■最上,FFMは現代の通報艦か?
もがみ。久々に佐世保と長崎を巡りたいところですが中々昨今遠出が難しい事情がありまして、あぶくま型の写真に代役を頼みつつ。

もがみ型護衛艦、30FFMとして計画されていた3900t型護衛艦が現在長崎にて建造中です。この護衛艦ですが、旧海軍の重巡洋艦最上、その活躍が余りにも有名です。15cm艦砲を搭載した大型軽巡洋艦として建造され、ワシントン海軍軍縮条約失効を以て艦砲を戦艦撃破さえ可能な20cm艦砲に換装、更に航空巡洋艦として発展、最後の時まで奮戦した。

最上。しかしよくよく考えてみますともう一つ護衛艦もがみ建造には思い起こすべき一隻がありました、それは通報艦最上、日本海軍が最後に建造した通報艦です。通報艦、それは速度と航続距離を誇り哨戒任務に当たり脅威となる敵戦力と遭遇した際には文字通り艦隊司令部に位置や戦力などを通報、この偵察任務は後に軽巡洋艦へと統合されています。

通報艦最上は明治37年度計画として建造、常備排水量1350t、8000hpの蒸気タービンエンジンを搭載し、速力は23ノット、全長は91mとなっています。その武装は12cm艦砲2門と7.6cm艦砲4門、および45cm魚雷発射管2基となっていまして、艦砲は全て単装砲、更に最大の武装は艦橋後部に設置した長大なマストにより運用される通信能力でしょう。

日本造船史上における最上、三菱重工長崎造船所が建造した初めての軍艦でして、戦艦武蔵や戦艦日向と戦艦霧島、重巡洋艦青葉や羽黒や鳥海を建造した三菱重工長崎造船所、通称"長船"の軍艦建造の始まりといえる貴重な一隻だったのですね。そしてもう一つ、通報艦最上は宮原式水管缶を6基搭載、石炭重油の混燃方式を採用していましたが、重要な点は。

日本造船史上における通報艦最上、その位置づけには日本で初めて国産された蒸気タービン推進艦となっていました、まさにここから日本の艦艇国産技術は一歩大きな段階に達したのですね。このほか、通報艦最上はスクリュー形状を日本独自設計としており、また日本で初めて建造された三軸推進艦ともなっていました。さて通報艦についてみてみます。

最上の常備排水量1350tというのはやけに小さく思われるかもしれませんが、当時の駆逐艦は350t程度でしかなく、駆逐艦の外洋航行は可能ではあっても外洋での戦闘が想定されていない時代でした。ただ、最上は新造された最後の通報艦ですが、平行して海風型という、日本駆逐艦史上初めて常備排水量が1000tを超えるものが建造、ここに収斂しました。

駆逐艦との比較をしますと、通報艦最上は三本煙突構造を採用していまして、防護巡洋艦や5500t型軽巡洋艦に通じる形状を採用、もちろん水雷戦隊との連携を考えた設計ではありませんが、12cm艦砲の搭載は小型軽巡洋艦と言いうる設計でした。もっとも、日本海軍の通報艦はこの後、商船改造で航洋性の高いものに転換しますが警備任務に活躍します。

三本煙突ものちの日本海軍軽巡洋艦と繋がるところですが、魚雷発射管も同様です。もっともこの魚雷発射管配置は不可思議でして、右舷一番煙突脇と左舷後部船楼脇のブルワーク部分に開閉式扉を配置して、ここから投射するという、当時魚雷攻撃はかなり接近して行うものであったのですが、航行中に命中させるには難しいような配置となっていました。

もがみ、さてこう考えますとFFMという任務は護衛艦隊護衛隊群の護衛艦と言うよりは昔の地方隊護衛艦の系譜であり、通報艦と重なる部分がありますし、一番艦として三菱重工長崎造船所にて建造されています、基準排水量では3900tとかなり大型化していますが、現代版もがみ、重巡洋艦最上よりも通報艦最上との縁が深いように、思えてしまいますね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
もがみ。久々に佐世保と長崎を巡りたいところですが中々昨今遠出が難しい事情がありまして、あぶくま型の写真に代役を頼みつつ。

もがみ型護衛艦、30FFMとして計画されていた3900t型護衛艦が現在長崎にて建造中です。この護衛艦ですが、旧海軍の重巡洋艦最上、その活躍が余りにも有名です。15cm艦砲を搭載した大型軽巡洋艦として建造され、ワシントン海軍軍縮条約失効を以て艦砲を戦艦撃破さえ可能な20cm艦砲に換装、更に航空巡洋艦として発展、最後の時まで奮戦した。

最上。しかしよくよく考えてみますともう一つ護衛艦もがみ建造には思い起こすべき一隻がありました、それは通報艦最上、日本海軍が最後に建造した通報艦です。通報艦、それは速度と航続距離を誇り哨戒任務に当たり脅威となる敵戦力と遭遇した際には文字通り艦隊司令部に位置や戦力などを通報、この偵察任務は後に軽巡洋艦へと統合されています。

通報艦最上は明治37年度計画として建造、常備排水量1350t、8000hpの蒸気タービンエンジンを搭載し、速力は23ノット、全長は91mとなっています。その武装は12cm艦砲2門と7.6cm艦砲4門、および45cm魚雷発射管2基となっていまして、艦砲は全て単装砲、更に最大の武装は艦橋後部に設置した長大なマストにより運用される通信能力でしょう。

日本造船史上における最上、三菱重工長崎造船所が建造した初めての軍艦でして、戦艦武蔵や戦艦日向と戦艦霧島、重巡洋艦青葉や羽黒や鳥海を建造した三菱重工長崎造船所、通称"長船"の軍艦建造の始まりといえる貴重な一隻だったのですね。そしてもう一つ、通報艦最上は宮原式水管缶を6基搭載、石炭重油の混燃方式を採用していましたが、重要な点は。

日本造船史上における通報艦最上、その位置づけには日本で初めて国産された蒸気タービン推進艦となっていました、まさにここから日本の艦艇国産技術は一歩大きな段階に達したのですね。このほか、通報艦最上はスクリュー形状を日本独自設計としており、また日本で初めて建造された三軸推進艦ともなっていました。さて通報艦についてみてみます。

最上の常備排水量1350tというのはやけに小さく思われるかもしれませんが、当時の駆逐艦は350t程度でしかなく、駆逐艦の外洋航行は可能ではあっても外洋での戦闘が想定されていない時代でした。ただ、最上は新造された最後の通報艦ですが、平行して海風型という、日本駆逐艦史上初めて常備排水量が1000tを超えるものが建造、ここに収斂しました。

駆逐艦との比較をしますと、通報艦最上は三本煙突構造を採用していまして、防護巡洋艦や5500t型軽巡洋艦に通じる形状を採用、もちろん水雷戦隊との連携を考えた設計ではありませんが、12cm艦砲の搭載は小型軽巡洋艦と言いうる設計でした。もっとも、日本海軍の通報艦はこの後、商船改造で航洋性の高いものに転換しますが警備任務に活躍します。

三本煙突ものちの日本海軍軽巡洋艦と繋がるところですが、魚雷発射管も同様です。もっともこの魚雷発射管配置は不可思議でして、右舷一番煙突脇と左舷後部船楼脇のブルワーク部分に開閉式扉を配置して、ここから投射するという、当時魚雷攻撃はかなり接近して行うものであったのですが、航行中に命中させるには難しいような配置となっていました。

もがみ、さてこう考えますとFFMという任務は護衛艦隊護衛隊群の護衛艦と言うよりは昔の地方隊護衛艦の系譜であり、通報艦と重なる部分がありますし、一番艦として三菱重工長崎造船所にて建造されています、基準排水量では3900tとかなり大型化していますが、現代版もがみ、重巡洋艦最上よりも通報艦最上との縁が深いように、思えてしまいますね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)