源氏物語と共に

源氏物語関連

他社のお気に入りブログ

2009-05-13 16:23:28 | その他
お気に入りサイトに入っていた他社のブログ




雪月花 季節を感じて
http://blog.goo.ne.jp/setsugekka_2


お気に入りブログに登録して変更しました。


他社の登録できないブログは
そのままお気に入りサイトに~(研究中)m(__)m


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☆1万人突破 御礼

2009-05-11 08:32:42 | その他

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2年前の6月に開設した拙ブログ、ひっそりとやっていましたが、
お蔭さまで訪問者1万人を突破しました。


皆様、ありがとうございますm(__)m


このブログは真面目に源氏物語を研究する文になっていますので、
堅苦しくて読みにくいと思います。


源氏物語に対して、思い入れが強すぎて、襟を正してしまうと言ったら
家族に笑われました(^^ゞ
まあ、面白い文章も書けないので、書き逃げをしています(笑)


拙い文章のブログですが、今後もどうぞよろしくお願いいたします。ペコリ。


さて、お気に入りサイトgennji様より
http://blogs.yahoo.co.jp/sachiyo_shiraishi 
源氏物語の訳をメールで送っていただきました。


最初の方を読みましたが、
丁寧な文が大変読みやすくて、素晴らしい訳☆と思います。
皆様にもおすすめします。


gennji様、ありがとうございました!


やっと開けかけた大好きなピエール・ド・ロンサーヌ画像。
開くと大輪になります。


都立清澄公園の里桜も、紫の上のイメージでした。


紫の上のイメージはもう少し濃い色のピンク色のように思いますが、
樺桜が見つかりませんので、また探してみようと思います♪


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源氏物語と日本書紀

2009-05-08 10:07:05 | 関連本
紫式部日記では、紫式部が一条天皇のお言葉で
後に日本紀の局とあだ名をつけられた有名な話があります



うちの上の、源氏物語人に読ませ給ひつつ聞こしめるに、
「この人は日本紀(にほんぎ)をこそ読み給ふべけれ。まことに才(ざえ)あるべし」と、のたまはせるを・・・ (紫式部日記)




ビキナーズクラシックス「紫式部日記」 山本淳子 角川ソフィア文庫では、
この有名な一条天皇の言葉の訳が通説と違っていました。


『帝が、源氏の物語を女房に朗読させてお聞きになりながら、
「この作者は公(おおやけ)に日本書紀を講義してくださらなくちゃならないな。
いや実に漢文の素養があるようだ」そう冗談交じりにおっしゃったところ・・略・・』


先生も説明されている通り(以下引用)、


『一条天皇は源氏物語の中にみえる、歴史と漢文への深い教養に感心しました。
往来この批評は「この人は日本紀を読んでいるね」と解釈されていましたが、それは伝来の本文を改変した解釈ですので、ここでは改変前も原文に従い解釈しています。略・・』


この訳は面白いと思います。
私など「こそ」「べけれ」で往来の強調・推量?訳に近くなるのですが。


先生も説明されている通り、
平安時代には、以前は学者が日本書紀を講義することもあったようですが、
一条帝では久しく絶えていたそうです。
天皇は感服のあまり大げさに
紫式部にその役をやってもらおうじゃないかと言ったという解釈だそうです。
また紫式部の漢文の教養が知的お洒落ではなく、
本格的な素養であったことを示しているとも言われています。


枕草子 「香炉峰の雪」のくだりでもあるように、
中宮定子は清少納言同様に、漢文の素養があったようです。
そして一条天皇も漢文を好んでいたので、
そういう事も含め2人は相愛だったのでしょう。


もっとも紫式部はその清少納言に対して
痛烈な批判を日記でしているのは皆さんもご存知の通りです。


この冒頭部分には、式部の漢文素養の原因(弟よりも早く覚えた)や
後に彰子に白氏文集の新楽府を講義したことも載っています。


源氏物語と日本書紀の関係、
避けては通れない問題だと気づきました。
ああ~^^;源氏物語はすごいですね~


「後宮の物語」 梅山秀幸 丸善ライブラリー


偶然でしたが、この本はそういう日本書紀と源氏物語の関係を示しています。


宇治の所では、
宇治稚郎子(うじのわきいらつこ)の話が出てきました。


応神天皇の皇太子である宇治稚郎子皇太子は、天皇亡き後
弟である自分が兄(大ざきのみこと)をさしおいて天皇にはなれないと
自殺してしまった。兄はその後に仁徳天皇となったという日本書紀の話。


この宇治稚郎子皇太子と宇治八の宮の設定。
宇治という名前の由来なども交えて説明。


また関連で、物語の租である竹取物語でさえ、
藤原氏のいる時代を暗示という過去の説も出されています。


実際に、古事記や日本書紀にみられる様々なモデル例が
源氏物語にあてはまるようです。


三角関係が多い源氏物語と日本の歴史。


青海波を舞う源氏とそれを見る藤壺との歌の贈答。
袖をひるがえして舞う光源氏と藤壺の関係は、桐壺帝を前にして
まるで天智天皇の前にいる額田女王と大海人皇子のようですし、
他にも宇治大君と中の君、浮舟などのモデル例を歴史からとりあげた説を
説明されています。


源氏物語の時代は藤原氏の娘が后・中宮として君臨していましたが
源氏物語は皇族出身の后が多いのもひそかな批判ではないかと。


彰子は紫式部より白氏文集の「新楽府」を勉強して息子達を産むが、
後に道長と考えの対立を生みます。
亡くなった定子の息子を皇太子にするべきだと考えたのに、
道長は彰子の前を素通りして天皇に奏上。
父のそのやり方が納得できなかったようです。


道長はその原因となった紫式部を彰子から遠ざけ、
その頃に、宇治十帖を描いたのではないかという説です。


確かに、若菜や宇治十帖にいたると、
それまで語られた光源氏の姿は変わってしまいます。
匂宮・薫にいたっては、光源氏と全く違って
、更に地に落ちた感じがしますので、作者の心理変化も感じます。


浮舟の継父である地方の豪族の栄えや、
宇治荘園を警護する武士のような姿さえ宇治十帖には見え、
痛烈な貴族時代への批判もあるのかもしれません。


近藤富枝の「紫式部の恋」は、
式部の秘めた恋の相手が村上天皇の第7皇子「具平親王」と指摘。


具平親王は作ったサロンで父・藤原為時とも親しく、
道長と対立していました。


身分の低い女房を外に連れ出し死なせてしまった事件があり、
後の某エピソードで「おおがお」といわれ、
夕顔という話に似ていると指摘。


紫式部が彰子に出仕してからは、次第に道長の姿にガッカリして
宮つかえの憂し様をあらわしているのではないかといわれています。


そして具平親王の亡き後に宇治十帖を書いたとも。


もっとも、紫式部1人が宇治十帖までのすべてを書いたという説ではなく、
式部の娘も含め、作者は複数説のようです。


源氏物語はあまりにも多くの知識があり、
本当にこれが1000年前の一介の未亡人女性が描いたものかと驚きます。


ドナルド・キーン氏の「百代の過客」
個人的な観点だけれども、様々な日記についての感想は、
日本文化の理解力の高さに驚きます。


とにかく、日記も色々あるのだな~と思いました。


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のいばら(野薔薇)

2009-05-04 09:43:00 | 

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薔薇の季節となりました。


庭でずっと薔薇らしき葉が伸びていた枝に
やっと花が咲いているのに気づきました。


これはノイバラの花ではないかと思いますが、どうでしょう。
白い花が咲いて嬉しくてたまりません♪
たまたま、朝日新聞日曜版にも、このノイバラの記事が載っていました。


ノイバラは文字通り万葉集で詠まれた「うまら」といわれる薔薇。
棘(いばら)があります。
薔薇の音読みは「そうび」、訓読みでは「うまら」「うばら」といわれます。


この枝はずっと花が咲かず、大きくなりすぎ。
枝を切ろうかと迷っていたのに、今年になってやっと咲いてくれました♪



きざはし(階)のもとのさうび(薔薇)、けしきばかり咲きて、
春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに・・・(賢木) 




賢木にあるこの薔薇は何だろうと思っていたのですが、
私は以前にこの薔薇をコウシンバラと決めました。
拙文薔薇1~5参照http://blogs.yahoo.co.jp/hana0101/10004596.html


もちろん万葉集でも詠まれる「うまら」というこの白い薔薇も候補です。
しかし、枝が非常によく伸びます。
「階(きざはし)のもとに」というには、少し大きすぎる咲き方のように思います。


この薔薇達は結実します。
その赤い実(営実)を漢方に使用したところから、
薔薇の木は日本に入ってきたのでしょう。


薔薇は夏の部類。ちょうどカワラ撫子の葉も出てきました。
スズランも葉の影から花が咲いているのに気づきました(ピンボケ)
夏の季節になってきたと感じます。


さて、我が家のパパメイヤンという薔薇が咲きました。
この色を見ると紫の上が着た赤みがかった蘇芳より濃い色と思います。


紫式部はどんな色の薔薇を見ていたのでしょうか?


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ろすまりんさんの新サイト 滴用日記~古典と歴史の迷い道 (追記)

2009-05-02 08:19:18 | その他
古典の迷い道の
ろすまりんさんがお引越しされました。
新タイトルサイトをお気に入りサイトに追加しました
紹介しておきます
http://blog.goo.ne.jp/rosemary405/e/94d553a5230a69e3f1c1294e2d761ebd


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