2017年末に公開された、大九明子 監督&脚本による日本映画。芥川賞作家・綿矢りささんの同名小説を映画化した作品です。
恋愛経験のない「妄想こじらせ女子」のOL=ヨシカ(松岡茉優)が、冴えない同僚の「二」(渡辺大知) から人生初のコクハクを受けて舞い上がるも、調子に乗って中学時代から片想いしてるイケメン「イチ」(北村匠海) にアタックすべく、他人を装って同窓会を計画する。けど、そこで痛すぎる現実を思い知らされ……
っていう粗筋だけ書くと少女漫画チックなラブコメディー、私の嫌いな「どっちの王子様を選ぶの?」系の夢物語を想像しちゃうけど、当然そんな甘い話じゃありません。(もしそうなら私は最後まで観てません)
そもそも他者とのコミュニケーションが苦手で友達もいないヨシカは、自己評価が極端に低い割りにイケメン王子への想いを断ち切れない(つまり恋人になれる可能性を捨ててない)自己矛盾に振り回され、一喜一憂する痛い日々を送ってる。若い頃の私そのまんまですw
同窓会で王子様と再会し、絶滅生物が大好きという珍しい趣味を共有してることが判明するも、彼がヨシカの名前すら憶えてないことを知り、天国から地獄に引きずり下ろされちゃう。たかがそれ位で?って多数派の皆さんは思うかも知れないけど、私には痛いほどよく解ります。
ここでいきなりヨシカが唄い始め、映画はしばしミュージカル風に転調するんだけど、その歌詞が驚いたことに、これまで恋の悩みを相談してたカフェの店員(趣里)やコンビニ店員、駅員、掃除のおばさん等との会話が、実はすべて妄想だったことを我々観客に告白する内容なんですよね。(実際は誰とも会話してなかった)
彼女の抱える孤独が思ってた以上に深刻であることが分かって、正直それまでスマホをいじりながら観てた私も姿勢を正さずにいられませんでした。
で、誰も自分なんかに興味すら抱かない現実に押し潰されそうになったヨシカは、ただひとり真っ直ぐに好意を示してくれる「二」との距離を縮めていく。
普通ならそれでハッピーエンドなんだけど、彼の名前が「二」であることにヨシカの「痛さ」が象徴されてるんですよね。当然、実際は違う名前なのに、ヨシカの脳内じゃ「イチ」が一番目の彼氏で「二」は二番目を意味してるワケです。
いよいよ正式に付き合いましょうってなった時、「二」が同僚のクルミ(石橋杏奈)から「ヨシカは交際経験ゼロだから」とアドバイスを受けてた事実を知って、ヨシカが爆発しちゃう。全ての人間関係を断ち切って『凪のお暇』状態になっちゃう。
たぶんクルミに悪気は無く、二人がうまくいくよう親切のつもりで言っただけなんだけど、ヨシカからすりゃ「上から目線」の「憐れみ」だったりするワケで、一番立ち入られたくない領域に土足で踏み込まれた気分なんでしょう。
学校のクラスにすんなり馴染めて、友達も恋人も普通に出来る人生を送って来た人にはとうてい理解出来ない、理解したくもない心理だろうと思います。だからこの映画、そういう人にはまったく響かない事でしょう。
だけど私にはよく解る。そうは言いつつ男ですから、恋愛ごときじゃヨシカほど傷つかないとは思うけど、出来ない人が出来るヤツらに憐れみをかけられる、その悔しさ、「絶滅したい」と思う情けなさは本当によく解る。
ここまで読んで何も感じない人、被害妄想もいい加減にしろと思ってる人には、当然この映画はオススメしません。
いや、よく解る。あるいはそういう心理に興味があるとおっしゃる方には、ヨシカがこの泥沼からどうやって這い上がっていくか、是非とも見届けてあげて欲しいです。
似たような題材の『凪のお暇』は、私から観れば綺麗事のファンタジーでしかなかったけど、この『勝手にふるえてろ』にはちゃんと、どうしょうもない現実の痛さが描かれてます。だからこそ勇気を貰えます。
痛みが解る人にだけ、強くオススメしておきます。多分そういう人しかこのブログは読まないだろうと、私は勝手に思ってます。
とにかく松岡茉優さんが素晴らしいです。あの若さで、あれだけ綺麗なルックスで、この痛みをリアルに表現できる才能はホントに凄い!
そしてその才能を引き出し、軽すぎず重すぎず、リアルさとシュールさを絶妙なバランスで魅せてくれた、大九明子監督の演出も。
それだけで充分に観る価値アリだけど、痛みが解らない人には観て欲しくないので、あえて限定した薦め方をさせて頂きました。
PS. 前回レビューした『ザ・ファブル』で散見された、ウルトラ無駄な「照れ隠し」が『勝手にふるえてろ』には一切ありません。そういう日本人特有の自意識って、本作みたいに繊細な内容だと強力な武器になるけど、ハリウッド的アクション映画だと邪魔にしかならない。そもそも向いてないんだってことを、対照的な2本を観て痛感させられました。
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