赤毛のアンに学ぶ①/ 幸福になる方法

2014-09-26 08:05:10 | 読書/人生を考える

   《 赤毛のアンに学ぶ 》 

講談社文庫

幸福になる方法

   

茂木健一郎 著

茂木健一郎の解釈 

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赤毛のアン

 魂が成長するとは? 

その一冊の本は貴方にとって

一生忘れることのできない本

 

HARU

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茂木健一郎

赤毛のアン

アンの風景

小学5年生/茂木さん.....図書館で「赤毛のアン」に出会ってしまう たちまちその世界に夢中になった 「赤毛のアン」の世界が心の中に根付いていった 「赤毛のアン」は大人になるまでの自分の愛読書 茂木健一郎さんにとって「赤毛のアン」は子供の頃からの愛読書

 

影響を受ける/茂木さん.....気づくのは大人になってから この個人的な経験の意味を「普遍化」する為に三十年以上の歳月を経た  男の自分がフアンだと長い間恥ずかしくて言えなかった 「赤毛のアン」は女の子の小説と思われつづけた

 

高校生には.....原書で「赤毛のアン」シリーズを全部読破した 最初は苦しかったが、読み終える頃には英語の世界に慣れ親しんでいました

 

大学院生になり.....物語の舞台プリンス・エドワード島にまで行ってしまいます 「赤毛のアン」以外にも様々な出会いがあり、様々なことを感じ、考えて行く中でも「赤毛のアン」のことは決して忘れなかった 

 

他の何ものとも違う.....「赤毛のアン」の為の場所が心の中にあり続けた 何かかけがえのないものが「赤毛のアン」を読んだという体験の中にあるように感じ続けた 「赤毛のアン」には素晴しい「思想」が沢山隠れてる 

日本における「赤毛のアン」で描かれているのは、表層のところで留まっている 果たして「赤毛のアン」は目に見える世界だけだろうか

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茂木健一郎は問う

赤毛のアン

児童文学でない

赤毛のアン.....70代の私には茂木健一郎の解釈が一番共感できます 赤毛のアンには素晴しい「思想」が隠れていると気ずきます 人生を完結させるのに何が大切か?が詰まっています

  「赤毛のアン」 は大人の文学 

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初版/赤毛のアン

紹介者は/村岡花子さん.....1952年第二次世界大戦の痛手から立ち直りつつある日本で翻訳され出版された 明るく想像力に富むちょっと変った少女の物語 希望とか明るさに飢えていた戦後の日本で多くの熱心な読者を得てブームを巻き起こした 

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赤毛のアン

 村岡花子  翻訳 

 

 娘に贈る       孫に贈る 

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荒井良二の本.....児童図書の各賞を総なめした絵本作家です yuriには「赤毛のアン」を、soyoには荒井良二「ゆるりとジョジョに」、haruには荒井良二「たいようオルガン」贈る  カラフルな色彩は2012年/NHK朝ドラ「純と愛」のバックデザインに使われました

絵本のノーベル賞受賞

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赤毛のアンに学ぶ

幸福になる方法

    村岡花子/翻訳    

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赤毛のアンに学ぶ②/ 幸福になる方法

2014-09-26 08:04:49 | 読書/人生を考える

  《 赤毛のアンに学ぶ 》 

講談社文庫

幸福になる方法

 

茂木健一郎 著 

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茂木健一郎の 解釈

「幸福の花」見つける

赤毛のアン.....は遇有性の物語 「人生はどうなるかわからないから人は成長できる」 アンがグリーン・ゲーブルスに来たのも全くの偶然であり、多くの可能性をかいくぐってアンはこのグリーン・ゲーブルスに辿り着いたのです つくづく人間は「遇有性」によって成長させられていることに私たちは気付かされます

 

マシューとマリラ.....初老の二人が、アン・シャーリーという一人の少女(孤児)を受け入れるところから物語は始まる 物語の最後では立場の逆転が起ります 運命を受け容れるという覚悟が読み取れます

 

マシューとマリラが.....アンを引き受けたように、教師を夢見ていたアンが教師を諦め、今度は年老いたマリラの人生を引き受けます 「運命を受け入れる」という決断を今度はアン自信が下す これは非常に「深い覚悟~深い思想」...だと思います 

  

皇居・竹橋/ 平川門入場  

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一度世界が広がる

アンの世界が.....一度は広がったように、世界の果てまで見渡せるかのような広がりを体験することは大切なこと 一度プワーと広がった世界が、やがて現実の自分の人生に落ち着いていく 青春時代の広がりと、現実の着地が重要なのです

 

運命を受け入れる.....ということは、決して逃れられない人生の重荷として「運命を」受容するということではないのです あくまで等身大の自分を受け入れるということ

皇居・竹橋/ 平川門入場  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

希望や創造が生まれる

神の「空白」状態から.....希望や創造が生まれる たまにはふらふら出歩こう 感動することをやめた人は、生きていないのと同じ  脳は常に新しい何かを求めている 「新しい感動~新しい刺激~それに新しい視点」...など

 

小さなことへの感動.....美しい自然があり水があり空がある そういう小さいことに感動してみる そういうことから始めていいのです  それだけでいったい一日の内に何回「奇蹟」が起きることか 世界が全く違った輝きで見えてくるはずです

 

奇蹟を見つけよう.....幸わせになるためには「奇蹟」とめぐりあうことしかないのです 日常生活のありとあらゆる瞬間に潜んでいます 小さな「奇蹟」に気が付けるかどうかが全ての鍵です  何かに出合うためには、まず「行動」 行動して何かに出会ったら、その出会いに「気付く」こと 自分が出会ったものを「理解」して「受容」する 

 

皇居・竹橋/ 平川門入場 

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ひたむきに生きよう.....「奇蹟」を起こす為には ひたむきに生きるしか方法はないと思います 「ひたむきさ~純粋さ」 アン・シャーリーという人は決していじけない どんな境遇に陥っても悲観的になったり、捻くれたりしない 孤児という境遇も赤毛というコンプレックスも、前向きに対処します...(赤毛のアンに学ぶより抜粋) 

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赤毛のアン」

自分に与えられた運命

「偶有性」を受け入れる

思わぬ幸運に偶然出合う能力 

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赤毛のアンに学ぶ

幸福になる方法

 村岡花子/翻訳

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赤毛のアンに学ぶ③/ 幸福になる方法

2014-09-26 08:04:28 | 読書/人生を考える

 《 赤毛のアンに学ぶ 

講談社文庫

幸福になる方法

 

茂木健一郎 著

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茂木健一郎の 解釈 

人間とは

幸わせとは何か?

赤毛のアン.....大事なことは深い人間洞察に基づいた作品だということ 日本の読者は表層的な部分を好みます 

 

日本人と/キリスト教.....「赤毛のアン」の中心を貫くキリスト教的ヒューマニズム 日本では理解されないから「赤毛のアン」が表層的にしか受け入れない根本的原因です  作品の持つ深い思想が見えてこない

 

欧米社会では.....キリスト教に裏打ちされた人生観があります キリスト教の思想の根本にある「愛の原理」「神の意志」を受け入れるといったところに、共通の思想があると思います

 

キリスト教と開拓者精神.....「アン」に登場するプリンス・エドワード島(カナダ)の住民達も、かってはイギリスやフランスからの移民です 新大陸での生活を切り開いてきた「運命を受け入れ」、という思想は「キリスト教」と「開拓者精神」からきている

赤毛のアン

幸福になる方法がいっぱい

 

皇居・竹橋/ 平川門入場  

 

  皇居・竹橋/ 平川門入場  

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「茂木健一郎」が読み解く

脳科学者の解釈

アン大人の世界に着地.....する前の青春時代を描いています 西洋的なスタイルへの憧れ...プリンス・エドワード島の美しい自然...美味しいケーキやお茶のセット...といった表層的な部分が日本人には好まれます 実は「赤毛のアン」にはもっと深い思想が隠されています 「児童文学」ではなく「大人の文学」なのです

 

いかに「真摯な自分」を貫くか.....偶然の出会いをどのように生かすか 世界観を変えるような出来事を受け入れ、自分自身を変えるためにどうすれば良いか 個性をいかにして育み尊重するか 欠点だらけの自分の人生を愛するためには、何をすれば良いのか 「幸福になる方法」がぎっしり詰まっています  

赤毛のアンは実は大人の文学

  人生の洞察力 深い思想が潜む 

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 赤毛のアンに学ぶ 

幸福になる方法 

村岡花子/翻訳

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読書 《下町ロケット》

2014-06-03 13:17:37 | 読書/人生を考える

《 池井戸潤 著

下町ロケット

小学館文庫

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面白い...一気に読んだ

ストーリー

下町ロケットは.....池井戸潤による小説 小学館刊「週刊ポスト」に2008年4月18日号から2009年5月22日号まで連載され、加筆  訂正の後、2010年11月24日に単行本が、2013年12月21日に文庫本が小学館より刊行された 2011年上期「直木賞受賞作」

 

佃航平.....かつて、宇宙ロケットの開発を担当していた佃航平は、ロケット打ち上げ失敗の責任から宇宙科学開発機構を辞め、今は下町の小さな町工場「つくだ製作」」を経営していた ある日、佃のもとに一通の訴状が届く 相手は容赦ない法廷戦略を駆使し中小の町工場を叩き潰すナカシマ精機だ つくだ製作所は主力製品が特許侵害で訴えられたことで次々と受注がなくなり、会社存亡の危機に立たされる

 

一方、日本を代表する大企業...帝国重工では純国産ロケットの打ち上げプロジェクト「スターダスト計画」が記者発表されていた 順調に計画が進む中、プロジェクトの責任者...財前道生のもとに衝撃的な報告が入る 帝国重工が総力をあげて開発したエンジン部品の特許技術が、既につくだ製作所の特許として登録されていたのだ その部品がなければロケットは飛ばない 窮地に立たされた財前は佃に、その特許を20億円で譲ってほしいと申し出るのだが.....

 

下町ロケット.....面白~い、めちゃくちゃ面白い 心が震えるような作品に出会った 夢を諦めきれない男が、現実的な社員や娘や大企業と闘いながら自分の意志を貫き通していく 大人向けの小説だけど、ロケットや宇宙好きの子供にも十分楽しめる 金融庁調査みたいなシーンも出てきてドキドキした

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第145回

直木賞受賞作品

3巻...一日で読む

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再訪①/ 古都・奈良/67歳

2013-10-13 19:35:17 | 読書/人生を考える

《 世界文化遺産の旅 》

2010.11.21(水)~22(月)

平城京ロマンの旅


NHK出版

 


  

古都奈良を訪ね 歩く 

 

 

 

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中国/ 長安を模した「平城京」 

万民の幸福と国家繁栄を願い

聖武天皇が発願した


大仏建立」でした

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 聖武天皇/大仏建立 発願

 

大仏開眼・・・華やかさの裏で途方もない富が費やされ民衆は疲れていきました  開眼法要から32年後の784年・都は《長岡京》に移りました 再び都が奈良に戻って来ることは無かった 古代国家の総力を結集し成し遂げられた《大仏開眼》でしたが、大仏開眼したあとも平城京は仏法に守られた理想の国家(都)にはならなかった 

奈良のお水取りは「大仏開眼」の日に始まる

 

 

 

東大寺参道 

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中央アジア

郷愁の旅

 

雨の 東大寺参道 

 

 

 

5世紀~8世紀の日本


遙か西域から来・・・ギリシャなどの西方文化がどのようにして奈良の都に伝わり、日本文化の基礎を築いたか?・・・訪ねる旅です

 

日本は中国や朝鮮半島を通し・・・大陸文化を吸収し国際性豊かな《国家形成》を成し遂げました 近畿地方はこの活気に満ちた時代を偲ばせる大きな社寺が沢山残っています 平城京が栄えた奈良は、《薬師寺~唐招提寺~東大寺~》などシルクロードへの夢を掻き立てる寺々が甍を並べ、古都への思いを偲ぶことができます

 

  

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67歳/ 世界文化遺産の旅 

 2010.11.21(日)~11.22(月)

 

 

 

 

 

 

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再訪②/ 古都・奈良/67歳

2013-10-13 19:35:02 | 読書/人生を考える

 《 世界文化遺産の旅 》

2010.11.21(日)~11.22(月)

平城京ロマンの旅


 

NHK出版  

 

 


1300年前の「平城宮」

   現代の皇居/霞ヶ関に匹敵する「官庁街」

  古の奈良の都に甍が聳え立つ




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世界文化遺産に登録

1998年12月


1300年前/平城京・・・平城宮の外の庶民といえば屋根は草葺、床はワラ敷きの竪穴住居が殆どの時代です 大寺院の境内に庶民が入ることは許されなかった  塀の外から見る青空に聳え立つ朱塗りの塔はこの世のものとも思えぬ美しさだったでしょう


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あおによし 奈良の都は咲く花の 

におうがごとく 今盛りなり


小野老の歌(おののおゆ)の歌・・・万葉集の歌 九州の地に転勤させられた官僚の名歌 煌びやかな都への望郷の想いを詠う

 

 

 

東大寺榊莫山・書)

 

 

伽藍の配置・・・東大寺の境内は、平城京の外京の東端を区切る東七坊大路(現国道169号)を西端、西南部は興福寺の境内と接していた 南大門を入って参道を進むと正面に中門(南中門)、その先に大仏殿(金堂)


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国宝/東大寺 大仏殿


大仏殿(金堂)

 

 南大門

 

中門(南中門)

 

 

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67歳/世界文化遺産の旅 

2010.11.21(日)~11.22(月)

 

 

 

 

 

 

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再訪③/ 古都・奈良/67歳

2013-10-13 19:34:49 | 読書/人生を考える

《 世界文化遺産の旅 》 

 2010.11.21(日)~11.21(月)

平城京ロマンの旅


 

NHK出版  

 

 

 

 

南大門

 

 

 

天の原 ふりさけ見れば

春日なる 三笠の山に いでし月かも


安部仲麻呂の歌・・・唐の朝廷に仕え在唐のまま亡くなった 故郷の日本を懐かしんで歌った高級官僚・・仲麻呂の歌

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いざ子ども 早く日本へ 大伴の

三津の浜松 待ち恋ひぬらむ


山上億良・・・万葉歌人億良の歌 唐へ単身赴任だった億良の日本に残した家族を思って詠んだ歌

 

 

 

 

    

大仏殿 裏

 

奈良の都/絢爛と咲き誇る桜

 

紅葉が美しい/東大寺西回廊

 

 

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67歳/ 世界文化遺産の旅

 2010.11.21(日)~11.22(月)

 

 

 

 

 

 

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再訪④/ 古都・奈良/67歳

2013-10-13 09:50:05 | 読書/人生を考える

《 世界遺産の旅 》

 2009年4月5日(日)

平城京ロマンの旅


  NHK出版  

 

 

 


国宝/興福寺 東金堂

《阿修羅像》を鑑賞する人々の列

聖武天皇・・東金堂 建立

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興福寺/創建1300年展

国宝 阿修羅像


顔三つ 頼れる美少年(ビデオ写)

 

阿修羅像ビデオ写)


      

 

 

 

 

 

国宝 興福寺三重塔


    

1143年/(藤原聖子・建立)


   

三重塔/日本最古の建築


 

弁財天供(HPより)


 

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国宝/興福寺五重塔

藤原不比等の娘

《光明皇后・建立》


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67歳/世界文化遺産の旅

 2010.11.21(日)~11.22(月)

 

 

 

 

 

 

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回想①/ 東大寺/大仏建立物語

2013-10-13 07:46:10 | 読書/人生を考える

《 国 銅 (上・下) 》

箒木蓬生 著


 

新潮文庫

 

 

 

聖武天皇


大仏建立・・・万民の幸福と国家繁栄祈って天平15年10月(西暦743年)大仏の造立の詔を発願した 工事は紫香楽の宮で開始されるが翌年、工事は紫香楽京から平城京へ移される 何千人もの人夫が日本全国/各地から駆り出されました


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東大寺 山門

 2010.11.21(日)~11.22(月)

 

 

大仏殿 金堂 

 

 

 

国銅(上)

箒木蓬生著


長門の国(山口県)・・・「国人」もその一人でした 17歳で課役に駆り出された「国人」、銅山の採掘夫という苦役に放り込まれ、5年の銅山生活の後、15人の士丁仲間と瀬戸内海を船で都(奈良)へと送り出される

 

30日を越える船旅・・・役人に監視され櫓漕ぎに酷使される日々でした それでも湊々で集落の風景は変わり人々の暮らしも変わる・・・・・都(奈良)での5年の仕事を終え、大仏鋳造の重労働を終えた「国人」ら3人は帰国の途に 課役を解除され放り出される 

 

 

国銅(下)

箒木蓬生著 


往路は役人に守られる・・・帰路は川を遡り琵琶湖を北上し、若狭から長門(山口県)へと、日本海沿岸の湊々を渡ってゆく  苦しみの連続にもかかわらず、人を恨むことも無く、人を許し人を受け入れる「国人」 人間としても成長していく

 

平凡に誠実に生きる大切さ・・・を理解するようになる 自らの知恵を頼りに自らの足で長門(山口県)へ帰る日々が描かれます 船と徒歩だけが移動の手段だった天平の時代に、人々が帰る先々で見たであろう古代日本の風景が、次々と展開していきます

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 67歳/東大寺/大仏建立物語

  天平時代にタイムスリップ

   2010.11.21(日)~11.22(月)

 






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回想②/ 奈良の宮大工《棟梁/西岡常一》《弟子/小川三夫》 

2013-10-13 06:34:13 | 読書/人生を考える

《 奈良の寺々 修復 》

棟梁 西岡常一

 


宮大工/棟梁西岡常一  


文化功労者

1995年(H7年/87歳没)

 

 

  

東大寺/南大門

 

 

 

棟梁/西岡常一


棟梁として・・・《法隆寺の解体修理》、《法輪寺の三重塔の再建》、《薬師寺/金堂/西塔/中門/回廊/薬師寺伽藍》の再建の仕事に携わることができ、たくさんの職人と一緒に仕事をしてきました

 

家は代々法隆寺に使える大工・・・法隆寺大工とか、斑鳩寺工とか呼ばれて居ました 祖父の時に法隆寺の《棟梁の役目》を任せられる じぶんの代まで仕事をしました 生まれた時から周りはみな大工 祖父の西岡常吉、その弟の薮内菊蔵、父親の西岡楢光、弟の西岡楢治郎・・宮大工でした

 

腕のいいたくさんの職人と仕事を・・・職人の仕事は機械では代われんものと強く感じています 一人前の職人になるには長い修行の時間がかかります 自分で経験を積み、何代も前から引き継がれてきた技を身につけ、昔の人が考え出した《知恵》」を受け継がなくてはなりません

 

相手にするのは檜・・・木は人間と同じで一本づつが全部違います それぞれの木の癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはなりません そうすれば千年の樹齢の檜であれば、千年以上持つ建造物ができるのです これは法隆寺が立派に証明しています

 

法隆寺を造り守ってきたのは・・・こうして受け継がれてきた木を生かす技です この技は数値では表わせません 文字で本にも書き残せません 言葉にできないからです 技は人間の手から手に引き継がれてきた《手の記憶》なのです この手の記憶の中に《千三百年》にわたって引き継がれてきた《知恵》が含まれているのです

85歳/現役から引退しました

 

 

 

木のいのち 木のこころ

 

 

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宮大工/西岡常一 著


木をいかに生かすか

性質をどう見抜くか

後継者をいかに育てるか 

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 一番弟子21/ 小川三夫


 

 

 

西岡棟梁の弟子に 


高校の修学旅行・・・法隆寺の五重塔を見てこんな塔を作ってみたい!、と思ったのがきっかけでした まったくの素人から何とか一人前の宮大工としてやっていけるようになったのは、すべて《西岡棟梁》のおかげ 実際に檜を削り組み立てる仕事をしながら飛鳥の工人達の《技や知恵》を学びました そこで教えられたことはそれまで学校で教わってきたのとはまるで違うものでした

 

大工は手の仕事


頭で考えるだけで・・・建物を造ることはできません 学校の勉強は記憶や抽象的な思考の訓練でした 《西岡棟梁》のもとで大工の修行を始めたとき、それまでとはまったく違ったことを一から学ばねばなりませんでした 言葉や数字を媒介にして記憶したり考えたりする代わりに、体や手で自分の考えを表現しなければならなかったのです ここでは本や言葉による指導は何の役にも立ちませんでした

 

 

 

槍鉋をかける  図面を引く

 

 

 

千三百年前に再建


法隆寺/薬師寺の建物・・・職人達から職人達への《手による記憶》によって引き継がれてきたのです この《手による記憶》はこの後いかに科学が進んでも言葉にも数式にもよらず、やはり人間の体を使ってしみこませた記憶や勘によってしか伝えられないでしょう それを実践していくのは・・・私達大工の仕事です

 

 

 

木のいのち 木のこころ

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

宮大工/小川三夫 著


宮大工への思い

西岡棟梁の弟子に 

西岡棟梁に鍛えられ

技能集団/鳩公舎を率いる

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薬師寺西塔前 

 師匠・西岡常一と弟子・小川三夫

     

弟子・小川三夫   師匠・西岡常一

 

技能集団/鳩公舎

 

 

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67歳/奈良の宮大工

  棟梁 西岡常一

  弟子 小川三夫

 

 

 

 

 

 

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回想(3) 《梅原猛/隠された十字架》

2013-10-13 05:58:33 | 読書/人生を考える

 《 哲学者/梅原猛 》

 41歳/作家デビュー

  HARU/40代の出会い


 

 

隠された十字架

毎日出版文化賞 受賞 


1992年/文化功労者 

1999年/文化勲章受章

 

 

 

 奈良公園

 

 

 

梅原日本学を確立

梅原さんの話・・・知性と想像力に溢れ興味深い 子供のような自由な発想で《古代日本を哲学》します 《古事記/日本書紀》など古代史は謎が多い だからイマジネーションを広げ《古代日本史》の謎解きをします 大胆な仮説を提起します

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

40代/《梅原日本学》に夢中

 梅原猛は歴史学者でなく・・《哲学者》

古人(いにしえびと)の心を推理します 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

梅原猛

作品と出会う


 

 

 

 

 

隠された十字架

法隆寺論


HARU/若き日40代・・・梅原猛の著書と出会う 《古代日本》の未知なる出発でした それは私にとって衝撃的な出会いでした 以後/奈良に関する《梅原猛の著作》を片っ端から読破し、奈良に夢中になる

 

小説の舞台《奈良》訪問・・・若き日《梅原猛》の本で読書に開眼 以後/井上靖/永井路子/杉本苑子《歴史小説》の門が開かれる 

 

 

人類哲学序説

4月岩波新社刊行


西洋哲学の研究が十分じゃないから《序説》としました いま取り組んでいる《世阿弥》/《親鸞》の研究があと1年くらいで大体終わるので《本説》は90歳を超えてから書きます 予告したからにはどうしても95歳までは生きないといけない 後ろから追いかけてくる足の速い死と/ボケから一生懸命逃げて、思索しているって感じです

 

 

哲学は難解?

平易な物語の語り口で


瀬戸内寂聴さんは《小説を書きなさいよ そうしたら私のライバルになるわ》って言ってくれたね お世辞だけど嬉しかった 哲学はもっとわかりやすくなければならない もっと具体的な事象まで研究しなければならない それが私の基本的な考えです

 

戦前に《善の研究》を著した京都学派/《西田幾多郎》は素晴らしい哲学者でした 彼に憧れて京大に入ったんですが《もっと優しい言葉で》って思います 哲学を優しい言葉で語れないはずがない、と思います 浄土宗の法然/浄土真宗の親鸞/日蓮宗の日蓮/・・はとても優しい言葉で語っている 難解なのは曹洞宗の道元/《正法眼蔵》だが、西田の本はそれより10倍難しい

 

 

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哲学で大切なこと 

1、優しい言葉で  

2.事実に即して 

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小説/隠された十字架

飛鳥とは何か   聖徳太子 

塔(上・下)  黄泉の王  

み~んな面白い 

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奈良公園(63歳)

 

 

 

隠された十字架(法隆寺論) 

聖徳太子/塔(上・下) 


梅原猛の本は難しいか?・・・いいえ難しくありません 《隠された十字架(法隆寺論)/塔(上・下)/聖徳太子》は、物語りのような語り口、平易な文章で読者の心を掴んで離しません 読後は誰でも《奈良へ法隆寺》へ誘われます

 

隠された十字架(法隆寺論)・・・から読みました 《日本の古代》が身近になります 《法隆寺》の成り立ち/《聖徳太子》の生い立ち/が理解できます 2010年10月の新書《葬られた王朝》では出雲大社が建てられた当時の古代王朝の謎?解る

 

 

 

 《梅原日本学》 確立

 (88歳)/受賞作品多数

   1992年/仏像・心と形

     NHK出版/(毎日出版文化賞)

  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 67歳/奈良逍遥

  Haru40代 

  梅原猛との出会い

 

 

 

 

 

 

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回想(4) 《梅原日本学/古代日本を哲学する》

2013-10-13 04:40:38 | 読書/人生を考える

《 古代日本を哲学する 》

梅原猛の本(梅原日本学)


 

東大寺 講堂跡

 

 

東大寺/講堂跡(63歳)

 

 

 

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梅原猛/と出会う

古代史三部作・完結


《隠された十字架》(1972年)

法隆寺を聖徳太子一族の怨霊

鎮魂の寺と論じた


《水底の歌》 

万葉歌人・柿本人麻呂の刑死説を唱えた


《葬られた王族》 

古代史3部作の完結編

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どうして法隆寺は再建されたか?・・・史実に基づき歴史を読み解く 《古事記/日本書紀》をもとに、哲学者/《梅原猛》の目で古代の人間の深層心理を解き明かすことに挑戦した《梅原日本学》 古代史の謎を大胆に読み解いた歴史小説

 

法隆寺参拝の実用書として何度も読み奈良を訪ねた 梅原猛は古代の人々の権力&怨念が渦巻く《古代日本を哲学》します 次々と《古代日本の謎》を解き明かします

 

 

  

 

  

神々の流懺(藤原不比等伝)

のちに(葬られた王朝)に検証

隠された十字架(法隆寺論)

《毎日文化賞 受賞》

水底の歌(柿本人麻呂伝)

《大佛次郎賞》

 

 

 

 

 

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塔(上・下)

飛鳥とは何か 

黄泉の王(私見/高松塚)

聖徳太子(全10巻)  

学問のすすめ

湖の伝説(三橋節子の愛と死)

空海の思想

仏教 ほか 


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67歳/梅原日本学

 古代史に挑戦

  2010.11.21(日)~11.22(月)

 

 

 

 

 

 

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哲学者/梅原猛の生い立ち①

2013-09-18 03:57:13 | 読書/人生を考える

《 人生の贈り物 》

孤児の哀しみが原点

哲学者/ 梅原猛


東大寺講堂跡 礎石

 

 

 

早期発見/3回のガン


3回ガンに見舞われる・・・1回目60歳で大腸ガン 2度目は72歳で胃ガン 3度目は82歳で前立腺ガン 早期発見で助かった 3度もガンを克服すると神仏に生かされているんだな、と思います

 

85歳/腹部の動脈瘤の手術・・・著作への意欲は衰えません 4月にも《人類哲学序説/岩波新書》を出しました その原動力は結核にかかりながらも私を産み、1年余り後に亡くなった実母の悔しい思いがあって、私がその思いを果たしているのではないかと思います

 

 

孤独な記憶(幼少期)


両親が結婚しないまま生んだ子・・・母は仙台の魚問屋の娘、そこに下宿していた東北大生の父と恋に落ち妊娠した 妊娠中結核にかかり、医者に中絶を勧められたが出産した 母は数え年20歳で亡くなり、父も結核を患い愛知県知多半島の実家に帰っていた 私は生後1年8ヶ月で父の実家で味噌醤油醸造業の父の兄、伯父さんのところに引き取られた 伯父さんを《お父さん》、実父を《オジサン》と呼んでいました

 

幼年時代/頭の中に孤独な記憶が残る・・・伯父夫婦が本当の夫婦でないことは幼いころは知らなかったけど、世間の人はみな知っていて当時そういう子に対し冷たい目があった 何か孤児の哀しみみたいなものが子供の頃から知らずにあったんでしょうね 孤独が好きで空想の世界で遊ぶ子供でした そうした原体験が《梅原思想》の原点です

 

                                   

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米寿/梅原猛の生い立ち             

2013.8.10(土)

 

 

 

 

 

 

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哲学者/梅原猛の生い立ち②

2013-09-18 03:14:16 | 読書/人生を考える

《 人生の贈り物 》

敗戦色深まる

哲学者/ 梅原猛

 

 

 

 

 

梅原猛に赤紙届く


少年時代/家の中の孤独な遊びを好・・・小学校入学前相撲好きの養父に買ってもらった力士のプロマイドを毎日眺め、ちょんまげやへそや手足の小指を見るだけで力士を当てるようになる 小学生のころには将棋の駒を使ったひとり遊びに夢中に

 

勉強はしない・・・養父は愛知県で最難関の愛知一中(現旭丘高校)を受験させますが不合格 私学の東海中学に入学する 知多半島の自宅から学校まで片道2時間半 養母は朝4時に起きて朝食とお弁当を用意してくれた 養母の親心に打たれて勉強し一躍優等生に 特に数学が得意だった 作文は下手でした

 

 

 

旧制第八高等学校進学

現名古屋大学


中学3年/川端康成《16歳の日記》で人生の転機・・・川端も孤児で唯一の肉親である病気の祖父を描き人生を突き詰めてみていた 人生は数学より面白いだろうし、難しいだろうと思って急に文学少年になる 文学漬けになって高校受験に失敗する 1年浪人後旧制第八高等学校(現名古屋大学)文科に入る

 

八校1年/文科系学生の徴兵猶予が撤廃に・・・在学中は軍隊に入らなくていいと思っていたのでショックだった 当時はもう敗色濃厚で赤紙は死の知らせでした 八校で《哲学》を学ぶようになったのは、どうせ死ぬのなら悟りを開けるような、甘んじて死ねるようなものを求めていたからだと思います

 

 

 

京都大学進学


八校での授業は1年3ヶ月、あとは勤労奉仕・・・明治44年12月の空襲で名古屋の三菱重工の工場がB29の標的になりました その時たまたま本来入るべき防空壕とは別の壕に避難し助かった 仲間達はみんな死んでいた 負けるに違いない戦争で一つしかない命を捧げなければならないのか、矛盾を感じていました 明45年3月の空襲で八校の校舎は全焼、卒業式のないまま京都大学入学、入学式を終え帰宅したら赤紙が来ていた 

 

 

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 米寿/梅原猛の生い立ち

 朝日新聞連載

2013.8.11(日)

 

 

 

 

 

 

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哲学者/梅原猛の生い立ち③

2013-09-18 03:13:57 | 読書/人生を考える

《 人生の贈り物 》

肯定の哲学

哲学者/ 梅原猛


 

 

 

 

 ニヒリズムを超える


1945年召集され兵士として終戦・・・入隊したのは名古屋の野砲兵舞台、中国に行くはずだったが輸送船は敵潜水艦の魚雷攻撃で次々沈没していた 危なくて行けないと本土防衛隊として転々とし、最後には熊本の松橋に向かいました 本土防衛隊と言っても馬も大砲の弾もない 敵が来たらひとたまりもない そういう状況の時、広島と長崎に原爆が落ちた 原爆投下されなかったらおそらく本土決戦があり確実に死んでいた

 

 

 

京都大学復学


死を覚悟した戦争が終わる・・・京大の哲学科に復学したが、死の観念がなならない 人生の不安や絶望を見つめる《実存哲学》にのめり込みました 大学時代最も熱心に読んだ本、人間を死への存在として捉えたハイデガーの《存在と時間》です

 

実存哲学というのは・・・生きていても意味はないという考え方のニヒリズムと深くつながっていて、その思想に傾倒した私の悩みは深まる一方でした このままでは生きていけないと見かねた養父母の世話で、1951年に見合い結婚しました 結婚はニヒリズムから脱して日常に帰る私なりの決意でした

 

 


立命館大学文学部専任講師に


1955年立命館大学文学部専任講師に就く・・・哲学者としてもニヒリズムの不安と絶望を超えるような、人生を肯定するような哲学を打ち立てなければと、《笑いの哲学》をやろうと考えました 大阪道頓堀の角座や中座に連日通い、落語や漫才を見てはノートを取っていた 変な学者がいるとマスコミの目にとまり、朝日新聞に半年余り《お笑いを哲学する》と題して連載した 私がマスコミに出るようになったのはそれからです

 

笑いだけでなく感情全体を記号で表すような哲学・・・構想したのですが十分にできませんでした しかし副産物はあり、研究対象を日本人の感情とした場合、日本の美や宗教を研究しなければと考え、《日本研究》にどっぷりつかるようになった


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肯定の哲学とは


 

 

 

 

人間はどう生きるべきか

学問が問う「哲学」


西洋哲学を日本に紹介することではない・・・ニーチェやハイデガーを解釈するのでもない ニーチェやハイデガーのような《日本独自の哲学の体系》を・・・・作らない限り哲学ではない、とず~と思っていた

 

 

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 米寿/梅原猛の生い立ち

  日本研究を「哲学」として認めない風潮

  朝日新聞連載 

  2013.8.12(火)

 

 

 

 

 

 

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