《 世界文化遺産 》
2011.6.26(日)登録
金 色 堂
《68歳》金色堂
金色堂参道
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世界文化遺産に登録・・・五つの資産 《中尊寺・・金色堂・・毛越寺・・金鶏山・・無量光院跡・・観自在王院跡》 国宝・金色堂・・・極楽浄土を現世に顕す 本尊は阿弥陀如来、前両脇に観音菩薩と勢至菩薩、左右に三体ずつ六地蔵、最前列に持国天と増長天が仏界を守護しま
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日本のインカ帝国
800年~900年前・・・平安末期、京都の中央政権支配が十分及ばない「みちのく」に仏教文化を花開かせた藤原氏、長い戦乱の後、初代藤原清衡が平泉に都を造り、2代基衡、3代秀衡と栄華を極めた
富の源泉は・・・平泉の周辺各地から集められた砂金 当時、陸前高田など「3.11」で壊滅的被害を受けた多くの場所で砂金がとれたという
3代目秀衡は・・・京都から平泉に逃れた源氏の血を引く少年を庇護する 後の源義経である 義経は異母兄頼朝の兵士打倒の挙兵を耳にし、平泉を発ち兄の軍政に加わる 稀代の軍事天才は、一ノ谷、屋島、壇ノ浦で平氏を海に追い落とし、討滅の立役者になる
栄光から一転・・・義経は兄から追われる身となり、1187年に平泉に落ち延びる 彼が慕う秀衡は間もなく病死 その子、泰衡は頼朝の要求に屈し、2年後、義経を死に追いやった その泰衡も同年、平泉に進駐した頼朝軍の手に架かる 奥州藤原氏は滅びた
勃興から歴史の闇に・・・消えるまで約90年、中尊寺、毛越寺、無量光院、など平泉を彩った建物は焼失した いまある寺はその後再建された 当時の栄華を味わえるものは黄金色に光る金色堂です
悪霊のたたりに怯える清衡・・・精神世界に住んでいた 戦乱を生き残り栄華を極めても、死からは逃れられない 死を意識した時、怨霊を恐れもがき、「極楽浄土」を願った末に、富の限りを尽くして造らせたのが「金色堂」でした
中尊寺ハス・・・金色堂の須弥壇より初代・泰衡の首級桶から種子が見つかる 種子から発芽し1998年開花した 境内3ヶ所で育っていた 中尊寺ハスがあちこちで咲く日が待たれます 2011・7・17(日)立ち寄る
芭蕉の句
五月雨の 降り残してや 光堂
芭蕉の句
夏草や 兵どもが 夢の跡
奥州藤原氏滅亡500年後
松尾芭蕉が詠む
旧・金色堂覆堂
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震災/慰労の旅
花巻温泉/宿泊・・・16日(土) 温泉でお声をかけてこられたのは福島県陸前高田市で被害に遭われたご婦人 16日(土)やっとご主人の遺体が判かり、お葬式を済ませ家族の慰労で花巻温泉に来た…とお話を伺った 生後3ヶ月だったお孫さんは津波にさらわれたまま見つかっていない 4ヶ月も経ってしまいもう見つからないでしょうと・・・お気の毒です
茨城~花巻温泉へ・・・津波の影響で被害を受けた茨城県の人 震災のスイッチを入れ替えるため花巻温泉へ慰労に・・・ご夫婦連れでした
六魂祭会場・・・出会った人は、茨城から車を飛ばして来たという年配のご夫婦 お祭りですべて忘れよう・・・とご夫婦「慰労の旅」でした
仙台駅で乗ったタクシー・・・乗務員さん二人のうち一人が被害に遭われました 六魂祭終え仙台駅へ 仙台駅から青葉山へ別のタクシーに乗り換えた 自宅が被害に遭い、仕事先から帰宅したら家の前の道路が陥没していた 吃驚し車庫入れに難儀したこと、窓ガラスが割れ、大型液晶テレビが倒れていたこと等お話し下さる
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《68歳》/金 色 堂
復旧..復興を祈ります
2011.7.16(土)~7.17(日)