文月の7月となりました。
文月とは七夕の和歌を書く月のことだそうです。
八月は葉月。旧暦なので葉が落ちる月とも。
八月は葉月。旧暦なので葉が落ちる月とも。
6月の水無月とは水が無いのでななく、
「無し」は「の」をあらわし、
水の月というそうです。
「無し」は「の」をあらわし、
水の月というそうです。
長月の9月は文字通り月(夜)が長くなる。と、ちょっと勉強しました^^
井口樹男「古典の中の植物誌」によると、
うつき(空木)とは、
茎の中が空洞であり、卯月に咲くので、卯の花ともいうそうです。
茎の中が空洞であり、卯月に咲くので、卯の花ともいうそうです。
卯月のいわれは、卯つきとはまさしく卯の杖で地面を突く。
そうすると、田植えの前の土地の精霊をうち叩くという呪術から来ており、
邪気を払って田植えをする月ということだそうだ。
そうすると、田植えの前の土地の精霊をうち叩くという呪術から来ており、
邪気を払って田植えをする月ということだそうだ。
行事として卯槌、卯杖が小正月に見える。
小正月にも土地の土を叩き、精霊を追い払い、
いよいよ卯月・田植えの前にも叩いて土地の邪気を払う。
小正月にも土地の土を叩き、精霊を追い払い、
いよいよ卯月・田植えの前にも叩いて土地の邪気を払う。
五月の霖雨を<卯の花くた(腐)し>という。
卯の花の腐ってしまう・今でいう梅雨の頃をさす。
卯の花の腐ってしまう・今でいう梅雨の頃をさす。
そしてホトトギスは憂鬱という歌もあるぐらい、
この頃鳴くホトトギスは長雨の忌み中でもあり、憂しな気分。
この頃鳴くホトトギスは長雨の忌み中でもあり、憂しな気分。
春はホトトギスは夏の知らせ、田植えの時期を知らせる、嬉しい鳥なのに。
「いくばくの 田を作ればか ほととぎす
しでの田長を 朝な朝な呼ぶ」 (古今集 俳諧歌)
しでの田長を 朝な朝な呼ぶ」 (古今集 俳諧歌)
ホトトギスの鳴く声を「シデノタヲサ」と聞いていた時代があった。
朝な朝な鳴いて一体いくらの田を作っているというのか。
しでの田長と毎回催促している。「田長」とは田植えの時の監督をさすそうです。
朝な朝な鳴いて一体いくらの田を作っているというのか。
しでの田長と毎回催促している。「田長」とは田植えの時の監督をさすそうです。
私この卯の花がわかりません。低木で良い香りがするのがそうなのかもしれません。
以前思っていたのはどうも「ネズミモチ」だったようです。
http://www.mitomori.co.jp/hanazukan/hanazukan2.7.107nezumi.html
以前思っていたのはどうも「ネズミモチ」だったようです。
http://www.mitomori.co.jp/hanazukan/hanazukan2.7.107nezumi.html
<卯の花腐(くた)し>の頃、
長雨と同時に忌みに入り、男女関係も忌みになります。
長雨と同時に忌みに入り、男女関係も忌みになります。
平安時代の男女には眺めの季節・憂しの季節だそうです。
そういう時期だからこそ、眺めの文学が生まれたのだとか。
後の定家にしても兼好の徒然草にしても、
政治的中心にいなかったからこそ
愚痴をこぼすような様々な文学が生まれたと、どこかで聞いたように思います。
政治的中心にいなかったからこそ
愚痴をこぼすような様々な文学が生まれたと、どこかで聞いたように思います。
それならば、枕草子も紫式部日記も紫式部集他一連の日記集も、
昔を懐かしむ時代に書かれた作品なのかもしれません。
(紫式部日記は道長に彰子のお産の様子を描くように任命されたというけれど・・)
昔を懐かしむ時代に書かれた作品なのかもしれません。
(紫式部日記は道長に彰子のお産の様子を描くように任命されたというけれど・・)
画像は小雨にけむる千鳥が淵公園あたりと半蔵門。