平地治美の漢方ブログ 

漢方(漢方・薬膳・鍼灸...)全般についてのブログです。コメント大歓迎。

九州散策 中津3 大江医家資料館

2013年06月28日 | 散策

続いて向かった大江医家資料館。


「和蘭全躯内外分合図」飛び出す絵本のようで面白い!

疱瘡よけの「赤絵」


有名な「医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す 」というこの言葉は、
初代中津医学校校長・大江雲澤の医訓でした。
医訓は四則あります。

第一則:醫不仁之術欲務為仁
   (醫は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す )

第二則:実中察虚虚中察実醫猶兵也
   (実中に虚を察し、虚中に実を察す。医はなお兵の如し)

第三則:對病勿図利好名為怪 非為己資実助造化之不及
   (病に対して利を図り、名を好み、怪しきをすることなかれ。
    己を資すに非ずして、天地の造化を助けに及ばず)

第四則:知冠操戈奮武不知撫安之 知火以水嚮之不知以火制火焔 
    本治標治因治現非忘 筌取魚之士難共言道矣
   (冠には矛をとり武を奪うを知るも、これを撫安するを知らず。
    火には水をもってこれに向かうを知るも、火をもって火を制することを知らず。
    根本を治めて末節を処理し、病因を治めることを忘れず症状に対す。
    網でなく、魚を取れる人でないと道を共にするは難し)

第一則は
“医療は無条件に善なのではなく、悪にもなる。だからこそ医師は常に謙虚に患者のために尽くすべきである”

雲沢は「(ばいそう)経験方叙」の中で、書物や経験のみに頼り過ぎる医療の怖さを指摘し、自分の犯した医療事故についても記載し、自らの頭でよく考え、先人の教えを謙虚に学ぶことの重要性を述べています。雲澤は華岡青洲の医塾『合水堂』に入門し、青洲の弟である良平に学びました。1871(明治4)年には中津医学校の校長に就任し、外科医としてのみならず、教育者としても優れた業績を残した医師として知られています。大江雲沢の家からは華岡青洲の画像や多数の華岡流外科手術図が発見されており、当時の中津藩から華岡塾の大坂分塾に5人の医師が派遣されて学んでいたことが判明しています。解体新書や重訂解体新書なども発見されており、前野良沢を生んだ流れが幕末までも続いていたようです。


川嶌先生はこの本の中で「これは現在の医療のリスクマネジメント(危機管理体制)を表している言葉である」と語っています。  

九州の蘭学―越境と交流
クリエーター情報なし
思文閣出版

中津は多くの留学生を長崎に出し、その結果として前野良沢や福沢諭吉ら多くの蘭学者を輩出して日本の近代化に大きく貢献しました。
そこには5代目藩主・奥平昌高の元、中津藩が藩を挙げて蘭学に取り組んだという背景があります。
奥平昌高はシーボルトとも親交し、自らもオランダ語を学び、日本で最初の和蘭辞書「蘭語訳撰」(1810年)、3番目の蘭和辞書「中津バスタード辞書」(1822年)を出版しています。

帰ってきてから気合いの入ったホームページを発見
大江医家資料館
(管理者は大江雲澤の曾孫の大江満さんという方です)


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九州散策 中津2 福澤諭吉

2013年06月20日 | 散策
福澤諭吉旧居・福澤記念館







しらみをつぶした石





左から2番目、イケメンです!



恥ずかしながら、ここを訪れるまで福澤諭吉がどんなことをした人かよく知りませんでした。
改めてその業績を見て驚くばかり、さすが一万円札になるだけのことをした人だと納得。

感動した勢いで、福澤記念館にて三冊の小冊子「学問のすすめ」「ひとのをしへ」「中津留別之書」を購入。
自分の子供に子供としての心がけを書いた「ひとのをしへ」は大人が読んでもなるほどと思うことが
たくさん書いてあります。

面白かったのは桃太郎についての記述。

「ももたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。
 けしからぬことならずや。たからはおにのだいじにして、しまいおきしものにて、
 たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、
 ももたろふは、ぬすびとともいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、
 いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、ももたろふの
 ゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりて
 うちにかへり、おぢいさんとおばあさんにあげたとは、ただよくのためのしごとにて
 ひれつせんばんなり」

なるほど、、、そんなこと考えたことなかったけれど、言われてみればそうですね。
こんなふうに、世の中で当たり前とされていることにも鋭い批判の目を向けて間違って
いることは間違っているとする教育方針は素晴らしい。
そしていつもこんな面白い話をしてもらっていた福澤家の子供達がうらやましい。

帰ってきて読んだ
福翁自伝
クリエーター情報なし
慶應義塾大学出版会


これはかなり面白かったです。
晩年になって書いた自伝なのですが、特に面白いのは適塾でのやんちゃぶりで、
真っ裸で大酒を飲んだり、熊や牛を解剖した話、様々ないたずらの様子が書かれて
います。勉強の仕方も半端ではなく、よく遊びよく学んだ適塾での様子が目に浮かぶようです。

ただ不思議なのは「中津留別之書」で“人誰か故郷を思はざらん”と言っていたのに
「福翁自伝」では中津のことを“こんなところは早く飛び出したい、出たら最後二度と帰るものか”など、
決してよくは書いていないことです。
この後、偶然通りかかることができた耶馬渓

景観が損なわれることを危惧し、晩年に買い取ったそうです。
やはり故郷を愛する気持ちは強かったのではないかと思うのですが。。。

福澤諭吉はこれまであまり映画やドラマになったことがないような気がするのですが
なぜなのでしょう。

「福翁自伝」なんかを基にドラマ化されたらぜひ視てみたいと思うのですが。



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九州散策 中津 1

2013年06月11日 | 散策
せっかく鹿児島に行くのだから、九州を散策したい!

と、以前からひそかに計画を練っていた九州縦断散策。

北九州市の友人が運転してくれる車で南下するという計画、運転できない私のせいでさぞ
疲れるだろうと恐縮しつつ。。。(その割には隣でお菓子食べたり寝てたりしましたが)
今回も好意に甘えまくってしまいました!

学会は金曜日からでしたが、水曜日の夜に友人宅に泊めてもらい、翌日の早朝に出発。

 中津藩→小国(北里柴三郎記念館、生家)→阿蘇で宿泊→熊本大学薬学部の薬草園&資料館

 →武蔵塚公園→鹿児島


というのが今回の大まかな計画、行きたいところが他にもたくさんあり過ぎ、
何度もガイドブックや地図とにらめっこ、九州は医学史跡の宝庫だなと改めて認識しました。

まず訪れたのは中津。





来年の大河ドラマは中津城を築城した軍師・黒田勘兵衛。
町中の至る所にこの白地に黒字ののぼりが立っています。



中津は漢方というより、多くの蘭学者・蘭方医を生み出しています。

江戸時代までは医学と言えば基本的には漢方であり、蘭方を学ぶというのは大変な苦労があったはずです。
しかし外科や天然痘の予防接種である種痘は漢方よりも蘭方が得意とするところであり、
患者さんのためには漢方も蘭方も両方必要ということで中津藩は積極的に蘭学に取り組みます。
中津藩3代目の藩主・奥平昌鹿は長崎の蘭方医・吉雄耕牛が母の骨折を見事にに治療したことを機に蘭学に興味を抱き、藩医の前野良沢を長崎に派遣しました。藩主の期待に応えた良沢がターヘルアナトミアを杉田玄白らと翻訳し、蘭学のパイオニアとなつたことはあまりにも有名です。

前野良沢に始まり福沢諭吉の頃を最後に、他にも

 村上玄水(九州最初の人体解剖)
 大江雲沢(華岡流医学を学ぶ)
 小幡英之助(日本で最初の洋式歯科医)
 田代基徳(整形外科の開祖)
 田原淳(心臓刺激伝導系研究者、ペースメーカーの父と呼ばれる)

ら歴史上に残る多くの偉人を産み出した中津。
静謐な街並にはところどころ石垣が残り、このような史跡巡りコース案内や福沢諭吉の言葉などが掛けられています。






そして蘭学円熟のグランドフィナーレを飾った福沢諭吉、

「何度もお札になる人って、そうそういないよね」

と期待に胸を膨らませた私達は、福沢諭吉旧居・福澤記念館へと向かったのでした。



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第64回日本東洋医学会学術総会

2013年06月03日 | 学会 勉強会 お知らせ
第64回日本東洋医学会学術総会に参加してきました。

今年は鹿児島での開催、テーマは 漢方“力”“その技とサイエンス”。

聴きたいシンポジウムや演題が重なりまくっていて、どれに出ようか迷ったあげく主に
選択したのは以下。

全体的な印象としては、ただ漢方薬を使うというよりも、気や養生などを重視する内容
のものが増えてきているように感じました。
年々、鍼灸部門が充実してきているのも嬉しいことです。
鍼灸師の参加がまだまだ少ないようですが、このような場に来て医師や薬剤師などとも
交流するのは大切なことだと思います。



5月31日(金) 
伝統医学臨床セミナー「今こそ日本医療のアイデンティティーを問う
        ~自信と誇りを持て、再生日本~」寺澤捷年先生

開会式後のトップバッターは寺澤先生。
吉益東洞から奥田謙蔵、湯本求真、小倉重成先生らへの流れをわかりやすく解説
してくださいました。
苓桂朮甘湯、苓姜朮甘湯、苓桂味甘湯、苓桂甘棗湯の四処方は一味ずつ違うだけ
なのに随分印象が違う処方なのだということを音楽にたとえ動画で再生、このような
聴覚に訴える発表は初めてでとても新鮮でした。
        

6月 1日(土)
シンポジウム1「湯液と鍼灸の統合医療」
ここ数年、鍼灸部門がとても充実してきている東洋医学会ですが、ついに初日のはじめに
このようなシンポジウムが設けられ嬉しい限りです。
安井先生は曲直瀬道山、古林見宜、後藤艮山、片倉鶴陵らの名医達は皆、漢方薬とともに
鍼灸を併用していたことを解説してくださいました。

         
ランチョンセミナー2「癌と食養」
食養生がここまで癌に影響するということを、臨床に基づくデータを提示して
説明してくださいました。
特に抗ガン剤併用時の徹底した減塩による効果の違いには驚きました。
使用する食品も青梅エキスなど身近な食材で安価にできるのも良いですね。

特別講演1「原点の民」  中田力先生
あまりに素晴らしかったので、帰宅後アマゾンで入手できる中田先生の本を
全て買ってしまいました!
後日また感想等書きます。

ワークショップ垣根を越えた伝統医学フォーラム~all about気~
毎年盛り上がる「垣根を越えた~」ですが、今年も面白かった!
特に筒井重行先生の「自然運動」には驚きました。
先生がある一点を軽く触れたり見つめたりするだけで患者さんの身体が自然に
動き出す、、、それを臨床の場で全ての患者さんに実践しほぼ100%の成果を
あげているそうです。いつか体験してみたいです。

車座勉強会8「第4回漢方を熱く語る会」
初の企画である夜の「車座勉強会」は大好評でしたね。
夜の9時半までどの部屋も盛り上がっていたようですが、特に私が参加した「第4回漢方を熱く語る会」
は混雑のあまり椅子ではなく床に座って行われました。
以前から噂には聞いていましたが、ホントに熱いですね。
曲直瀬道三から玄朔への流れがよくわかりましたし、後半の中医師藤田先生の現地での実体験に
基づく中国事情のお話はとても興味深い内容でした。

6月2日(日)
シンポジウム8「気剤の権興 半夏厚朴湯を使いこなす」
私の好きな処方でもあり、興味深く聞きました。
生薬の解説から処方運用まで全て網羅されていましたが、実際の臨床でも
もっとも多くこの処方を使っている花輪先生のお話はとても具体的でした。
「茯苓顔」は芸能人に例えるとアン・ルイスさんや田村正和さんということ
でしたが、不意に出た花輪先生の田村正和さんのモノマネが上手で、会場は驚いて
爆笑してましたね。

ランチョンセミナー「証を考える~未病と摂養~」丁宗鐵先生
大塚敬節先生の臨床を間近で見て勉強した丁先生ならではの逸話が特に印象的でした。
大塚先生は診察時間の大部分を食養生などの「摂養」の説明に費やし、
それぞれの患者さんの理解度に合わせて処方を決定していた。
例えば聞く耳を持たない患者さんには話を切り上げ大柴胡湯のような強い処方を出すし、
熱心な患者さんには優しい処方を出す。そういった駆け引きの上手な先生だったそうです。


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コメント (2)
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