2006年公開の日本映画です。撮影時の多部ちゃんは16歳と思われます。
監督=中村義洋+脚本=林 民夫のタッグは、後に井坂幸太郎原作の映画『フィッシュストーリー』(2009年公開、多部ちゃんも出演)を手掛ける事にもなります。
主人公は中流家庭のごく平凡な女子高生=田中エリ子(多部未華子)。氏名もごく平凡で、私の知り合いにも同姓同名の人がいますw
で、ある日、帰りの遅い弟=ダイゴ(岩田 力)を迎えに行って、一緒に帰宅しようとしたら驚いた! 我が家のある筈の場所がなぜか海になっている!
ワケの分からないままウロウロする内に、姉弟は何とか帰宅するんだけど、さっきまでシチューを作ってた筈のお母さん(石田えり)がそこにいない。
気まずくなってた筈の親友と知らぬ間に仲直りしてたり、死んだ筈の同級生が平然と生きてたり、巨人の高橋由伸選手が微妙に太ってたりとw、姉弟を取り巻く世界が以前とは違ってる。
どうやら姉弟はいったん別次元に迷い込み、戻って来た世界は以前と違う時系列、いわゆるパラレルワールドだった!としか考えられない。果たして2人は、両親が待つ元の世界に戻れるのか?
月並みなSF映画なら、主人公が元の世界に戻るまでの冒険と、家族との涙の再会が見せ場になるワケですが、この作品は違います。
(以下、ネタバレです。これから鑑賞予定の方は読まないで下さい)
エリ子とダイゴは結局、元の世界には戻れません。それどころか2人は否応なく、それぞれ別の親戚に引き取られる事になっちゃう。両親がいないんだから、そうする以外に生きてゆくすべが無いワケです。
元の世界の思い出を共有する、唯一の相手とさえ別れなきゃいけない結末は、どう考えても残酷だし悲しいんだけど、この姉弟は涙を見せないんですよね。演出も実に淡々としたもんです。
意表を突いた展開ですこぶる面白いんだけど、こんな残酷な結末を選んだ創り手の意図って、一体何なんだろう?って、初めて本作を観た時、私はちょっと戸惑いました。
で、確かアマゾンのユーザーレビューだったと思うけど、ある人の感想を読んで「なるほど!」って納得しました。言われてみれば、ラストシーンにおけるエリ子のモノローグで、実に解り易くテーマが語られてるんですよね。
弟と別れ、新しい環境での生活を始めたエリ子に悲壮感は無く、むしろ楽しそうにさえ見えます。
「東京を離れてしばらくは、東京のことばかり考えていた。もちろん、元の世界のことだけど… でも、離れてしまうと、その境界は徐々に曖昧になって、今では、どちらもボンヤリと、懐かしい場所のような気がする……」
何らかの事情で家族や仕事を失った人も、例えば震災で家を失った人も、しばらくは大変だし不安に押し潰されそうになるかも知れないけど、人間には順応していく力が備わってる。
私自身、高校を卒業して生活環境が激変した時(知らない土地で初めての一人暮らし&初めての労働)、死ぬほど心細くてツラかったけど、1~2ヶ月も経てば順応し、明らかに以前の自分より強くなってました。
生きていれば、必ずそんな大きい試練が何度かやって来る。けど、自分を信じてとにかく進んでみよう。きっと乗り越えられるし、以前より強くなった自分に気づく筈だから……ってことを、この物語の作者は伝えたかったんだと思います。
否、もっとシンプルに、これは子供が思春期を終え、親の加護から離れて独り立ちしていく姿のメタファーなんだ、との説も(たぶんアマゾンのレビューに)ありました。言われてみれば、そんな気もしますw
多部ちゃんの演技は、弱冠16歳にして安定感バツグンで、特に弟の一挙手一投足に厳しいツッコミを入れるドSな感じには、とても演技とは思えないリアルさがありますw
多部ちゃんが演じなくても面白い映画にはなったでしょうが、多部ちゃんが演じなければここまでリアルな日常感は出せなかったと思います。その日常感こそが、本作の肝なんですよね。
また、高校の制服姿でソファーに寝そべったり、自転車から飛び降りたり、憎たらしいイジメっ子に未華子キックをお見舞いしたりと、多部ちゃんの白い太ももをチラ見せするサービスショットが、やけに多い映画だったりもします。
弟役の岩田力くんも実に良い味を出してくれました。とても多部ちゃんの弟には見えないルックスなんだけどw、普通に可愛い子役だと面白さは半減してた筈です。エリ子の良き理解者である同級生「マッチョ」といい、イケメンや美少年が一切登場しない点がまた素晴らしい!w
笑える台詞も多く、涙を押し売りしないからこそ泣ける場面もあり、もちろんSFとしても楽しめるし、多部ちゃんファン以外の方にも是非オススメしたい作品です。
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