平地治美の漢方ブログ 

漢方(漢方・薬膳・鍼灸...)全般についてのブログです。コメント大歓迎。

北九州散策 4 亀井南冥先生

2013年02月10日 | 散策
亀井南冥先生は、以前に東洋医学会で寺師睦宗先生の発表を聞いてから
興味を持っておりました。

初め吉益東洞の門下に入りましたが、その医説に納得がいかずに飛び出し(その時わずか14才!)
永富独嘯庵を師とします。
儒者として有名なようですが、

「肥に椿寿(村井琴山)あり、筑に南冥あり」

と並び称された当時の名医です。

あの、永富独嘯庵の「漫遊雑記」の序文を書いており、
「俺はそそっかしいから、間違ったところの訂正頼む!」と校正を
頼まれるほどですから、よっぽどデキる男だったはず。


浄滿寺





嗣子、亀井昭陽の墓





寺師睦宗先生の
漢方への情熱―これひとすじ四十五年
クリエーター情報なし
薬事日報社


に書いてあるのですが、亀井南冥先生は貝原益軒先生の門下によって藩医の職を辞すことに
なったそうですが、道路を挟んだ向いに二人のお墓があるのはなんとも皮肉なことです。


ところで南冥先生が作った「古今齋いろは歌」の中にある、

「乱世のいくさ稽古とわが門の医術稽古が同じ道理じゃ」

この歌、寺師先生のお気に入りでよく口にされていました。

寺師先生に似たところがある人だったかも?しれないですね。


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北九州散策 3 貝原益軒先生

2013年02月01日 | 散策
まずは幼少期に過ごした八木山の旧居跡。





8~11才をここで過ごした益軒先生。
この頃からすでに「平家物語」などの軍記ものを読んでいたそうです。
周りは田んぼばかりのこの地で勉強するのは大変だっただろうと思われます。

益軒先生の人生は、決して恵まれたものではなく苦労の連続でスタート。

病弱でいつも何かしらの症状に苦しみ、そのため他の子達と同じように遊ぶことはせず
学問好きに拍車がかかったようです。

さらに藩に仕えてから間もなく、理不尽な理由でクビになり21才から6年間も浪人生活を
送ります。しかし、この期間の勉強が、後の益軒先生の業績の土台に
なるのです。よく、ヤケにならず頑張りましたねえ。やはり大成する人は違いますね。



次は福岡市金龍寺の墓へ。



珍しい、夫婦同じ大きさの墓




後日、友人が図書館で探してくれた碑文。
益軒先生墓碑文

東軒夫人墓碑文

隣に倉田百三の碑

今回の散策でも重宝した山崎光夫先生の著書

老いてますます楽し―貝原益軒の極意 (新潮選書)
クリエーター情報なし
新潮社


以前の益軒先生のイメージは「健康のことばかり考えている、器の小さい人」
だったのですが、この本はそれを180度変えてくれました。

長生きするのは色々な目的を達成するための必要条件。
その目的の中には仕事だけでなく、楽しむこと、妻を愛することも含まれます。
不遇な時期もコツコツと学び、病弱だったからこそ「養生訓」のような書物も著せた。

長期的な視野で物事を捉え、どんな環境でも楽しんで学ぶ、とても男らしい人
だったのではないでしょうか。


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