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ヨハネの黙示録16章

2021年09月20日 06時58分15秒 | ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録16章 ハルマゲドン
1.最後の審判(16:1-12)
先に、黙示録の本体の部分は、予告編、本編、おさらい編の三部で構成されることをお話しました。16章はおさらい編です。テレビドラマであれば、主題歌と共に、ドラマの印象的なシーンが再び流されている部分に当たります。ただ内容を見てみると、状態はさらに激しくなっています。予告編での災いは地の4分の1、本編では3分の1と限定的でしたが(8:10)、このおさらい編では、その災いはすべてに及んでいます。つまり、火事に例えると、家が盛んに燃え上がっているシーンが本編、おさらい編では、焼け跡を見せられているようなものです。
ともあれヨハネが強調するのは、こうなってしまったのは、繰り返し求められた悔い改めが起こらなかったためであると言います(9節、11節、21節)。また、この災いは、キリスト者の祈りに答えるものであったことが語られます。香として神の下に蓄えられた祈りは、ここですべて神によって清算されたということになるのです(ローマ12:20)。
このように語られる、神の最後の審判、皆さんはどのように考えられるでしょうか。人が死ぬことについては、誰も異論はないでしょう。誰も死を経験した者はいないにも関わらず、人はいずれ自分も死ぬと理解しています。しかし、神の裁きがあるということについては、半信半疑でいる、あるいは信じない人も多いでしょう。けれども裁きがないとしたら、この世の人生はあまりにも不条理というべきではないでしょうか。旧約聖書の詩篇や箴言では、悪者が栄える事に対して、やりきれない思いのあることが率直に語られています。古い時代の哲学者ですが、イマヌエル・カントは、「もし神と来生の希望がなければ、道徳的な理念は、どんなに立派なことを言っても、人々はそれに同意と賛嘆は示すけれども、だから自分もそう生きようという意図と実行の動機にはなり得ない」と言いました。神の絶対的な正義や裁きがなければ、道徳そのものが成り立たないというわけです。ヨハネは、7節、神の裁きは、キリスト者の願望なのではなく、真実であり、確信されることだと語ります。
2.ハルマゲドン(16:13-21)
さて、16節、ハルマゲドンという言葉が出てきます。かつて、このことばがメディアで盛んに取り上げられた時代がありました。一般的、この箇所は、「メギドの山」と解釈されています。ハルは、ヘブル語で山を意味し、マゲドンは、ヘブル語のメギドの音訳です。そこからハルマゲドンの意味は「メギドの山」と理解されるのです。ところが、イスラエルにメギドの山は実在しません。そこでこれを少し読み替えて、イルマゲドンとする解釈があります。イルになると「メギドの町」という意味になります。そしてメギドの町は実在します。そこはフェニキヤからエジプトへ至る幹線道路のつなぎの部分で、通商や軍事の重要な拠点です。また、戦争の勝敗を決める重要な戦略的拠点です。こうして、ハルマゲドンは、世界最終戦争が起こる場所だ、と解釈されることが多かったのです。けれどもよく読むと、ここに軍隊は集結しても、戦闘は起こっていません。しかも20節、「島は全て逃げ去り、山々は見えなくなった」と直ぐにファイナルシーンのカットに移っています。こうしてこれまでの流れで考えると16章はおさらい篇ですから、終結後の戦闘は、本篇の方に詳しい、つまり12章あたりに語られているものだと考えられます。となるとこのハルマゲドンは集結の場所で、戦いはここではない可能性もあります。そしておさらい篇であるとすれば、ハルマゲドンは軍隊集結のワンシーン、そしてファイナルシーンが続くわけですからその間のことは、本編に詳しいと考えるべきでしょう。となると連想されるのは、本編の12章にある目に見えない世界で繰り広げられた、竜と女の戦い、竜が負けて地に投げ落とされことが思い浮かべられます。
大切なのは、聖書の世界観は、二元的なことです。普通の人は、一元的に世界を見ています。目に見える世界がすべてだと考えています。しかし、聖書は、あなたの知らないもう一つの世界があること、つまり、目に見えない神がおられて、悪魔やサタンという存在がいて、死んだ人々も眠った霊として存在する二元的な世界観を前提としています。今の目に見える世界は、やがて終わるものですが、神がおられる世界は永遠です。しかも、その世界からサタンとも、悪魔とも呼ばれる存在は永遠に追放されて、イエスの罪の赦しを受け、変えられた者が招かれることを伝えています。世は滅びて終わりではなく、すべての人間に神の正義がもたらされる、帳尻が合わせられて、安息の恵みの日が来ると聖書は語っているのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「15章に出てくるガラスの海が、黙示録の中で最初に出てくるのはどこでしょうか?またそれはどのような場所を語るものでしょうか?」答えは、黙示録4:6で、それは、神の御座の前であると説明されています。では、今日の聖書クイズを一つ。「16章でぶちまけられた鉢の中身、これは何であると考えられますか?」答えはまた明日、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>      
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!

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