亀井南冥先生は、以前に東洋医学会で寺師睦宗先生の発表を聞いてから
興味を持っておりました。
初め吉益東洞の門下に入りましたが、その医説に納得がいかずに飛び出し(その時わずか14才!)
永富独嘯庵を師とします。
儒者として有名なようですが、
「肥に椿寿(村井琴山)あり、筑に南冥あり」
と並び称された当時の名医です。
あの、永富独嘯庵の「漫遊雑記」の序文を書いており、
「俺はそそっかしいから、間違ったところの訂正頼む!」と校正を
頼まれるほどですから、よっぽどデキる男だったはず。
浄滿寺
嗣子、亀井昭陽の墓
寺師睦宗先生の
に書いてあるのですが、亀井南冥先生は貝原益軒先生の門下によって藩医の職を辞すことに
なったそうですが、道路を挟んだ向いに二人のお墓があるのはなんとも皮肉なことです。
ところで南冥先生が作った「古今齋いろは歌」の中にある、
「乱世のいくさ稽古とわが門の医術稽古が同じ道理じゃ」
この歌、寺師先生のお気に入りでよく口にされていました。
寺師先生に似たところがある人だったかも?しれないですね。
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興味を持っておりました。
初め吉益東洞の門下に入りましたが、その医説に納得がいかずに飛び出し(その時わずか14才!)
永富独嘯庵を師とします。
儒者として有名なようですが、
「肥に椿寿(村井琴山)あり、筑に南冥あり」
と並び称された当時の名医です。
あの、永富独嘯庵の「漫遊雑記」の序文を書いており、
「俺はそそっかしいから、間違ったところの訂正頼む!」と校正を
頼まれるほどですから、よっぽどデキる男だったはず。
浄滿寺
嗣子、亀井昭陽の墓
寺師睦宗先生の
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に書いてあるのですが、亀井南冥先生は貝原益軒先生の門下によって藩医の職を辞すことに
なったそうですが、道路を挟んだ向いに二人のお墓があるのはなんとも皮肉なことです。
ところで南冥先生が作った「古今齋いろは歌」の中にある、
「乱世のいくさ稽古とわが門の医術稽古が同じ道理じゃ」
この歌、寺師先生のお気に入りでよく口にされていました。
寺師先生に似たところがある人だったかも?しれないですね。
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