ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

『デビル』

2020-03-05 00:00:14 | ハリソン・フォード










 
ハリソン・フォードのポリス・ムービー第2弾は、1997年に公開されたアラン・J・パクラ監督によるアメリカ映画。ブラッド・ピットとの2大スター競演が話題になりました。

今回ハリソンが演じるのは、ニューヨーク市警の実直なパトロール警官=トム・オミーラで、聡明な妻と三人の娘を持つ良き父親でもあります。

一方、ブラピが演じるのは幼い頃にIRAシンパの父親が眼の前でイギリス人に殺され、やがてIRAの活動家すなわちテロリストとなったアイルランド系の若者=フランシス・マグワイヤー、通称フランキー。

CIAにマークされたフランキーは偽装パスポートでアメリカに渡り、しばらく別人としてニューヨークに潜伏することに。そこで組織が手配した下宿先が、よりによって警官のオミーラの家。それ以上に安全な場所は無いだろうってワケです。

もちろん、オミーラはフランキーの正体を知らず、やっと男の家族が出来たと言って大歓迎します。そしてフランキーも亡き父親の面影をオミーラに重ね、二人の間には疑似親子みたいな感情が芽生えていく。

ところが銃器調達の取引相手とトラブったフランキーはそいつらにも命を狙われ、オミーラの家族を巻き込んじゃう。それでフランキーの正体を知ってしまったオミーラは、彼と対決せざるを得なくなるワケです。

私は決して悪くない作品だと思うけど世間の評価は厳しく、興行的にも2大ビッグネームを揃えた作品にしてはパッとしない成績に終わりました。撮影中からハリソンとブラピの不仲説が流れちゃったのが、けっこうな痛手だったかも知れません。

その不仲説の詳細は『エアフォース・ワン』のレビュー記事に書いたので今回は割愛しますが、要するに『刑事ジョン・ブック/目撃者』('85) の頃と比べてハリソンが大御所になり過ぎちゃった事による弊害だろうと私は睨んでます。

大御所になると、本人が何も言わなくても周りが忖度して色々やっちゃう。出演が決まった途端に「ハリソンが出るなら出番を増やさなきゃ!」「ハリソンが演じるキャラをもっと掘り下げなきゃ!」って、脚本に後から手を加えたりする。それでバランスがおかしくなっちゃった映画の典型例が、ハリソンが『デビル』の前に主演した『サブリナ』だろうと思います。

今回の場合、中盤でハリソン扮するオミーラが相棒と二人で銃を持った窃盗犯を追いかけ、射殺しちゃうくだりが如何にも後から足されたような感じがします。

犯人は途中で銃を捨てて丸腰だったのに、相棒がそいつを背後から撃っちゃった。その事実が明るみになれば相棒は警官でいられなくなる。悩みに悩んだオミーラは、真実を闇に葬り、代わりに自分が警官を辞める決意をする。

いい話なんだけど面白いとは言いがたく、重苦しい上に本筋と全く絡んで来ないから、そこで流れが思いっきり停滞しちゃうんですよね。

かようにクソ真面目な性格のオミーラだから、フランキーがテロリストである限り対決せざるを得ないんだ、仕方がないんだってことを言いたいんだろうけど、くどいです。

あの時期のハリソンはそんなキャラクターばかり演じて、その結果同じような芝居を繰り返す事にもなり、大ファンの私ですら食傷気味でしたから、余計にくどく感じちゃう。

実直なお人柄は見てりゃ判るんだから、それをわざわざ強調する時間があるなら、オミーラとフランキーの交流をもっとじっくり描いておくべきでした。その肝心な部分がおざなりにされてるのが、ストーリーの致命的な欠陥になり、主演者2人の不仲を裏付けるような結果にもなっちゃった。事実はどうあれ、世間はそう感じてしまう。

当時のハリソンとブラピは、映画雑誌における人気投票で共に1位、2位を競う存在でしたから、そんな2人によるせっかくのコラボが不発に終わっちゃったのは、あまりに勿体無いとしか言いようがありません。

10と10を足しても20になるとは限らない。いや、うまくいくことの方がかえって珍しい、2大スターの競演作にありがちな顛末でした。

なお、女優陣はオミーラの妻役にマーガレット・コリン、フランキーの恋人役にナターシャ・マケルホーンという顔ぶれでした。

ちなみにオミーラの使用拳銃はS&W-M10ミリタリー&ポリスの4インチ・ヘビーバレル。ミリポリがお気に入りなんでしょうか?(そういう趣味は無さそうだけどw)
 


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