《 奈良の寺々 修復 》
棟梁 西岡常一
宮大工/棟梁西岡常一
文化功労者
1995年(H7年/87歳没)
東大寺/南大門
棟梁/西岡常一
棟梁として・・・《法隆寺の解体修理》、《法輪寺の三重塔の再建》、《薬師寺/金堂/西塔/中門/回廊/薬師寺伽藍》の再建の仕事に携わることができ、たくさんの職人と一緒に仕事をしてきました
家は代々法隆寺に使える大工・・・法隆寺大工とか、斑鳩寺工とか呼ばれて居ました 祖父の時に法隆寺の《棟梁の役目》を任せられる じぶんの代まで仕事をしました 生まれた時から周りはみな大工 祖父の西岡常吉、その弟の薮内菊蔵、父親の西岡楢光、弟の西岡楢治郎・・宮大工でした
腕のいいたくさんの職人と仕事を・・・職人の仕事は機械では代われんものと強く感じています 一人前の職人になるには長い修行の時間がかかります 自分で経験を積み、何代も前から引き継がれてきた技を身につけ、昔の人が考え出した《知恵》」を受け継がなくてはなりません
相手にするのは檜・・・木は人間と同じで一本づつが全部違います それぞれの木の癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはなりません そうすれば千年の樹齢の檜であれば、千年以上持つ建造物ができるのです これは法隆寺が立派に証明しています
法隆寺を造り守ってきたのは・・・こうして受け継がれてきた木を生かす技です この技は数値では表わせません 文字で本にも書き残せません 言葉にできないからです 技は人間の手から手に引き継がれてきた《手の記憶》なのです この手の記憶の中に《千三百年》にわたって引き継がれてきた《知恵》が含まれているのです
85歳/現役から引退しました
木のいのち 木のこころ
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宮大工/西岡常一 著
木をいかに生かすか
性質をどう見抜くか
後継者をいかに育てるか
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一番弟子21歳/ 小川三夫
西岡棟梁の弟子に
高校の修学旅行で・・・法隆寺の五重塔を見てこんな塔を作ってみたい!、と思ったのがきっかけでした まったくの素人から何とか一人前の宮大工としてやっていけるようになったのは、すべて《西岡棟梁》のおかげ 実際に檜を削り組み立てる仕事をしながら飛鳥の工人達の《技や知恵》を学びました そこで教えられたことはそれまで学校で教わってきたのとはまるで違うものでした
大工は手の仕事
頭で考えるだけで・・・建物を造ることはできません 学校の勉強は記憶や抽象的な思考の訓練でした 《西岡棟梁》のもとで大工の修行を始めたとき、それまでとはまったく違ったことを一から学ばねばなりませんでした 言葉や数字を媒介にして記憶したり考えたりする代わりに、体や手で自分の考えを表現しなければならなかったのです ここでは本や言葉による指導は何の役にも立ちませんでした
槍鉋をかける 図面を引く
千三百年前に再建
法隆寺/薬師寺の建物・・・職人達から職人達への《手による記憶》によって引き継がれてきたのです この《手による記憶》はこの後いかに科学が進んでも言葉にも数式にもよらず、やはり人間の体を使ってしみこませた記憶や勘によってしか伝えられないでしょう それを実践していくのは・・・私達大工の仕事です
木のいのち 木のこころ
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宮大工/小川三夫 著
宮大工への思い
西岡棟梁の弟子に
西岡棟梁に鍛えられ
技能集団/鳩公舎を率いる
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薬師寺西塔前
師匠・西岡常一と弟子・小川三夫
弟子・小川三夫 師匠・西岡常一
技能集団/鳩公舎
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67歳/奈良の宮大工
棟梁 西岡常一
弟子 小川三夫
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