《 夏休み 最後のヘルプ 》
和室からの朝陽
田園風景を借景に
涼しげな外溝
童心に帰る 花火
Yuri/9歳 Soyo/5歳
Soyo/4歳
YUri/9歳
夏休み最後の華やぎ
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夏休み 最後のヘルプ
2009.8.末
《 夏休み 最後のヘルプ 》
和室からの朝陽
田園風景を借景に
涼しげな外溝
童心に帰る 花火
Yuri/9歳 Soyo/5歳
Soyo/4歳
YUri/9歳
夏休み最後の華やぎ
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夏休み 最後のヘルプ
2009.8.末
《 二ヶ月ぶり /ヘルプ 》
田園風景 借景
ヘルプ/2週間つづく
ヒメシャラ/アオハダ/ジューンベリー/キンモクセイ
居間の前/アオハダ
南西の角/キンモクセイ
和室の前/ヒメシャラ
ヒメシャラ
成長する庭
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二ヶ月ぶり /ヘルプ
開放的...新和風
《 JAXAニュース 》
神代ザクラ/宇宙へ
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長野・木曽町の26の高校・・・宇宙に8ヶ月滞在した「ミヤコグサ」の種が届けられた 成長の早さ、葉の大きさなど成長の様子を比較して成長を見守るようです (9・13ラジオより)
宇宙から持ち帰ったサクラ・・・16ヶ所のサクラの種を宇宙へ持っていった若田さん 2000年の山高神代サクラの種121粒も宇宙から持ち帰り 武川村中学校では発芽に向け種を植木鉢に蒔きました 宇宙でいっぱい放射線を浴びたサクラの種子 地上で上手く発芽するでしょうか? (8・26ラジオより)
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2009年 山高神代ザクラ
神代ザクラは発芽率が低い
8年後の開花を待つ
2009.9.13(日)
《 浄土堂 入り口 》
国宝/阿弥陀三尊像
国宝・浄土堂/1192年創建
東大寺再建 重源(ちょうげん)上人創建
お堂内部に陽が射し始める
(PM/3:30)
一人旅/浄土寺・・・兵庫県小野市の浄土寺です 神戸市元町で開催された「水彩画展」の帰り、小野市 に翔びました 交通の便が悪く中々実現しなかった浄土堂です この目で見たかった 長年待ち続け出会った阿弥陀三尊像 2009・8・18(火) 気温35度・快晴
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名仏師/快慶の作品
国宝 阿弥陀三尊像
見事な「天竺様模様」
天竺様式は「南大門/浄土堂」の二つ
仏像写真
小川光三さんより転載
夏時間夕日/Pm4:00~5:00
浄土堂西側から西陽
鎌倉初期・快慶作・・・東大寺南大門と並ぶ天竺様建築です 昭和39年5月新国宝に指定 阿弥陀如来5m30cm、観音・勢至両菩薩は3m70cm 国宝の「阿弥陀三尊像」は浄土堂創建当時に安置された
浄土堂正面入り口
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浄土寺への 交通
交通が不便なので参考に
往路・・・JR三宮駅東隣→神姫バスセンターより乗車(70分)→小野下車・小野タクシー乗車10分(但馬銀行前)→浄土寺徒歩1分
帰路・・・浄土寺(小野タクシー呼び出し(63-4189))15分→神戸電鉄粟生線(小野駅)乗車→湊川乗り換え→地下鉄にて新神戸へ
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小野タクシー(株)
(TEL 0794-63-4089)
(フリー 01200-63-1401)
神姫バス時刻表
駅観光案内場で発行
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昭和32年/解体修理工事
《阿弥陀三尊像》など創建当時に安置
夏時間の夕日/PM4:00~5:00
《 古代エジプトの遺産 》
イタリアが愛した美の遺産
「トリノ・エジプト展」
約5000年前・・・ナイル川の上流と、下流の地域を統一して、古代エジプト王朝が誕生しました たくさんの農作物が取れる豊かな土地に支えられた王朝は、紀元前30年頃にローマに支配されるまで、約3000年間もつづきました
王はアメン神に遠慮がち・・・王は神に従属する姿勢をとっている さらに神の肩に手を回し親愛の情を示す 小柄なツタンカーメンに対して堂々とした体躯で威厳を崩さない神 絶対的な権力を持つ王のわりには、ツタンカーメンが何故か遠慮がちに見える
門外不出・・初公開・・・無傷
ツタンカーメン
歴史から抹消される
抹殺されたわけ・・・父王の宗教改革に反発した神官団がいたことです 古代エジプトでは代々多神教の信仰だった 父王の治世には強大な力を持つアメン神を祀る神官団が王をしのぐ勢力を持つようになっていった 王は伝統的な神々を否定する宗教改革を実行した
歴史から抹殺・・・ツタンカーメンが、古代エジプトの公式記録から消されて20世紀まで知られなかった イギリスの考古学者カーターによって発掘されたのは、1922年11月のこと 3000年もの間盗掘されずに残った 王墓からは黄金のマスクほか副装品が発見され、世界各地で巡回展示され、世界を熱狂の渦に巻き込んだ
太陽神アテンを唯一神とした・・・多神教から一神教への大転換を起こした しかし宗教改革は失敗し社会は混乱に陥る その時即位したのが息子ツタンカーメンだった 1333年頃とされる 即位時は10歳、その後伝統的な多神教を復活させるが・・・
正式な記録から抹消・・・死後、アクエンアテン王からツタンカーメン王の次のアイ王まで記録から名前を抹消された こうして、ツタンカーメンは歴史から忘れ去られ、幸か不幸か墓は未盗掘のまま現代まで残ったのです
トリノ・エジプト博物館
トリノ・エジプト博物館 エジプト文明の秘宝をサボイヤ家が購入・収集 コレクションの歴史は・・・17世紀前半まで遡り、19世紀にナポレオンの遠征に従軍したベルナルディー・ドロベッティが収集したものをサボイア家が購入収集したものです サルディーニャ王国・・・サボイヤ家の作った都として栄えたのは1861年から3年余り、イタリア統一後初の首都が置かれたところ 旧市街の中心にある 100体の大型彫像や170点のパピルス文書が収蔵されている
セメクト女神 戦いの女神は・・病気を治す女神でもある
エジプトコレクションの殿堂
古代エジプトの神々1
オシリス神話・・・オシリスはやきもちを焼いた弟セトに殺され、身体をバラバラにされてナイル川に流されますが、妻イシスの助けで復活できました
復活と再生・・・死者は死後の世界で生き返る・・・オシリス信仰となりました 死後の世界の支配者であるオシリス神は、豊かな実りをもたらす農業の神様です 肌の色は、植物の緑色か、ナイル川岸の黒色で表されます
息子のホルスは・・・セトとの戦いに勝利し王となりました 古代エジプトの王は、生きている間はホルス神の生まれ変わり、死んでからはオシリス神となって死後の世界に生き返ると考えられています(パンフレットなどより転載)
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死者は死後の世界で生き返る
身近にある自然や全ての生き物が「神」
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《 死者の復活と再生 》
ナイル川・・再生のシンボル
会場・・・上野・東京都美術館
生活の中心はナイル川
再生のシンボル・ナイル川・・・毎年夏に氾濫するナイル川上流から肥沃な黒土を運び、緑の作物が生育する そこに昇る太陽は植物を再生させる 太陽と緑の植物は再生のシンボルとして大切にされた
家族像・・・男性は、スカートのような腰布を巻いて上半身は裸、というのが基本スタイル 女性の衣服は時代を追って変化しました 古王国、中王国時代は肩から紐で吊るす胸から足首までのドレス 新王国時代には襞のある薄い衣服の重ね着が流行しました
《家族像》
装飾品・・・ウセクとよばれるビーズを重ねた襟飾り、腕輪や足環、指輪を身に着けるのは男女共通でした 男性の長めの髪形と女性の髪形にはかつらが使われ、外出時は頭に頭巾を被りました
化粧・・・化粧の習慣は、日光と乾燥から肌や目を守る為に始まりました 肌を清潔にし、潤いを保つ為に植物油ベースのクリームや花の香りの香油を塗っていました 男の顔は赤色、女はピンク色に化粧しました
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ミイラ・・・死後の世界
「葬送のマスク」の一部
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ミイラを作っている場面
ミイラを作った理由・・・古代エジプト人は、死体を腐らせずに保存する為にミイラをを作り、死んだ後に生き返ることを祈りました ミイラを作ったのは王族や貴族だけではありませんでした
完成まで70日必要・・・庶民もミイラを作った ミイラ作りを専門とする職人がいました 重要なのは心臓です 心臓は体内に残され、内臓は取り出されてカノポスという壷に入れ保存しました 脳は保存さえされません
いろいろな副装品・・・死後の世界を大切に考えて、墓には来世で困らないように、ミイラと共にカポス壷のほか日常品など様々な副葬品が納められました
心臓以外の内臓は4つの神の壷で守られました
死者 の書も埋葬
死者の 「再生と復活」の記述
一日中美術館をめぐる・・・自宅を8:00に出て、上野・東京都美術館と、横浜桜木町パシィフィコ横浜・・・二つの「エジプト展」を見終わった・・・16:00会場をあとに18:00自宅へ着きました 一日仕事の美術館めぐりでした
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一日中美術館めぐり
2009・8・15(土)
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《 アレクサンドリアの至宝 》
海のエジプト展
2千年前の美に浸る
海の底に沈むお宝
古代エジプトは・・・今から5000年前に王国ができ、3000年間つづきました 最後の王国、プトレマイオス朝の都として栄えた「アレクサンドリア」の一部と、その周辺の町、「カノープスとヘラクレイオン」は、何度かの地震や津波によって、8世紀末ごろ海の底へ沈んでしまいました
会場の広さは・・・通常の企画展展示室の3倍ほどの約6700m2 ここに約490点の発掘品や15年間撮りためられた海中での発掘映像が、三つの古代都市ごとに展示されています
鏡張りの青いトンネル・・・入り口ゲートから最初の展示室へ 床には水紋が広がり水の音がして、海に中にいるようです 「2千年前の美しい古代都市」にタイムスリップする映像演出が素敵です
入場制限でやっと入場しました
古代都市の海底発掘
海中の様子・・・水中カメラ撮影・水中でのスケッチ・掃除機で泥を吸い取ってコインを発見する
海底から大きな遺物が・・・ハピ神の虚像・プトレマイオス12世のスフィンクス・石碑・ファラオと王妃の巨像・「デカン」の祠堂などクレーンを使って海の中で引き揚げるバルーンが活躍
プトレマイオス王はクレオパトラの父
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ハピ神の巨像・・ファラオと王妃の巨像
数多くの遺物を海から引き上げた
発掘に協力
海洋考古学研究者達
フランス人・フランク・ゴディアさんは・・・1990年代からチームを率いて、この3つの古代都市の海底遺跡の発掘を開始 綿密な調査や最新の機器によって、高さ5mもあるハピ神の石造から、クレオパトラの顔が刻まれた小さなコインまで発見されました (お宝がざくざく)
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世紀の大発見
会場・・・桜木町・パシフィコ横浜
会期・・・~9月23日(水・祝)
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《 3つの古代都市が 》
現在も発掘は続く
発掘船・・「プリンセス・デューダ号」
発掘場所の特定・・・ダイバーは10年間で3500回潜った 発掘船の中には、遺物引き揚げようバルーン・磁力計・ゴムボート・磁気探査機・磁気センサー・潜水具置き場・クレーン・居間・操舵室・作業台・遺物置き場等整備される
ピエログリフ(碑文)解読
マグネットより転載
長い間解読は謎
古代エジプトで・・・使われていた文字で、神様に読んでもらうために作られました、ピエログリフ(碑文)とデモディック(民衆文字)、ギリシャ文字の3種類の文字で書かれたロゼッタ・ストーンが1799年に発見された 多くの研究者が解読に挑戦 1822年フランスのシャンポリオンがついに解読に成功
自然・宇宙・動物・全てに神が宿る
神々と死生観
再生・復活には
エジプトの王はハヤブサの姿・・・の天空の神、ホルス神の化身とされ死後は冥界の支配者オスリス神となって復活すると考えられていた このオスリス信仰は、やがて王だけでなく、一般の人々にも広がっていく
遺体を腐らせずに保存・・・することが必要と考えられた為、 ミイラ作りの技法が発達した 墓の中には死者が整然と変わらない暮らしができるよう、召使ノシャブティー像や装身具・家具・など枕・様々なものを入れた 墓の壁画には野鳥狩りや客人を招いた宴会など、生前の生活を描いた壁画も作られた
エジプト人の生活用品
ネフェルタリ 王妃の墓の壁画
目元を彩るアイシャドウ・・・孔雀石を砕いた緑色の粉や鉛の鉱物の一種から作った黒い粉 粉には殺菌や虫除けの効果があり、強い日差しから目を守る目的で使われました
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ミイラ・埋蔵品は来世への復活
《 三都 古代都市 》
何故水没したの
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エジプトの3つの古代都市
アレキサンドリア」は?
「カノープス・ヘラクレイオン」って?
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聖なる癒しの町
カノープスとは?・・・プトレマイオス朝時代・・・カノープスには「セラピス神」をまつった神殿がありました セラピス神は、エジプト人とギリシャ人を癒すために作られた神殿です ギリシャ人のような顔をしています 他の国々との交易も盛んで、癒しや商売のチャンスをを求めてやってくる人々で賑わいました
ヘラクレイオンとは?・・・エジプトの玄関口地中海の商人が集まった町
ヘラクレイオンは・・・ギリシャ人や地中海世界からエジプトへやってくる商人たちの玄関口として栄えました また、ヘラクレス神殿があり、新しい王をギリシャ神話の英雄ヘラクレスのように力強くする儀式も行われました 経済的にも政治的にも重要な都市でした
なぜ3都市は水没したの?
「カノープス・ヘラクレイオン・アレキサンドリア」
3都市の一部は・・・地震や地盤沈下で、海水面の上昇など、複数の原因が重なって、8世紀末ごろに海中に水没したと考えられています 紀元前4世紀から数回の地震と津波の記録が残っている
プトレマイオス朝は・・・マケドニア(ギリシャ系)の血を引くプトレマイオスが王となって開いた王朝です プトレマイオス朝最後の支配者で、絶世の美女・クレオパトラ7世も同様にギリシャ人だったのです(パンフレットより転載)
アレキサンドリアは? 紀元前331年・・・アレクサンドロス大王が建設し、大王の死後、部下だった将軍プトレマイオスが王朝を開き、その都としたがアレクサンドリアです 約70万巻を所蔵した大図書館もあり、文化人が集まったので学術都市としても栄えました プトレマイオス王朝最後の女王、クレオパトラ7世が最後を迎えた都市
写真はクレオパトラ七世
プトレマイオス王と同じくギリシャ人だった
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水没は地震・津波・地盤沈下が原因
クレオ・パトラはギリシャ人
アレキサンドリア在住
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《 60歳からの山旅 》
車山高原(1925m)
美しい四季
ヨツバヒヨドリ ニッコウキスゲ
野の草花が咲き乱れる
下界を離れ美しい景色
イワシャジン イブキトラノオ
秋の花々が咲き始める
ヨツバヒヨドリ クガイソウ
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肩駐車場~車山
車山山頂
(1925m)
山頂
気象観測レーダー観測所
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霧が峰高原の最高峰・・・車山は1925m この山一体を車山高原と呼んでいます 東側の裾野に白樺湖があります ニッコウキスゲは終わり・・・信州へ墓参りを兼ね霧が峰高原~車山へ遊びました 6日は台風8号発生で(1925m)の車山は曇天
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《66歳》車山高原
(1925m)
2009・8・6(木)~7(金)
《 60歳からの山旅 》
車山・肩~歩き始め
ヨツバヒヨドリ クガイソウ
イワシャジン
テガタチドリ
こんな雲
あんな雲/アザミ
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山頂遠望
シシウド
次々変わる雲
雲に動きが
ナツアカネ ノアザミ キンバイソウ
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《66歳》
車山ハイキング
2009・8・6(木)~7(金)
《 60歳からの山旅 》
高原に咲く花々
クガイソウ
ヤマホタルブクロ
ハナチダケサシ
クガイソウ
シモツケソウ
マツムシソウ
ヨツバヒヨドリ
エゾ カワラナデシコ
ウスユキソウ
ニッコウキスゲ ハクサンフウロ
黄花/ヤマオダマキ
オミナエシ
ニッコウキスゲ ヨツバヒヨドリ
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《66歳》/車山高原
2009・8・6(木)~7(金)
《 60歳からの山旅 》
御泉水自然園
蓼科山の伏流水
蓼科山の中腹・・・標高1830mに広がる総面積169haの自然園 伏流水には湿原を中心に色とりどりの高山植物や植林を巡る散策コースが整備されました 約300種類の高山植物・・・50種類の鳥たちの宝庫 蓼科牧場へは空中をつなぐゴンドラリフトで繋がる 涼を求め散策する人/画を描く人それぞれの夏休み
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《66歳》
御泉水自然園
御 泉 水/リフトの頂上
2009・8・6(木)~7(金)
《 60歳からの山旅 》
御 泉 水
オニユリ
黄花/ヤマオダマキ
コミヤマカタバミ
ウツボグサ
ヨツバヒヨドリ
アキノキリンソウ
ノハラアザミ
ウバユリ
ハート型の葉/ウバユリ
ノアザミ
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《66歳》/御泉水
御 泉 水/ リフトの頂上
2009・8・6(木)~7(金)
《 60歳からの山旅 》
白樺高原
ヤナギラン 群生
ヤナギラン
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ふれあい/蓼科牧場
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白樺高原/国際スキー場
標高1570m
ヤナギラン
ナツアカネ
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《66歳》/蓼科牧場
リフトの頂上~「1830m」・・御泉水
2009・8・7(金)