志賀高原「1000mの紅葉」

2008-10-25 23:35:46 | 60代 /山 の想い出

《 60歳からの山旅 》

志賀高原 

 

志賀高原

自宅6:00

10:00 

・・・・・・・・・・・・・

丸池からスタート

丸  池 

・・・・・・・・・・・・・・・  

潤間滝(うるま滝)・・・志賀高原で初めて出合った風景です 群馬・新潟・長野の三県にまたがり、上信越高原国立公園の中央に位置します 北海道・大雪国立公園に次ぐ、二番目に大きな面積を持つ山と原生林と湖の高原です

 

志賀高原に紅葉狩・・・初日は快晴に恵まれ一時間琵琶池トレッキング 錦秋の山々を眺めながらの散策は思いがけなく楽しい 木戸池の手前田の原湿原にも寄り道してみました  二日目、三日目は雨になる

 

・・・・・・・・・・・・・・  

琵琶池トレッキング

   

 きらきら水辺 

  

  

田の原湿原

笠岳(2075m) 

  

 

田の原湿原・・・標高1610mに位置し、旧志賀湖の湖底に発達した高原湿原です  1610mの田の原湿原は落葉松の紅葉が美しく、尾瀬を小さくしたような湿原は草紅葉でした

 

笠岳・・「田の原湿原」若い頃登った山です  お椀をふせたような可愛い山容です R292(志賀・草津ルート)から見える愛らしい姿に 田の原湿原まで降りてみました 

 

志賀山登山リフト・・・明日山行の志賀山の頭は雲の中です  志賀山下山後は、2305mの横手山頂ヒュッテに宿泊予定します 正面の山が横手山(2305m)です(霧雨で登山は断念) 

 

 

 

前山湿原/渋池

(標高1800m)

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

渋池・・・池の周辺と浮島にはモウセンゴケが生育し、虫を取って食べています  渋池はもう晩秋です2008・10・22(水)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

  葉祥明の世界 

 虹/山田牧場 

  

渋峠(2172m)

・・・・・・・・・・・・・・

 

 横手山登山 

 

  

横手山 

山頂フュッテ 

日本国道・最高地点/渋峠・・・志賀、草津高原ルート  今日の宿は、横手山頂ヒュッテ(2300m) 渋峠から宿の車に先導されて専用道路を約5分登ります 標高の一番高いパン屋さん・・・で有名らしい 2008・10・2(木)

  

自慢は雲海・朝陽・夕日・・・この宿のの素晴らしさだと知りました この日渋峠は濃霧です 自慢の景色は深い霧と雨で視界ゼロ  朝起きたら靴が消えた! 宿の愛犬もみじとグレーが遊んで外へ放り出したらしい ずぶ濡れで履いて帰れない    湯釜への一本道がつづく・・・草津白根山・が続いています  ここから湯釜へは徒歩15分です  この日は濃霧、湯釜への散策は断念しました (10月24日 ) 

・・・・・・・・・・・・・・


小説の舞台

訪ねる旅

 晩秋の旧軽井沢

 1000mライン/千ヶ滝 

   

「空」の世界

   

軽井沢

  霧雨の隠れ家 

 

 「時雨の記」の舞台

    中里恒子著 

・・・・・・・・・・・・・・  

「時雨の記」

中里恒子著/文春文庫

生涯に一度の愛・・・巡り合ってしまった二人・・・中里恒子著 《時雨の記》 は鎌倉が舞台の小説です 鎌倉と軽井沢・・と舞台は違いますが小説の舞台とはこんなところ・・と思いました・・・軽井沢のこんな風景に出会うと「時雨の記」の隠れ家を想像してしまいました 


                                   映画 

渡哲也と吉永小百合

    が二人を演じる  

霧雨の旧軽井沢は

 隠れ家の雰囲気 

・・・・・・・・・・・・・・

  

旧・三笠会館

 

重要文化財/旧三笠ホテル・・・10月24日霧雨 軽井沢  見学1905年建築されて以来、政財界の要人・文人に愛され軽井沢の「鹿鳴館」と云われました、木造純西洋式ホテル   重要文化財・・・1980年には国の重要文化財に指定された ご結婚前の皇后さまがご滞在・・(家族と共に、旧三笠ホテルにご滞在のご様子)を、写真で拝見した

・・・・・・・・・・・・・・ 

「65歳」志賀高原 

   2008・10・22(水)~

10・24(金)

 

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スケッチの会/《絵具を忘れて・・初期》

2008-10-14 11:19:34 | ●夢の自宅

《 みなとみらい 21 》

人差し指で描く

  筆を忘れてしまった!  

指で描いてみた 

・・・・・・・・・・・・・・

ハプニング

 みなとみらいで

 出会った人

      ・・・・・・・・・・・・・ 

 帰り支度の私に 話しかけ

 「ベイブリッジへ行きたい 」

と言う

「みなとみらい/21は」

 大桟橋からの観賞がお薦め

と勧める

・・・・・・・・・・・・

50代男性

ベイブリッジから

 飛び込みたい

・・・・・・・・・・・・

  自殺願望?

     ちょっとお兄さん 

  思わずトーンが上がる

  ・・・・・・・・・・・・

                 疲れてしまった

    50代でしょう? お若い! 

   真っ白いポロシャツ 

   疲れは見えない..が

  ・・・・・・・・・・・・

  指紋を残さず

  家族の為に3ヶ間は

  死体があがらない方法で

   飛び込みたい

  ・・・・・・・・・・・・

  苦しいは一時

  60代は素敵な人生が

  巡ってきますよ

 自殺は考えないで

  ・・・・・・・・・・・・

  画の仲間が来た

 何処かへ消えていった
 話を聞いて貰いたい
だけだったら良いが 

                                                                       




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「翔んで翔んで」 へようこそ

2008-10-14 06:31:09 | ●夢の自宅

《 プロフィール 》

札幌/羊ヶ丘

(2003.6.25~7.13)

 会社卒業記念 

   (Haru60歳  Zen65歳)

・・・・・・・・・・

パソコン
  「60歳」夢が広がる 

感性を磨き新しい夢を

・・・・・・・・・・・・・・

★水彩画《スケッチの会》

 58歳(1999.3)~67歳

★パソコン教室2年で修了

 60歳~62歳

★HP《花の山旅写真紀行》

 62歳開設(2005.5.10)

★ブログ《翔んで翔んで》

 65歳開設(2008.10.15)


1台目カメラ購入

 Casio(Exilim-EXZ・1000)/(2007.4.10)

2台目カメラ購入

 Casio(ExilimーH15・1400)

3台目カメラ購入

 Sony(Cybershot)...

20倍望遠(2013.4.25)

 4台目カメラ購入 

SONY(Cybershot)...

30倍望遠(2015.3.23)

・・・・・・・・・・・・・

★半抽象画に転向/67歳~

★らくえかい/小牧純一教室

入会(2010.4・木)

・・・・・・・・・・・・・・ 

華開く60代 

お訪ねありがとう 

ございます 

・・・・・・・・・・・・・・ 

還暦から始める

パソコン

  

    

  Haru

 新しい旅立ち

   自由に翔びます

 


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60歳の吊るし雛飾り..「私の生い立ち」

2008-10-13 14:49:34 | ●プロフィール

 《 宵雛生まれ/末っ子 》 

「2歳」東京で戦災に

2009年 雛飾り

一文無し・・・終戦で東京・神楽坂の家を焼け出され一文無し 両親は13歳の長男を頭に姉・妹4人を連れ山口県防府市へ疎開した 防府市には父の長兄がいます 市会議員の選挙中の手伝いを父子でしましたが落選、短期間のお世話になった 鳥取は祖母(母方)の実家があり、鳥取への食料買いは中学1年生の兄の仕事に

 ・・・・・・・・・・・・・・

   

Haru/生い立ち 1

父の長兄を頼り/山口へ・・・1年後山口をあとに岐阜に向かう 父の実家の跡取り、次兄にバラックを建ててもらう 岐阜に落ち着き15年の歳月が流れます 池袋の銀行に就職が決まり私18歳で東京へ上京 6年後父母も東京へ戻りました  父の次兄「伯父」は晩年「根尾」」の村長をしていました 

 

東京受験/兄「29歳」が準備・・・三菱信託銀行・明治屋・三井物産・受験予定 岐阜でも協和銀行を受験の予定でした 結果、三菱信託銀行が一番に決まり上京した 18歳で岐阜の父母の元を離れ、新婚の兄夫婦の新居に5年間居候した 

長男・長女

ず~と家族を支え続けた

  

吊るし雛     

父は結核/転地療養

単身熊本で療養・・・東京から単身熊本での療養生活 偉い人の執事を任され長男小学校入学時は九州にいた 東京の留守宅は母と祖母が和服の仕立てをし祖母・母・兄「幼児」の生活を支えた 家族は6人に増え終戦

大柄の父・・・身長180cm夏はタライで行水・冬は銭湯へ それを手伝う母は身長150cm弱の小柄で可愛い人 掃除機も洗濯機もない時代、一日中手仕事が続く 夏は布団直し、着物の洗い張り等母は休む閑無く働いた 

2008年 雛飾り 

  

「父」は存在感と威厳

釣で釣った鮒は・・・炭火で焼いて煮付けるまで母に任せず自分で仕上げた お酒の好きな父は、麹を蒸かし茣蓙の上で濁酒作りを愉しんだ 

 

父の晩年・・・藜(アカザ)の節を利用して赴きある杖をたくさん作った 父亡き後ご縁ある方に差し上げた 俳句は晩年まで楽しむ 句帳数冊に戦後の“生活苦”が記された 戦後の闇市での親子6人の生活は命がけの様子が俳句から読み取れる お洒落で佇まいが美しい父だった 何をしていても絵になった父、大好きだった 今でも男の人や青年が好き

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

 ↓父70歳    (左)母82歳

 

   右/仲良しお花の先生


     2人は昇天

   写真から2年後/没

 

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《雛飾り》すると父が蘇る

2008-10-13 06:09:05 | ●プロフィール

 《父の想い出》 

父42歳誕生/末っ子

2008年雛飾り 

父42歳の末っ子

健康に恵まれない父・・・実現しない父の決断 頭の良い父の能力は生かされない 昭和初期いや大正末期、山奥の岐阜「根尾」」から父は東京に出たの? 何故母と所帯を持ったの? ずーと聞いてみたかった 父は一人娘の母の姓を名乗る 8人姉弟の三男の父 山奥の根尾谷から東京へ出て母を見初めたの?・・・結婚 想像だけで父のルーツが解らない

 

晩酌をする父の傍で・・・末っ子の私は父の傍でお相伴をした お酒のつまみは変わった物が好き 「ナマコ」とか変わったものは父のお相伴で頂いた そのせいか今でも変ったものが好き 当時肉はかしわが常食でした 

2009年雛飾り 

父は百歳まで生きる

と信じていた

胃がん72歳/没・・・父の命取りは「胃ガン」72歳であっけなく死んだ 胃がんの上、風邪をこじらせあっけなく死んだ お彼岸のお中日でした 父の死は突然のことで悲しくて泣いた 悔やまれる死でした

    孫は「5歳&3歳」 

私は「29歳」 

父/8人姉弟・・・下から2番目の父は、姉4人下4人男の三男坊  戦前・東京「東芝で真空管」を作っていた 最晩年・熊本・山口・鳥取・岐阜・とお世話になった土地を回る旅をした 私達の新居を楽しみにしていた   建築は始まっていたが新居の完成を見ず父は没した 末の伯父さん一人おとなしい人 姉/弟・「7人姉」」は「我こそは...」の個性の強い姉弟でした

2003年/Haru60歳

 還暦の吊るし雛 

戦  災

疎開生活22年

人生は無常・・・結核に苦しんだ父 父を可愛がっていた伯父が(岐阜・根尾谷在住)、家無しの父を心配し早田に新居を建ててくれた 伯父は新居完成寸前で亡くなる 遺言状がなかったため新居は人の手に渡る 当時私は中学生、新居の話は聞いていたが新しい家は見ていない 家族が夢にまで見た新居だった・・・「夢は夢のまま」消えてしまった

 

父母の人生設計・・・みなで東京へ帰ろう! 父は東京で再起だったか? 4人の子供のうちまず兄が東京へ転職した・・・兄は岐阜県庁勤務

(教育委員会)~外資系船会社(エバレット汽船)に転職し妹達を呼んだ 父の期待に応えた兄は当時・24歳 長女・結婚で東京へ 次女・就職で東京へ 私の高校受験を下げて迄東京転向を成功させたかった父 東京での再起を決断した父だったが、東京転校は実現しなかった 父58歳、最後の決断でした

 

一期一会の人生・・・岐阜での生活が始まっていたら、又東京の高校に転校できたら? 私の人生はどんな展開をしたかと考えます 今の家族は存在しません 思いもしない方向へ進んだでしょう 

 《長男》/父や家族を

      支えつづけた  

茂木健一郎 

人生は「偶有性」

自分が置かれた「偶然」・・・「偶然を必然」とし受け入れ・・・「遇有性」こそが私たちの生命を育み、生命は《遇有性》を母体とし《遇有性》を抱きしめ、「遇有性」を有することで進化した 「遇有性」から逃げようとすることは「生命」そのものを否定するに等しい


遇有的な存在・・・現代の日本に生まれた そのような「遇有的」な存在としてこの世にいる 現在置かれている状況に何の必要性もない 現代の日本に生まれ両親の下に生まれた 生命は遇有性をダイナミックスの中に内在する 

 

時代は転換期・・・世界は「遇有性」を必然として変化し始めている 時代を理解する上で最大のカギは《遇有性》を理解し抱きしめ適応しなければ今日の世界で輝くことは出来ない 

・・・・・・・・・・・・・・・

「偶然から必然」へ

 命がけの飛躍は「覚悟」です 

その「覚悟」は

 人生を裏切ったことではない 

・・・・・・・・・・・・


人生とは遇有性」の物語り

何が起きても不思議でない

 


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父との想い出 《お正月》 (1) 

2008-10-13 06:07:51 | ●プロフィール

《 正月の想い出 》

正月は5時起き

祝い羽子板

2003年新年/祖母から祝い羽子板

奈良土産/《舞扇》は骨董屋 

浅草《め組》羽子板/飾る新年

《初孫1歳》誕生記念にご褒美

2011年/新年のラン 

2010年/新年の万両

2009年

新年のシクラメン

2008年/新年

 

2007年/新年

結婚当初の「百足凧」

年飾り/十二支

天橋立の神社で購入 

  

お土産飾る新年

繊細な十二支

 

新年の角松

日比谷花壇/胡蝶蘭


  カーネーション(黄・ピンク)

  トルコキキョウ(白)

  サンダーソニア(オレンジ)



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父との想い出 《お正月》(2)

2008-10-13 06:06:33 | ●プロフィール

《 国旗は父が掲揚 》

心の中に生きる「父」

 新年は凛として  

心の中に生きる「父」

新年は凛として  

元旦の朝/朝陽に合掌・・・家族は5:00起床 朝陽に合掌後、家族揃って神棚のご先祖にお参り 神棚の前でお屠蘇を注ぐ父の姿は、神主と同じ白い着物に白い袴姿の装束  凛とした空気が満つ清新な新年 父~母~姉~妹~とお屠蘇が順に回ります 父の手から娘たちにお年玉が渡され・・『明けましておめでとう』 やっと新年の食事が始まります・・・新年恒例の清新さに充ちた元旦の朝の風景 70歳になる今鮮やかに当時が想い出されます 幼いころが蘇ります

 

伊奈波神社参拝・・・朝食後、父・母は紋付・袴に着替え正装です 新年は徒歩60分お正月の恒例初詣(伊奈波神社・内陣でのお祓い) 外陣では辺り構わず打つかしわ手 父母の周りだけ空気が違い高校生の私はとても恥ずかしく思った 後年結婚し正月初詣は子供の頃に習い、娘が独立する迄晴着で《多摩御陵》に参拝した

 

山高帽の背広姿・・・お洒落な父は180cmの長身 夏はオフホワイトの麻の背広を着こなした ステッキを持ち山高帽が良く似合う人だった 新年は紋付・袴にトンビを纏った正装が素適でした 長身で着物姿がよく似合った いつもダンディーでお洒落さん 何をしていても佇まいが美しい父を子供心に覚えています

 

父が蘇る想い出・・・高校生の私は伊奈波神社参拝を嫌いでした 今、父の想い出と言うと《紋付・袴・鳶》のマント姿で冬空に颯爽と参道を歩く姿を想い出します  

・・・・・・・・・・・・・・・

元旦の朝

60年前の国旗掲揚

 独立国の自覚と誇り

  

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紅梅・紅千鳥

2008-10-13 06:06:00 | ●プロフィール

《 雛の日の初雪 》

       新築祝い/紅梅   

築40年自宅/庭の紅梅 

春の淡雪が舞・・・2月27日(金)庭に根付いて40年の紅梅 S48/八王子に新居を建てた時に仲人さんより50cmの紅梅の苗木を戴きました  40年後には松の隣に命を得、50cmの苗木に満開の花をつけました 福寿草の黄色、紅梅の紅色と色合わせが美しく咲き競います  

新築祝いの「紅チドリ」

《50cm》紅梅の苗木/36年後満開


    

日本水仙 

    

ヒマラヤユキノシタ  福寿草

・・・・・・・・・・・・・・

 春が来た早く来た

 半日の雪景色

  2009.2.27(金) 


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家族の想い出 (1)

2008-10-13 06:05:45 | ●孫(二人)

 《 蘇る 想い出 》

初孫 /誕生

Yuri 誕生(1999.1.21)

Yuri (4ヶ月)

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Yuri/ 1歳誕生日 

Yuri (1歳)

Yuri (2歳)

かわいい

Yuri (3歳)

その水大丈夫?

Yuri (3歳)

Yuri (4歳)

Yuri (4歳)

Yuri (7歳)

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Yuri/ 3歳お祝い

Yuri(3歳)お祝い

Haru 画



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家族の想い出 (2)

2008-10-13 06:05:43 | ●孫(二人)

《 浜松花博 ご招待 》

浜松へ/3家族合同

Yuri 7歳/(小1)

かわいい~

《浜松花博》/盛夏・暑い暑い一日

 

 

浜松/寮のプールで 

Yuri(6歳)Soyo(1歳)

Yuri..6歳/水が怖くない

次女宅浜松の夏/家勢揃い

2004・8・15



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家族の想い出 (3)

2008-10-13 06:05:42 | ●孫(二人)

《 家族夫々のお正月 》

 長女/岩国  次女/マカオ

・・・・・・・・・・・・・・ 

長女家族の正月・・・岩国の餅つき・・・伯父・叔母・姪・甥・が揃い師走恒例30日/餅つき 29日(月)/父娘・3人で先に岩国入り ママは仕事を終え、年賀状を出し岩国の餅つきに追いつきます 岩国の義父の兄弟姉妹多い その子供と孫達が参加します 義父の子供は3人息子 餅のつき手に困らない 返し手は3人の嫁が控えている 丸餅・草餅・アンコ餅・きな粉餅、時々お口にパックン わが家へも円餅のお裾分けが届く 孫同士も丸餅作り&草餅のお手伝い  

・・・・・・・・・・・・・・・・

いもうと誕生

Soyo誕生

2003.4.15 (誕生4ヶ月)

Soyo (4ヶ月)

誰を見てもニコニコ

1歳1ヶ月/美味しい?


1歳4ヶ月/イチゴおいしい?

保育園1年生/Soyo (1歳半)

Soyo (2歳1ヶ月)

Soyo (2歳4ヶ月) 

・・・・・・・・・・・・・・

Haru  /水彩画

 

母と娘 (Soyo) 

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八王子の夏休み

おわる

  

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子育ての想い出 (1) 《白駒池》

2008-10-13 00:32:14 | ●プロフィール

《 北八ヶ岳/白駒池 》

蘇る想い出

白駒池/(標高2100m)

   

 

小1/夏のキャンプ

小5・小3/富士山頂

1回目・・・小学1年生&幼稚園生/《大瀬崎キャンプ場へ》・・伊豆大瀬崎・地平線の彼方に富士山が浮かぶ 日帰り客は沼津港へフェリーで帰って しまった 夕闇に染まる大瀬崎の海に浮ぶは私達4人 駿河湾に浮かぶ富士山は絶景

 

2回目・・《大瀬崎キャンプ場》・・美しい大瀬崎が忘れられなくて次の年も大瀬崎キャンプ場を選んだ 荘厳な美しい景色、太陽が内海に沈みます 美しかった岬は今ダイビング場にさま変わりしてしまった 昔の面影はない

 

3回目・・・《白駒池キャンプへ》・・・乳登山(2352m)へ

 

4回目・・・《富士登山(3776m)》・・・富士山7合目小屋泊した 生憎ご来光は見えない 帰路2人の娘は須走りを豪快に駆け下りた ズボンの裾がズタズタになった みな疲れ果て精進湖畔のキャンプ場でバンガロウを借りた 初めてのバンガロウ体験でした 

 

小学生時代・・・7合目小屋は枕一つ分が自分の寝床、ぎゅうぎゅうに詰められ夕食が終われば寝るだけ トイレは漆黒の空の下 7合目小屋宿泊の経験は忘れられない想い出になった 富士登山の翌年須走りが崩れた 迂回路を回る捲き道が出来ワイルドな体験はもう経験できない

須走を駆け下りる体験は翌年・禁止に 

 

  

 

5回目・・・知多半島キャンプ場へ》・・・小学生の娘は名古屋駅まで2人で新幹線初乗車 名古屋駅・新幹線ホームで親子がご対面知多半島へ 地平線に沈む夕日に包まれてプカプカ海水浴 キャンプ場近く・漁師さんのお造りを頂く

 

6回目・・・《香川県・仁尾キャンプ場》・・・長女は中学2年生 Zen岡山赴任中 東京からテントを背負い母娘3人瀬戸内海の島・仁尾へ 夫と合流後カーフェリーで瀬戸内海の島・仁尾へ渡りテントを張る 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

非日常を体験 

長女/中学1年~3年まで父・岡山単身赴任

次女/5年生・岡山の父のもとへ一人旅

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

太陽電池博覧会訪問

1981年

太陽電池の研究・・・30年前、長女(中学2年生)は自由研究で「太陽電池の研究」をしていた 目の前に美しい瀬戸内海が広がる木陰にテントを張る 翌日博覧会を見学 日没まで終日仁尾の浜辺(香川県)で浮いていた

1981.8.6・・・香川県仁尾町見学(現在の三豊市) 太陽熱発電は1000キロワットの発電を成功させた 太陽熱発電は、太陽光エネルギーを鏡で集光、オイルなどの熱媒体を集熱設備で加熱、その加熱された熱媒体を利用する 

・・・・・・・・・・・・・・・・

ビッグな想い出を紡ぐ

小学生/夏休みキャンプ

非日常の驚き..と

   自然への畏敬 

 

 

 

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子育ての想い出 (2) 《キャンプ》

2008-10-13 00:20:44 | ●プロフィール

《 駆け抜けた青春 》

20年の想い出

白駒池/(標高2100m)  

子育てには良き時代

キャンプ/未経験

小学生の夏はキャンプ・・・キャンプは耐乏生活 学習して上達した 始め近場にキャンプ地を選びレトルト食品を使用 慣れてくると食料は現地調達し自炊もした 小学3年生と5年生が子供だけで新幹線に乗車 名古屋駅新幹線ホームで合流、知多半島へ 親娘とも初体験と感動を味わう 「親は神様のよう」と言う 

長女・中学3年生・・・キャンプ生活に慣れワイルドなキャンプに移行した 親は神様でなく人間」と気ずく 親の躾け全て捨て去る 「これからは自分の責任」と宣言、自分を作り変えた 

キャンプは若者の特権・・・30代のキャンパーは私達家族だけ 夏は、日本中何処でもキャンプができた 後年ワンボックスカーの登場で老いも若きもキャンプ時代の到来 

 夏のキャンプは

  6年間で終了

上高地/2009.5.6 

・・・・・・・・・・・・・・ 

男子を育てる感覚

娘2人高校生

大学の4年間・・・ツーリングのサークルに入り、250ccオートバイを乗り回わす 家の周りに5台のオートバイがゴロゴロ 友人はツーリングの仲間 ご近所には「ご迷惑かけます」と言っていた

 

大学1年・物理部の紅一点・・・友人は男子 深夜アルバイト/オートバイ/パチンコ/玉突き/男子のすることは試行した 「男子生徒より男子らしい」と教授の弁 エネルギーに溢れハワイ島で一人《スカイダイビング》に挑戦した

 

長女大学1年生・・・就職し一人暮らし 長女は自宅から瑞穂の仕事場へ結婚までの8年間バイク通勤  社会人3年生の時、大学時代の後輩からストーカー行為を受けた 一人暮らしを心配し八王子の自宅から職場へ通うことを勧め、その後他県へ転居した

 

家族キャンプは中学2年で終了

  娘2人/家を離れ独立(22歳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

娘達/家族の想い出作り 

父・母/最終章の想い出作り

 

 

 

 

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子育ての想い出 (3) 《キャンプ》

2008-10-01 09:03:23 | ●プロフィール

《 60歳の幸わせ

穏やかな日々

白馬八方尾根(2009.9.6)

 

白馬駅前/足湯  

 

地震対策にキャンプ

地図上にキャンプマーク

昭和45年当時・・・東海地震が日常のニュース 子育て中の我が家は地震対策が急務でした 新築の家は地震に強い家を依頼 夏休みの計画はキャンプを選択し、何時でも地震に対応できる対策を日頃から心がけた

震の発生を危惧・・・《キャンプで一週間の耐乏生活》  長女7歳・次女5歳・父36歳・母31歳 夏のキャンプの開始でした 父は高度成長期の働き蜂、職場での休暇のとり方が難しい年齢にいた 夏のキャンプは予約入らずでとても助かった

家族キャンプは・・・美しい日本の風景を訪ねる旅 非日常の体験は、《山登り・ワイルドな体験・耐乏生活の体験でした》 親離れする7年間2人の子供達は逞しく育っていった 地図上に《キャンプマーク》があれば・・・山でも海でもテントを張れた


子育てはあっという間に過ぎ去る

 

白馬八方尾根/(2009.9.6.日)

 

 感動はのビタミン

地図帳の《キャンプマーク→》を探す 

お金で買えない/《感動》

非日常への感動/《感性へ刺激》

大自然への感動/《右脳・リフレッシュ》

感動は《前頭葉》/イキイキ

水さえあればテントが張れる

費用が安い/《予約不要》

 キャンプマークは/日本中《キャンプ場》

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淋しい気持ち/Haru

事後報告の《娘2人》・・・男子を育てる感覚でした 他家の母娘の仲良しとは違う 何時も全て一人で決断し家から独立 娘なのに息子を育てているような子供二人でした

長女は結婚し共働き・・・夫婦で出張の多い家族 ヘルプの連絡が入るとジジババは群馬へ 60代は八王子から群馬へ高速を駆け孫のヘルプが多くなった

   《22歳》娘2人/家から独立   

 《30歳》娘2人結婚/全て事後報告 

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ひたむきに39年間

◆高1長女/(1985.7)/初回宇宙飛行士応募

長女/宇宙を仕事場に選ぶ・・・30歳職場結婚

次女/車の技術研究所に就職・・・30歳職場結婚 

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Haru38歳/医療事務の資格とり、仕事につく

仕事/書道/読書/音楽/山・旅/スノーシュー

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思春期を迎えた子供

全力疾走でした

子供以外に目を向ける・・私は自分の世界に没頭した 38歳~60歳迄の日常が私の全財産になった 夫は65歳まで高度成長期の働き蜂 仕事Only/超多忙/6:00~夕9:00迄・・週6日働く日々でした 日々余裕がなく岡山の単身赴任3年間も経験した

夫は《65歳》/会社卒業・・・重責から開放される 会社卒業後は夫婦で山歩き10年間》を楽しんだ 生活に精いっぱいの50代には考えられない穏やかな老後、夢のような日々でした 夢は全て実現した

   夫婦で(山歩き10年)を楽しんだ  

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 60歳/夢は全て実現

   日本の山&外国の山に挑む

   卒業後/2人で山歩きを選択した

 

コメント
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