、姶良火山は桜島と錦江湾の真下、鬼界は九州沖海底火山です。

 巨大火山は巨大噴火と共に噴火丘を吹き飛ばすため富士山のような美しい山容を保つ事が出来ません、富士山の本体は富士箱根一帯で、これが噴火すると過去の噴火から火砕流は横浜を600度の堆積物で埋め、火砕サージは東京23区に到達し、地上構造物等を焼き払う。

 榛名山を見上げますと、榛名山はカルデラ湖だる榛名湖の周囲を環状に掃部ヶ岳に天目山と相馬山に二ッ岳烏帽子岳と鬢櫛山に水沢浅間山や鷹ノ巣山と三ッ峰山と杏ヶ岳と古賀良山と五万石が並ぶ、典型的な巨大火山としての地形となっている点に気付かされるところ。

 東京という世界最大の大都会が広がる日本の首都は、北関東火山帯の榛名山が落ち着く7世紀に入り人が営みを拡大、10世紀の貞観富士噴火と貞観三陸地震と焼岳白鳳大噴火や浅間山の天仁大噴火11世紀に並ぶ巨大噴火が落ち着き、漸く人が住めるようになった印象も。

 この高崎は豪族和田義信が和田城を築城し関東管領上杉家の配下に入りましたが、城主和田業繁が上杉謙信からへ武田信玄につき、戦国乱世の第一線へ、豊臣家の小田原攻めへ城主は北条小田原城籠城に参加、和田城は前田利家と上杉景勝により攻め落とされました。

 徳川家康の関東入部に合わせ高崎は井伊直政の領地となり高崎城が造営、中山道と三国街道の分岐点という緊要地形を守る城郭として発展し、井伊直政は関ヶ原の戦いでの軍功により近江国彦根へ移封されましたが、重要な宿場町として栄え、今日の基礎を築きました。

北大路機関:はるな くらま
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陸上防衛作戦部隊論(第六一回):航空機動旅団、戦車とは根本的に異なる機動戦闘車の運用

2017-01-10 23:38:18 | 防衛・安全保障
■機動戦闘車と戦車の相違点
 機動戦闘車と戦車の相違点について、特に戦車とは根本的に異なる機動戦闘車の運用という視点から見てみましょう。

 機動戦闘車は戦車とは根本的に異なる装備であり、機動旅団へ配備が開始される状況、今回までに提示してきました装甲機動旅団と航空機動旅団ともこの戦車とは異なる機動戦闘車という位置づけを踏まえて部隊の在り方や運用を考えてゆかなければなりません。16式機動戦闘車と10式戦車、比較した場合は最初に装軌式車両である10式戦車と装輪式車両である16式機動戦闘車と、機動力の相違点に最大の注目が集まるところですが、これは間接的なもの。

 最大の相違点は防御力の低さにより攻撃衝力の持続性が非常に低いという難点が挙げられます。16式機動戦闘車により近く完全に代替される74式戦車ですが、防御力はこの旧式である74式戦車と比較した場合でも非常に低いものとなっており、74式戦車では対戦車ミサイル全盛の時代に在って防御力を機動力に置き換えようとした時代の装備品ではありますが避弾経始という、発想で設計されています。

 避弾経始、発想としては一世代前の第二世代戦車のもので、敵戦車砲弾の直撃を想定し当時徹甲弾の主流であったAP弾を受け流す、またMP弾のような化学エネルギー弾に対しても信管作動を遅延させ車体への致命的打撃を回避するとの設計思想が執られています、現在はAP弾がAPFSDS弾へと転換し、避弾経始と云う概念は時代遅れのものとなっていますが、それでも携帯対戦車火器に対しては一定以上の水準の防御能力を発揮できるよう要求性能が示されました。

 勿論、74式戦車は現時点では夜間戦闘能力について、車長の携行する暗視望遠鏡や携帯暗視装置を除けば夜間戦闘能力が無く、主砲用の照準用には赤外線サーチライトを用いるアクティヴ式照準装置しか保有しませんので、相手が第三世代戦車等夜間戦闘を重視した戦車であれば一方的に撃破される事から、積極的な夜間戦闘は考えられていません、戦車は500m以遠の目標へ威力を発揮しますが、錯綜地形で夜間に歩兵から近接し対戦車戦闘を展開された場合生残る事が難しい。

 第二世代戦車による日本での夜間戦闘は、普通科部隊の対戦車ミサイル部隊や偵察部隊の熱線暗視装置等と協同し、夜間は攻撃前進を選択せず防御に徹する、という非常に運用が制限されたものでしかありません、これは1974年に制式化された戦車の限界であると共に、元々2016年の時点では冷戦時代の生産規模が維持されていたならば既に90式戦車へ換装完了していた筈でした。

 冷戦終結後、限られた予算を第二世代戦車の近代化ではなく戦車新造に回さざるを得なく、又、第三世代戦車の量産開始が列国の中で、例えばレオパルド2やM-1A1よりも後手に回った為冷戦終結の時点で充分に数を揃えられなかった故でもあります。この中で16式機動戦闘車ですが、戦車の撃破能力はあるものの撃ちあって相手の攻撃を受けるだけの能力は無い、従って、待伏せ戦闘に用いるものといえるでしょう。

 故に攻撃機動の三要素として戦術の基本に挙げられる包囲・突破・迂回の三要素の中で、包囲は敵警戒部隊に戦車があった場合は機動が著しく制限され、突破は相手の対戦車火器への防御能力が非憂く不可能、迂回は可能ですが最終確保地域までの敵防御部隊へ戦車が含まれていた場合、行動はおおきく阻害されるといわざるを得ません。

 16式機動戦闘車は防御戦闘や警戒部隊及び敵前進を待伏せる拘束部隊等用途はありますし、着上陸第一波の水陸両用装甲車や空挺装甲車の撃破には大きな威力を発揮するものではありますが、16式機動戦闘車単体での攻撃は非常に難しく、無理に単体使用すれば74式戦車の投入並に厳しい結果を生みかねません、戦車とは全く異なる装備である、という事へ留意が必要です。

北大路機関:はるな くらま
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トランプ新大統領の外交国防戦略【05】 核戦力の強化期すトランプ氏とプーチン大統領の核近代化

2017-01-09 20:15:39 | 国際・政治
■米ロの核戦力への齟齬と危機
 21世紀に入りひと段落した今日、20世紀の時代で幕を閉じた戦略核兵器による核軍拡競争の暗雲が再び広がりつつある端緒へ差し掛かったのでしょうか。

 トランプ次期大統領、“米政権交代トランプ氏、核軍拡が必要とツイート”としましてNHK等様々な報道機関で大きく取り上げられた通り核兵器の増強を示唆しました。ただ、核兵器そのものよりもアメリカにとり重大な課題は運搬手段旧式化です。核兵器だけでは抑止力は形成できず、相手に投射する戦略爆撃機や大陸間弾道ミサイル等運搬手段が重要です。

 核戦力の中枢である戦略爆撃機は依然としてB-52が現役でB-21計画はトランプ氏のF-35見直し計画を受け、この技術的成果を応用する事で開発費用を低減する計画に不透明さが出たかたち。オハイオ級戦略ミサイル原潜の老朽化も進む、後継艦は2030年竣工計画ですが、それまで半世紀近く前の戦略ミサイル原潜がアメリカ唯一の第二次反撃核戦力となる。

 オバマ政権下では精密誘導兵器と特殊部隊への通常戦力近代化の転換という前ブッシュ政権の国防戦略を継承しつつ、核戦力への依存度は慎重に低減する施策を採ってきましたが、核への回帰という指針を示したトランプ次期大統領です。しかし、この発言に対し、ロシアは具体的にアメリカのミサイル防衛システムを突破可能な新兵器を開発する構えです。

 ロシアのプーチン大統領はモスクワで12月23日、1年を締めくくる記者会見を開き、核戦力の近代化をさらに推し進める方針を示しました。イランからの攻撃を警戒し整備された東欧ミサイル防衛システム配備がロシアからの欧州への核攻撃能力を無力化するという危惧を受け、NATOにはロシアを攻撃する核戦力があるがロシアの手段が無力化されるとの状況を防ぐべく、核戦力近代化が進められていたものですが今回の発言はこれを増強する構え。

 東欧ミサイル防衛システム配備は、結果として冷戦後に進んだNATOとの短い蜜月を破綻させることとなりましたが、ロシア政府はアメリカ次期政権へ欧州のロシアにとっての地政学的要件配慮を求め、応じられる事、即ちミサイル防衛システムの撤去を期待していた可能性がありました。しかし、この東欧でのミサイル防衛システムに対しての次期トランプ政権からの大きな言及は無い。

 ロシアはSS-27/RT-2PM2大陸間弾道弾やSS-NX-30/3M14潜水艦発射弾道弾等ミサイル防衛システムを突破可能な将来ミサイル開発により置き換える構想です、既に核戦力近代化の一歩としてSS-27/RT-2PM2大陸間弾道弾やSS-NX-30/3M14潜水艦発射弾道弾の試験が進められ、このミサイルは迎撃システム回避能力や対迎撃無力化機能が採用されています。

 核運搬手段の近代化にもロシアは重点的に取り組んでおり、前述のSS-27/RT-2PM2やSS-NX-30/3M14に加え、空軍は冷戦時代の超音速戦略爆撃機Tu-160の再生産を開始、海軍はタイフーン級戦略ミサイル原潜を置き換えるボレイ級戦略ミサイル原潜の量産を開始、一番艦ユーリイドルゴルーキイ就役を皮切りに3隻を建造し8隻量産が進められています。

 米ロの核軍拡は、冷静に注視すればロシアの核戦力近代化はミサイル防衛への対抗手段としての質的近代化が進められている一方、アメリカの核戦力強化は弾頭数強化に繋がるのか運搬手段更新を進めるのか、方向性が不透明です。しかし、ロシアとの信頼醸成努力を怠った場合、核弾頭運搬能力で例えば中国と比較しても100倍の核戦力を維持するロシアとの関係悪化は世界へ次の不確定要素を与える懸念があります。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】百里基地五〇周年航空祭【3】曇天薙ぎ払うファントム!歴代飛行隊集合(2016.11.26-27)

2017-01-08 20:24:00 | 航空自衛隊 装備名鑑
■百里ファントム大編隊
 曇天の百里航空祭本番、しかし雨天予報を跳ね返しての飛行展示開始です。として一番の主役は、ブルーファントム、記念塗装機です。

 ブルーファントムなのですが、しかし、最初の大編隊で参加するのですよね、すると、大編隊を撮影してそののちに着陸して地上展示位置に戻るまでは、撮影できません。そうなったらばどうするのか、考えるまでもなく地上展示機と滑走路に近い最前列、まだ最前列に余裕がありましたので、ここで撮影しよう、と。ちなみに、この頃になると雨が止んだ。

 築城基地航空祭がこの日行われていたようですが、聞けばこの日築城基地はかなり雨脚が強く、天候偵察の結果大編隊などの展示が見送りとなったようです。他方、転じて百里基地は、と言いますと、これはもう幸いというもので飛行展示に支障はないという事で航空祭が始まりました。快晴の青空が理想ですが、予報を考えれば贅沢は言っていられません。

 誘導路沿い最前列からの撮影、今回は極力軽量に移動したいというものがありましたので、航空祭の主役、300mmF2.8ISの巨大な白レンズは自宅の防湿庫でお休み、今回の主役はEOS7Dmark2とEF28-300mmISの組み合わせです、300mmF2.8ISに1.4エクステンダーを装着すれば420mm相当の物となりますが、カメラを含む重さは64式小銃並に重い。

 EOS7Dmark2とEF28-300mmIS、これはAPS-Cカメラですので焦点距離は大きくなるのですが、300mmでは確かに茨城空港から撮影した限りでは遠かったのです。一方で百里基地の最前列から撮影してみますと、離陸するファントム、低空飛行するファントム、着陸するファントム、300mmでも充分迫力の、凄く良い写真をカメラに収められるのですね。

 航空祭の醍醐味といえば、いろいろあると思うのですが、そのひとつにご近所の方との会話を一つ挙げましょう、今回は大きいレンズ、を持っているように見えたのでしょうか、詳しい方と思われたのでしょうか、女性の方に、今飛んだのはパンフレットのどの飛行機ですか、という問いから始まり、近所の家族で足を運ばれた方々や、談笑を楽しめました。

 筑波山、百里基地航空祭で撮影し、此処が百里基地の情景だ、と然り分かる背景の情景に思い浮かべるのは予科練の“進路筑波山へ”と挙げられるような筑波山の美しい山容です。祖父が予科練で海軍航空隊へ進んだ関係もあり、当方には筑波山への特別な思い入れがあります、ファントムと筑波山、これを意識してシャッター速度や絞り等を調整、撮影です。

 飛行展示を撮影しまして、一番の目玉、特別塗装RF-4の着陸も撮影できました。驚いたのは気流の関係なのでしょうか、ランウェイチェンジがありまして、離陸のハイレートクライムでの筑波山を背景とした写真の構図から着陸を撮ろうとしましたらば、コンバットピッチが逆方向、着陸も逆だと気付き、大急ぎ撮影位置を陣地変換、何とか間に合いました。

 美しい筑波山を背景に撮影できる最前列、惜しい気もしましたが、世間話を楽しみましたご婦人へ最前列を譲り、地上展示機へ。驚いたのは、“航空自衛隊が出せる精一杯のF-35”、も驚きましたが、記念塗装として第305飛行隊塗装のファントム、第204飛行隊と第305飛行隊のイーグルが百里基地50周年を祝い、那覇と新田原から駆け付けてくれたこと。

 第305飛行隊塗装のファントムは驚きました、整備員の方に聞きますと、良いでしょう、とのこと。ファントムの整備は力仕事で大変ですが、それでも整備しただけしっかりと機能する、列線整備でもやるべき仕事が明確で遣り甲斐がある飛行機、とのことでした。確信です、撮る側乗る側視る側動かす側、やっぱりみんな、ファントムが大好きなのだなあ。

 ブルーインパルスの飛行展示が始まる頃に当方は撤収する事としました、ここで最後まで撮影していたらば、石岡駅に何時に到着するのか分かりません、そこで地上展示機を一通り撮影した後、シャトルバスターミナルへ向かう途中、ブルーインパルス飛行展示前で最も混雑する状況の中、最初の撮影位置に戻りましてお別れのご挨拶をしまして、乗り場へ。

 シャトルバス乗り場は、それでも50m以上行列がありましたが、これならばバス数台分の行列というべきでしょう、石岡駅行始発バスはまだ運航開始前ですので、乗車開始となれば即座にこの行列は解消するでしょう。なるほど、まだ渋滞が大きくなる前だ。予定では正午からバス運行開始との事でしたが、先行で三台のみ石岡駅へ向かうとの事、幸先良い。

 正午前にもかかわらず流石は百里基地航空祭、渋滞が始まっています、もしかしたら、早朝に出て大渋滞に巻き込まれ、基地に入れない渋滞の自動車もいたのかもしれません、しかし、石岡駅へ向かう経路でも若干の渋滞がありました。県内から航空祭へ足を運んだおっさんの話として、まだまだ序の口、最後まで航空祭居たら、いつ帰れるか、わからん。

 石岡駅までシャトルバスの所要時間は50分、まあ、新快速で京都から三宮まで、若しくは京都から米原までの所要時間ですが、朝のシャトルバスが石岡駅から百里位置まで二時間かかった、という話を聞きますと、これは本当に幸運でした。常磐線は本数が少ないのですが、特急ひたち号ではなく敢えて常磐線普通列車のグリーン車に乗り、上野まで微睡む。

 常磐線普通列車を経て上野から東海道本線普通列車へ、そして横須賀線へ。百里基地から横須賀基地へ転進です。ヘリコプター搭載護衛艦くらま横須賀入港、恐らく除籍を前にした最後の入港です。横須賀駅、そしてヴェルニー公園に到着しますと、既に多くの艦船愛好家がカメラで一通りを撮影し、三脚を準備し夜景撮影の準備をしているところでした。

 くらま、は吉浦桟橋に停泊、ヴェルニー公園から一番よく見える岸壁です。横須賀へいま到着しました、と雑談で話しますと、出遅れたなあ、という哀傷の視線を送られましたが、ちなみに百里からの転戦です、というと、おお、百里行ったのですか、遠い所からよくぞ、と。やはり神奈川の横須賀から茨城の百里は遠いのですね、間に東京と千葉がありますし。

 アルペジオのストラップをカメラバックに取り付けて撮影している方が居ましたので、少々雑談を、ハルナさんとマヤさんが仲良く函館逗留するクロスラインもなかなか良い、週末にはアルペジオ13巻も発売になるのでちょっとした盛り上がり方です。そうか、大洗から横須賀ですので、ガールズ&パンツァーと蒼き鋼のアルペジオ、連続の聖地巡礼だ。

 横須賀では百里で昼食を食べ損ねたので、ハイスクールフリートのミーナちゃんの看板で有名な、しかし昨年今頃にはイオナさんの看板があった事で有名なお店でガッツリのシカゴドックとコーラを頂き、汐入駅前の喫茶店でマスターと写真談笑、ヴェルニー公園の戦艦陸奥主砲砲身前で護衛艦くらま夜景撮影を経て、新横浜から新幹線で帰路に就きました。

 百里基地は現在、三個のファントム飛行隊が配備されています。しかし、三沢基地において現在、次期戦闘機F-35飛行隊の編成準備が大車輪で進められています。年度末には臨時F-35飛行隊が創設予定、充足と共に三沢基地からF-2飛行隊が百里基地へ移駐予定となっており、三個のファントム飛行隊体制は長くは続きません、ファントムの聖地、興味深い航空祭でした。

北大路機関:はるな くらま
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護衛艦FRAM近代化改修と艦隊維持【07】護衛艦の長い生涯と実施される検査・修理・改造の類型

2017-01-07 21:45:22 | 先端軍事テクノロジー
■FRAMとライフサイクルコスト
 護衛艦FRAM近代化改修と艦隊維持、能力を一新できるFRAMを何故すべての護衛艦に施さないのかという多くの方の疑問へ、今回は護衛艦の長い生涯と検査と修理や改造の類型からライフサイクルコストというものを軸に考えてみましょう。

 護衛艦の近代化改修、FRAMについて、これは艦船修理に累計されるのですが、艦船修理と云っても、修理、検査、改造、に三類型されます。この中で修理は既存設計を変更することなく元の性能を回復する、と定義され、一方、改造は既存の設計を変更する工事、というもの、くらま貨物船カリナスター衝突事故の、くらま修理は前者に含まれるものです。

 検査について、細部を視てゆきますと定期検査と年次検査に区分されています、定期検査が艦船で4年に一度と潜水艦で3年に一度、年次検査として会計年度ごとに一回が実施されます。蒸気タービン艦とガスタービン艦では定期検査の間隔が蒸気タービン艦の方が短期間で実施されており、定期検査に伴う入渠期間が就役期間全体で長いという特色もある。

 改造、これは特別改造と改造に分かれています、特別改造の定義は主要性能を変更するための改造と位置づけられ、具体的には復元性や運動性と潜行能力や武器艤装の変更とされ、FRAMはこの特別改造に当たる事が分かるでしょう。一方、改造には、上記以外の改造工事も含まれています、改造工事が実施される場合、期間中には検査が省略されるとのこと。

 修理についてですが、特別修理として定期検査の時期に合わせ予め計画し実施する工事、年次修理として年次検査の時期に合わせ予め計画し実施する工事、臨時修理として必要に応じその都度実施する修理、延命修理として老朽の度合いを相当規模回復するために実施する大規模修理、と四類型されます。近年特に予算が組まれるのは延命修理の予算です。

 この他に応急修理という特別区分があり、これは保安上緊急を要する状況に対して応急的に実施する修理です。就役直後の最新鋭艦では、定期検査が基本となりますが、徐々に運用期間が長くなれば、電子機器の換装を特別改造に至らない範囲内の特別修理として実施され、更に運用期間が長くなれば延命修理の頻度が大きくなり、ここで費用対効果が絡む。

 護衛艦のライフサイクルコストを計算しますと、就役後年数を重ねると共に修理改造費として計上される費用に、徐々に延命修理費用が含まれるため、最新鋭艦の方が老朽艦よりも運用費用を低減させることが可能です、また、副次的に運用人件費も徐々に先任海曹の層が厚くなりますので、増大し、結果的に新造艦の方が安価な部分も増えてくるわけです。

 FRAM,特別改造ですが、艤装を改め器材を強化する場合、船体の補強工事などが必要になります。勿論、電子機器の新補度合いは確実に更新機材の方が軽量化しますので、上部構造物の電装品換装は復元性を強化しますが、逆に船体部の電装品交換は復元性を低下させることに繋がりかねません、この為設計は慎重に行う必要があり準備期間も長くなります。

 装備を一新するという事は、教育も一新する必要がありまして、ヘリコプター搭載護衛艦はるな型のFRAM改修では、データリンクシステム教育10か月、短SAMシステム教育10週間、三次元レーダー教育8週間、電子戦教育8週間、対潜戦闘システム教育8週間、FRAM工事中にも公試に先んじてこれだけの教育が必要でした、ここに安易にFRAM工事を多くの艦艇に施せない事由が見て取れるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十八年度一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.01.07/01.08)

2017-01-06 20:04:02 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 新年とお正月、皆様は如何お過ごしでしたでしょうか、新年に入り早速自衛隊関連行事が行われますので、今週末の自衛隊行事紹介を再開です。

 第1空挺団降下訓練始め、習志野演習場にて毎年一月初旬恒例の行事が今週末日曜日に行われます。第1空挺団は日本唯一の空挺部隊、空挺とは空中挺身部隊で、最前線のさらに後方へ輸送機から落下傘により強襲する機動運用部隊です。自衛隊では空挺団は有事の際に先陣を切って投入されるため、訓練は最大限厳しく最精鋭部隊を自認する部隊の一つ。

 習志野演習場にて実施される第1空挺団降下訓練始めは、自由見学が可能でして、習志野演習場へ足を運べば1100時から開始される降下訓練を観覧可能です。C-1輸送機やC-130輸送機等から続々と落下傘降下する空挺隊員と共にヘリボーン展開した空挺団主力が加わり、空挺作戦の様相を展示する訓練展示へと展開します。空包が使用され迫力はなかなか。

 降下開始は1100時からですが開門は0930時からで、実際には0730時頃から習志野演習場前に行列が並びます、しかし、一般開放される場所は意外と広く、しかも一般観覧地区が小高い土手の上に位置しますので、最前列よりも後ろでも見えます、故に多少現地到着が遅くなった場合でもエアボーンとヘリボーンに攻撃前進まで、一望する事も出来ます。

 ただ、一月の千葉県はかなり寒く、防寒着を準備する必要があります。訓練展示中は多数の観客が密集していますので暖かく感じますが、状況終了後の冬の厳しさを肌で感じる事となります。また、雨天時には習志野演習場には屋根がある施設がありません、少し離れたところに自衛隊自動車教習所があり若干屋根がある程度ですので、雨衣などお忘れなく。

 迫力の空挺団展示ですが、強風時には落下傘が狭い習志野演習場を出て住宅街へ流される危険がある為、空挺降下がヘリボーンのみとなる場合もあります、降雪時には隊員から車両にミサイル等装備まで一通り冬季迷彩となります。冬季迷彩は逆に中々他の行事では見る事が出来ませんので、こちらをみる事が出来ましたら、中々の幸運といえるところ。

 さて。自衛隊関連行事にて様々なところへ足を運びまして、その地方の名物を楽しむ、という事は得難い経験となりますが、驚かされましたのは、丸亀駅、うどん県として知られるその中枢というべき丸亀駅の駅前でした。第14旅団創設記念行事、善通寺駐屯地祭へと展開した際の丸亀駅前での一泊でしたが、なんと、駅前にどれだけ見ても、うどん屋がない。

 友人に急ぎメールをしますと、気をつけろそこは偽物だ、と。探してみますとラーメン屋さんはありました、そのことを友人に急ぎメールしますと、そこはラーメン派の罠だ、逃げろ、逃げるんだあ、とメールが返ってきました。丸亀城を散策した後にホテルのフロントで聞きますと、うどんは薄利多売なので店賃が高い駅前にはほとんどないですよ、と。

 名物にはありつきたいものですが、それでも、その場所まで行ってみないと分からない、という事はありますね。あと、丸亀城、物凄い高低差が重い撮影機材を担いで登るには難易度が高かったです、後で聞けば、なんでも大手門から天守閣までの高低差が現存十二天守閣では日本一、ということでした。これは事前に調べればわかった事なのですが、ね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・1月8日:平成29年 第1空挺団降下訓練始め…http://www.mod.go.jp/gsdf/1abnb/index.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【初春討論】いま自主防衛力を問う:後篇・・・戦争備える在日米軍備蓄と国家決意支える国民合意

2017-01-05 21:18:27 | 北大路機関特別企画
■国民理解と国民合意が必要
 自主防衛力の整備とは、米軍のポテンシャルを置き換えて初めて可能となる命題ですが、この為には膨大な予算と備蓄が必要であり、一見無駄とも思われる備えへの国民理解と、この政策を継続的に進める国民合意が不可欠といえるでしょう。

 在日米軍のポテンシャルは大きく分けて三つ、一つは日本へ駐留する空母航空団や空母任務群と三個航空団の航空戦力や海兵師団の強力な戦力、二つ目は緊急展開能力を持ち有事の際に周辺地域へ日本国憲法に縛られず即応展開し紛争拡大を阻止する戦力投射能力、三つ目は横浜や相模原と広や沖縄に備蓄される膨大な戦時用事前集積品とその管理能力です。自主防衛力を整備し、その上で米軍に頼らない防衛政策を展開するならば、この部分を行わなければなりません、不可能かと問われれば第二次大戦前までは実際に行えていましたので、不可能とは言い切れません。

 アメリカ軍はどのくらいの部隊を日本においているのか。在日米軍部隊、航空戦力では空軍の三沢基地第36戦闘航空団のF-16戦闘機40機と横田基地第374空輸航空団のC-130輸送機20機に嘉手納基地第18航空団のF-15戦闘機50機とE-3早期警戒管制機3機。海軍航空部隊が厚木基地第5空母航空団のF/A-18C/E戦闘機50機とE-2C早期警戒機5機。海兵航空部隊が岩国航空基地のF/A-18C/AV-8等20機、です。

 在日米海軍部隊は横須賀基地第7艦隊のロナルドレーガン空母任務群が原子力空母1隻とミサイル巡洋艦及びミサイル駆逐艦8隻、佐世保基地ボノムリシャール揚陸任務群が強襲揚陸艦1隻とドック型揚陸艦4隻、日本へは機雷戦艦艇や事前集積艦等も前方展開していまして、更に横浜ノースドックと呉へ陸軍輸送揚陸艦や上陸用両用舟艇が配備されている。

 日本が独自防衛力を整備する場合、こういった各種装備であれば、勿論原子力空母は一隻だけ建造しても意味がありません、即ち一隻だけ建造した場合は、その空母が重整備とナチる際に手元に動く空母が何もなくなってしまうし、一隻に全て集中した場合其の一世kが損傷した場合打つ手なしとなってしまうので、一隻の機能を分ける必要があるという事ですが、この他、乗員規模などから装備する事は難しく、仮に実施するならば英仏のような中型空母を二隻程度に分けるか、ヘリコプター搭載護衛艦へ艦載機を分散配備する事となるでしょうけれども、現在の経済力からは増強して維持する事も不可能ではない。

 緊急展開能力を持ち有事の際に周辺地域へ日本国憲法に縛られず即応展開し紛争拡大を阻止する戦力投射能力、自衛隊にこの能力は整備する事は十分可能であるのですが、現行憲法の下で整備した能力を実際に運用する事が可能かと問われますと、専守防衛の枠外となりかねません。専守防衛とは本土決戦主義、国土を戦場としない選択肢が元々ありません。当方が毎回気になるのは、戦争反対など叫ぶのは簡単ですが、戦争の方から自分の前までくる場合はどうすればよいのでしょうか、戦争反対で降伏したとして、現在の日本政府が崩壊し平和憲法が廃止され、傀儡政権が徴兵制を採った場合はどうするのでしょうか、この点の国民的合意が、そもそもなされていないように思えてなりません。

 閑話休題、現行憲法のままでは、国土を戦場とする覚悟の下で国民一人一人が自宅の前を最前線として徹底抗戦する覚悟が必要となりますが、実情として財産権や生存権など憲法は平和主義とそれ以外すべての人権を秤にかけた場合を想定しておらず、憲法の番人である最高裁判所はこの命題を統治行為論、として、政治問題、主権者が選ぶ政府へ判断を委ねています。

 日米安全保障条約は、国家の戦力投射と紛争の拡大阻止という国民の平和的生存権維持への責務を同盟国へ依存する事としており、この部分を是正しなければ、専守防衛という本土決戦主義のまま国民は平和憲法を教条主義的に守る事で平和的生存権を得られない厳しい現実の前に放り出される事となりかねません、すると現状では米軍頼りとなってしまう。

 在日米軍の基地施設へ依存する状況は憲法上の平和主義を国民の平和的生存権に優先した結果であり、祈るような平和主義を掲げてこれまで国家の繁栄を謳歌する、この厳しい現実の中、専守防衛政策下、万一の抑止力均衡破綻を契機とした本土への直接攻撃に際し、少しでも国民の生命持参を守る事が出来るよう政府は防衛力を整備してきましたしだい。

 戦力投射能力については、選択肢は二つあり、教条的平和主義から平和的生存権重視の憲法へ改正するか、若しくは現行憲法の枠内において可能となる戦力投射の在り方を非常事態法制として整備する、というものです。民主国家としては前者が妥当ですが、国民が支持するのであれば後者という選択肢も不可能ではなく、国民の民意が決める事の一つです。

 戦時用事前集積品の横浜や相模原と広や沖縄に備蓄と管理能力、在日米軍が日本本土へ備蓄する戦時用物資は膨大なものとなります、西太平洋における有事に備えたものですが、在日米軍は西太平洋における最大の拠点であり、ここを日本が置換えるには膨大な物資集積を自衛隊が行わなければなりません、万一に備えるものですがこの負担は非常に大きい。

 横須賀艦隊物資支援センターFISCは横須賀の16倉庫と2冷凍倉庫に125燃料タンクを有しています、これだけでも膨大な備蓄ですが、隷下に、鶴見燃料施設と小柴燃料施設、支所として八戸燃料施設と佐世保の赤崎施設に庵崎施設と横瀬施設、沖縄燃料施設が艦隊燃料を保管、在日米海軍の燃料貯蔵量は1100万バーレルに達し、全て即座に使用可能です。日本国内の国家石油備蓄は確かに多く、この燃料貯蔵量を考えれば1100万バーレルは僅かなものとも言えますが、軍用として手元に置いている量と考えますと、横須賀のみで燃料タンク125、有事に備えるとは非常に負担が大きくなる。

 在日米軍弾薬庫は、広弾薬庫、川上弾薬庫、秋月弾薬庫の三箇所に陸軍第83武器大隊が大量の弾薬を保管しています。佐世保弾薬補給所、針尾島弾薬集積所、は佐世保海軍CFASが管理する海軍及び海兵隊用弾薬庫でこの二箇所の備蓄量だけでも4万トンに達します。嘉手納弾薬庫と辺野古弾薬庫は空軍第18弾薬群が管理し在沖米軍施設で二番目に広い。

 有事の際の兵站施設は、首都圏の横浜・横田・横須賀三角地帯とこの中心に位置する陸軍相模原総合補給処により主軸を構成しており、平時から日本人従業員中心の1000名規模に上る管理要員による保管と管理に装備整備を行う相模原総合補給処と空輸拠点横田や資材搬入ターミナルとしての横浜があり施設はJR横浜線と国道16号線で太く結ばれています。勿論、第二次大戦中の旧日本軍が転用した国内交通網に比べれば微々たるものですが、現代の交通量を考えますと有事に米軍が戦略道路としてこれだけの輸送力を想定している、この点を忘れてはなりません。

 現代戦も物資の大量消費により戦線が維持されるものです。この為、米軍は西太平洋最大の拠点を日本国内へ配置し、維持しています。例えば輸送車両などは事前集積線という自動車貨物船に上船させ洋上を遊弋、数百両の車両を点検し維持するのですが、耐用年数を超えればその車両群は下手をすれば工場から車両デポを経由して事前集積線に乗った以外ほとんど動かさないまま、そのまま廃棄することとなります。米軍のポテンシャルを省くという事は、日本が地域安定化へ責務を果たす必要があるのですが、万一の際大量に使用する資材物資装備を大量に管理し整備、使用されなければ期限切れと共に全て廃棄するという認識が要る。

 万一の際に備えるとは聞こえの良い言葉ですが、本当に万一の際の必要な大量の物資を最大限備蓄するために平時から大量の費用を支出し、廃棄する際に無駄な支出であったとしても備えのためであるため仕方がない、という合意、財務当局や納税者の理解を得られる体制、これも自主防衛力の為に必要なものとなります。云わば、自主防衛力とは、有事、という単語を防衛当局者と政治家が認識する問題領域であるものの、この必要性と現実性を納税者である国民が共有できて、初めて可能となるのかもしれません。そしてもう一つ、国家の決意を国民が支える事で初めて可能となるのですが、その為には日本国が国民と共有する“正義”の定義というものを持つ必要がありますが、この点はまた機会を改めて考える事としましょう。

北大路機関:はるな くらま
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【初春討論】いま自主防衛力を問う:中篇・・・沖縄防衛を自衛隊が担い在沖米軍を北海道へ移転

2017-01-04 20:41:44 | 北大路機関特別企画
■沖縄米軍基地問題の解決法
 自衛隊を増強し、九州からの緊急展開能力と沖縄の防衛警備力を強化した上で、自衛隊との緊急展開に関する日米共同体制を構築し、その上で米軍の北海道移転を図るとの提案を今回提示してみる事としました。

 年末に入り、我が国最大の米軍用地である沖縄北部訓練場の半分が日本側へ返還されました。これまで記事に示してきましたが、日本の米軍用地の大半が沖縄県に集まる最大の理由は北部訓練場にあり、ここを自衛隊管理演習場として転換すれば、数字の上で沖縄負担は革新的に縮小する。ただ、沖縄県庁は今回の施策を歓迎している訳ではないようです。

 政府が提示する沖縄基地負担軽減に対し、当方が提示するのは全国基地負担共有、というものです。実際問題として沖縄返還は沖縄県民の本土復帰要求と我が国の一体となった沖縄返還要求の日米交渉で実現したものです。その上で本土復帰時に自衛隊駐留へ否定的な意見はありましたが沖縄県で自衛隊の努力と民生支援に協力関係が理解を増進しました、そこで米軍の位置づけを自衛隊へ置き換えるとの視点を。

 自主防衛力の一つの方法論として前回提示しました第2ヘリコプター団の目達原新編案、西部方面即応集団新編案、第15旅団の師団規模改編提案、というものを提示しましたが、その上で在日米軍を全て置き換え、自衛隊のみで本土防衛と周辺事態対処能力を自己完結させるという一挙に踏み込んだ提案ではなく、在沖米海兵隊の移転、特に北海道等への抜本的な移転という施策、検討余地はないでしょうか。

 在日米軍在沖海兵隊のポテンシャルは第2ヘリコプター団と西部方面即応集団に南西師団新編により解決し、その上で海兵隊を抜本的に沖縄から移転するというもの。具体的には広島県の在日米陸軍の様に沖縄を実動部隊ではなく事前集積と弾薬集積等の拠点として、第一線部隊を北海道等へ転地してしまう、という施策です。単純な撤退論ではありません。

 北海道へ米軍を受け入れ自衛隊駐屯地に迎える、北海道には帯広第5師団の第5旅団への縮小、真駒内第11師団の第11旅団への縮小、駐屯地には若干の余裕があります。勿論、米海兵隊へ警備管区を任せ災害派遣などに専任させる事は指揮系統上全くあり得ませんので、日米共同施設となりますが、例えば富士地区の海兵隊キャンプ富士と滝ヶ原駐屯地のように並列して駐屯する事は現実的に可能です。

 北海道には第5偵察隊の別海駐屯地、北部方面対舟艇対戦車隊の倶知安駐屯地等、駐屯部隊規模の小さな駐屯地があり、地元自治体の反対により閉鎖を免れた駐屯地も少なくありません。第11旅団管区と第5旅団管区を中心に演習場環境等を考慮し、規模に余裕ある駐屯地、美幌、別海、釧路、鹿追、滝川、美唄、倶知安、受け入れの余地はあるでしょう。

 在沖米軍最大の第3海兵師団は、司令部大隊、第3海兵連隊、第4海兵連隊、第12海兵砲兵連隊、第3偵察大隊、戦闘強襲大隊、より成り、第3海兵連隊以外は日本に駐屯しています。第31海兵遠征群は緊急展開部隊で海兵大隊と海兵航空部隊に兵站大隊を組み合わせた部隊です。海兵航空部隊等は、この二つの部隊の空中機動を担当する部隊でもあります。

 普天間飛行場機能を丘珠駐屯地飛行場地区や別海駐屯地計根別飛行場へ移管、第1海兵航空団を岩国航空基地から三沢基地へ移駐させ、佐世保基地の強襲揚陸艦ボノムリシャール等第76任務部隊を横須賀基地へ移駐、逆に空母航空団の厚木航空基地から岩国航空基地移転に合わせ、空母ロナルドレーガンを横須賀から佐世保へ移転する施策も考えられます、支援設備なども移転する必要が生じますが、不可能ではない。

 在日米軍そのものを自衛隊で置き換える案はある種非常な政治決断を必要とするものですが、自衛隊を増強した上で沖縄県において住民との摩擦を繰り返す海兵隊を駐屯地容積と演習場環境に余裕ある北海道へ移転し、基地問題そのものの解決を図る、この選択肢について。自衛隊で在沖米軍を置き換えるには純増措置が必要ですが解決できれば道は開ける。

 第2ヘリコプター団の目達原新編案、西部方面即応集団新編案、第15旅団の師団規模改編提案、その上で在沖米軍の第3海兵師団と第31海兵遠征群を北海道の第5師団旅団化と第11師団旅団化により余裕のある駐屯地へ移転する。沖縄防衛力は自衛隊の増強により置き換えられ、冷戦時代にソ連軍を対岸に睨み構えていた時代ほど21世紀の北海道は最前線ではない為、米軍移転も周辺情勢を刺激しません。

 一方、偏見かもしれませんが在沖米軍はカウンターパートナーとなる自衛隊の規模が小さく、あくまでローテーション展開任務を受ける海兵個々人の認識として、日本の防衛に対する偏った認識を醸成している可能性があります、北海道であれば2個師団2個旅団に特科団と高射特科団等々、海兵師団と海兵遠征群とを受け入れ共存する事は可能と考えます。

 日米同盟の片務性という誤解の払拭との視点からも、北海道を背景に海兵隊のLAV-25軽装甲車が陸上自衛隊の96式装輪装甲車と並んで整備し演習、海兵隊のM-777榴弾砲と陸上自衛隊の99式自走榴弾砲が射場待機位置で並んで順番を待ち、海兵隊のAAV-7水陸両用強襲車両が陸上自衛隊の90式戦車と並び野戦機動を訓練する、個人装備から重装備まで運用と戦術までを学ぶことが出来ますので、その意味は大きいでしょう。

 勿論、防衛計画の大綱に西部方面即応集団などありませんし、南西師団等の編成は純粋な増勢措置となります。航空機材の取得だけで3000億円規模の事業となり、人員も少なくとも7000名の増員、これ以上引き抜く人員は自衛隊に残っていませんし、減らす事が出来る装備品もとうの昔に払底、現状防衛力さえ破綻しかけている為、防衛費増額は不可避です。

 ただ、独立国である以上、自国は独力で防衛する事が望ましいですし、冷戦時代に日本が高度経済成長の恩恵を享受する以前の貧しい時代に北海道へ4個師団を置いたのですから、この程度の防衛力強化は現在の日本の経済力からは不可能とは言切れません。予算がない、を言い訳として遅滞させるのではなく周辺情勢変化と脅威増大を素直に受け入れるべきだ。

 専守防衛を国是とする我が国に在って、冷戦時代、最前線が北海道にあると共にアジア地域での戦力投射任務が求められた時代には在沖米軍の策源地としての沖縄の意味は大きかったわけですが、南西諸島への脅威が顕在化した今日、最前線は沖縄であり、この中で専守防衛を維持するには、相応の施策と沖縄の理解を増進すべく、全国負担共有は必要です。

北大路機関:はるな くらま
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【初春討論】いま自主防衛力を問う:前篇・・・日米安全保障条約と沖縄基地問題の深層にして原点

2017-01-03 22:00:01 | 北大路機関特別企画
■日本の平和を日本の国民が守る
 初春討論、としまして数回に分けて討議する問題としまして、“いま自主防衛力を問う”という安全保障問題の原点を考える命題を提示してみました。

 新しい一年が始まりましたが、一年の初めに考えてみたいのは、昨年末に様々な論争を巻き起こしました在日米軍に関する問題への一つの視点です。具体的には普天間飛行場移設問題が国論の一部を分断する印象が顕在化している点についてですが、これを最終的に解決すべく、独自防衛力、というものを整備し代替する事は不可能なのか関心が湧きます。

 アメリカに依存しない自己完結型の防衛力を整備してこそ、沖縄県の米軍基地負担軽減やアメリカからの在日米軍政治牽制への圧力へ対応出来、憲法問題についても必要な防衛力を整備した上で専守防衛か地域安定かを正面から向かい合う事が出来る、この視点に依拠して、まず、在日米軍の戦力を自衛隊により置き換える選択肢を真剣に考えてみましょう。

 岩国海兵航空団、普天間航空基地への部隊派遣を個なっているのは岩国海兵航空団である訳ですが、MV-22可動翼機による緊急展開能力やCH-53E重輸送ヘリコプターによる重装備揚陸能力とAV-8攻撃機、間もなくF-35B戦闘機へ代替される航空打撃力から構成されています。この空輸能力と航空打撃力を自衛隊で置き換える試算を示しますと以下の通り。

 第2ヘリコプター団としてCH-47輸送ヘリコプター32機及びUH-60JA多用途ヘリコプター10機を増勢し、西部方面隊管内へ配置、海兵航空団へ依存しない空中機動基盤を構築し、併せて近年の課題であり戦闘ヘリコプター後継選定については、AH-64E乃至AH-1Z戦闘ヘリコプター等既存運用基盤との整合性を有する機体の90機取得を迅速に実施する。

 在日米軍の中で突出しているのは航空戦力です。嘉手納基地のF-15戦闘機50機、厚木基地の空母艦載機F/A-18E戦闘機等50機、三沢基地のF-16戦闘機40機、岩国基地のF/A-18戦闘機やAV-8攻撃機等30機、実に170機の航空戦力が我が国へ展開しています。これを航空自衛隊が4個航空団160機を航空方面隊へ各1個航空団の増設で代替できるでしょう。

 日米安全保障条約そのものを否定するわけではなく、有事の際には集団的自衛権行使による日米共同作戦を前提としますので、在日米軍の航空戦力は初動戦力でしかありません、しかし、初動を自国のみで防衛できる体制を構築し、更なる増強戦力を受け入れる基地容量の余裕さえあれば、戦闘機4個航空団の自衛隊増勢により初動を支える事が可能となる。

 無論、米軍は戦力投射能力として機動展開を支える膨大な空輸能力や日本国内の多数の弾薬庫や燃料備蓄施設と装備品事前集積等により支えられている部分があり。この程度で正面装備を置き換える事は出来たとして米軍の日本におけるポテンシャルと極東地域におけるプレゼンスを代替する事は出来ません、ただ、初動対処能力は置き換えられるでしょう。

 平和憲法を否定するわけではありませんので、専守防衛は堅持します。故に日本本土有事の際に増勢する170機の戦闘機と現防衛大綱の戦闘機定数280機を併せた450機の戦闘機を動員して一挙に敵航空戦力や軍港産業施設等策源地攻撃により叩き潰す選択肢は執れず、当然ながら専守防衛施策の下では主力となるのは陸上防衛力となる点は変わりありません。

 ただ、これまで長く提示しています陸上防衛改編案、広域師団案として装甲機動旅団と航空機動旅団という戦車を持つ第11旅団型の旅団と方面航空部隊を移管し機動運用に充てる第12旅団型の旅団を組み合わせる部隊の必要性、を長く提示してきましたが、陸上防衛に関してはこの水準で充分であり、上記ヘリコプター団新編に加え、必要な装甲戦闘車及び軽装甲車両を充足するだけで対応は可能でしょう。

 この陸上防衛力ですが、一点、在日米軍に依存しない前提で在沖米軍第31海兵遠征群と第3海兵師団を那覇第15旅団では代替できず、第15旅団を広域師団型の部隊へ拡大改編し沖縄県と鹿児島県島嶼部へ航空機動旅団隷下連隊を配置し、装甲機動旅団を沖縄本島へ展開、その上で九州沖縄へ第31海兵遠征群を置き換える中央即応集団型部隊が必要です。

 第七艦隊の代替ですが、寄港を受け入れるという前提と共に、第15駆逐隊や空母ロナルドレーガンの代替について、護衛艦隊を増強し、新しい八八艦隊構想、としまして繰り返し提示しています、四個護衛隊群隷下八個護衛隊全てへのヘリコプター搭載護衛艦の配備と、F-35B戦闘機のような能力をもつ艦上固定翼哨戒機を搭載する事で一部代替可能となる。

 シーレーン防衛には数が必要となりますが、この部分を第15駆逐隊の代替へ、計画が進む3000t級のコンパクト護衛艦を現在の自衛艦隊直轄二桁護衛隊へ充当する計画、20隻程度の建造計画により補え、例えば二桁護衛隊の護衛艦を支援可能なバートレップ補給用航空機と僚艦防空能力を持つ多目的支援艦等を旗艦に充てれば護衛隊群の補完も可能でしょう。

 戦闘機160機の増勢、輸送ヘリコプター等40機の増強、その上で現在の防衛力を着実に近代化し装備の更新を行う。戦闘機やヘリコプターの耐用年数を30年とすれば戦闘機450機の勢力維持には最低限毎年15機の調達、一中期防あたり75機を量産すればよい、財政面で非常に難しいですが全く不可能かと問われれば、財政面での問題は政治の問題であり、しかしこの場合は、これを支持する国民合意があれば乗り越えられ、加えて経済的な視点からも可能です。

 必要な人員増勢、第15旅団の師団化と新たな西部方面即応集団の新編に9000名規模の増勢が必要となりますが、元々広域師団構想は陸上自衛隊を10万名規模の10万9000名へ縮小する施策として提示したものですので、第15旅団の師団化と西部方面即応集団新編や航空部隊と支援部隊などを含めても陸上防衛力は12万4000名程度、これも不可能ではありません。

 最大の障壁は広く定着した国民の誤解です、即ち、日本は弱小国なので独自防衛は不可能、と最初から米軍に全て依存し、専守防衛と言い換えた本土決戦主義の刹那的な防衛政策に特化している点です。選択肢として、例えばGDP1.5%程度の費用を防衛費に充て、安全保障政策と防衛政策を国家戦略として防衛力整備を行う事で、独自防衛は可能であり沖縄米軍基地負担へ向かい合う施策でしょう。

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【初春特集】謹賀新年二〇一七年!新しい一年のはじまりとWeblog北大路機関から迎春のご挨拶

2017-01-02 23:27:00 | 北大路機関特別企画
■謹賀新年二〇一七
 皆様、改めまして新年あけましておめでとうございます。北大路機関より新年のご挨拶申し上げます。

 大戦艦ハルナ……来たよ。二〇一七年、新しい一年が始まりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。本年も写真本文等通しまして、気力が続く限り皆様へ様々な視点を紹介できれば、と思います。北大路機関第二北大路機関共々本年一年、よろしくお願いいたします。

 北大路機関が取り組む様々な視点は、手を取り合って深めてゆきたい。こちらからの一方的な論理と理念の提示ですが、Weblogとは読者の参加により議論を深める討議の場です。日々、ご意見いただいてもなかなかお返事を返す時間がありませんが、それでもご意見など頂けると幸い。

 防衛安全保障名所旧跡公共交通、様々な視点を毎日どのようにして更新しているのか、とはよく聞かれますが、喫茶店や列車内含めPOMERAにて記事を作成しています、この為稚拙な部分も散見されますが、昨年中頃よりこの改善施策を実施、安定した更新が可能となりました。

 西住みほさん曰く“友情は瞬間が咲かせる花であり、そして時間が実らせる果実である”、座右の銘ですが、彼女をライバル校のダージリンさんが評するには“戦った相手みんなと仲良くなる”との人柄は、こうした価値観から来ているのでしょう見習いたいものですね。

 コンゴウさん曰く“わたしは…、自身に、呑まれて…、いたというのか”人間は社会性の生き物です、故に持論は絶えず検証し討議する事が可能です、この為に自分に呑まれない為にも議論と討議は重ねねばなりません、当方にも言える事です、皆様にとり、ここが、その場所と出来れば幸い。

 ハルナさん曰く“意志?意志という言葉の定義を今からお前たちに教え込んでやろう。これが私の意志だ!”あらゆる物事の成果は努力と積み重ねにより顕在化しますが、これを最後の段階で手を伸ばして掴み取る事は意志力により成し遂げられるもの、これが意志でしょう。

 タカオさん曰く“自らが仰ぎ見た者の意志を貫徹出来ずして…、…何が…、何が艦隊直衛艦か!、奢るな重巡タカオ!”個人の努力には限界があります、故に集団を築くことで人類は此処まで発展しました、これは同時に自分の部局の理念の理解を上下共に努力する事で成り立つものです。

 由比ヶ浜結衣さん曰く“分かんないって言ってた。どうしていいかも分かんないだと思う。あたしだって全然分かんない・・・でも、分かんない。で終わらせたらダメなんだよ!”事象は理解できそうなもの程簡単には分かりません、深層へ突き詰め続ける努力は必要ですね。

 雪ノ下雪乃さん曰く“認識を改めなさい。最低限の努力をしない人間には才能がある人をうらやむ資格はないわ。 成功できない人間は成功者が積み上げた努力を想像できないから成功しないのよ”才能とは努力が成果へ具現化するまで継続する意思なのかもしれません。

 小泉花陽さん曰く“綺麗だなぁって思って。同じ花なのに、一つ一つ色が違ったり・・・みんなそれぞれ個性があるの。今回の曲のヒントになるといいな”、Weblog北大路機関は写真や文章を掲載していますが、誰でも撮れる写真や文章も陥らないよう心掛けたいものです。

 西木野真姫さん曰く “冬になる前に煙突を汚すと、サンタさんが入りにくくなるって、パパが言ってたの从廿_廿从”理論も部屋も仕事場も全て一本で通っているもの、整理整頓が重要です、サンタさん云々関係なく整理整頓と定位置格納維持を心掛けたいものですね。

 秋山澪さん曰く“やる前に無理だとかダメだとかばっかり言ってる…。乗り越えないと…自分を!”やり始めてもやり遂げる前に無理と判断するには、先ず限界を知ることが重要です、しかしやり続ける為には休み次の踏破へ集中する事も重ねて考えねばなりません。

 結城明日奈さん曰く“自分の為に走り続けるだけが人生じゃない。誰かの幸せを自分の幸せだと思えるように、そういう生き方もあるんだって…”そういう生き方もあるのですが、自分の立ち位置を理解する事で実は自らも支えられている、客観視点も重ねて忘れないよう。

 毎年恒例の写真特集にて、様々な方の名言を引用させて頂きましたが、よい記事をWeblogにより提供したい、TwitterやFacebookなど電子媒体は多様化している中ではWeblogの位置づけは変化していますが、北大路機関はGOOブログの北大路機関、FC2ブログの第二北大路機関共々運用を継続してゆきます、本年も、よろしくお願いいたしますね。

北大路機関:はるな くらま
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