ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

「長沢芦雪」

2023-12-13 23:35:07 | 美術鑑賞
「長沢芦雪 奇想の旅、天才絵師の全貌」  2023.10.7-12.3 大阪中之島美術館
開場時間=10時~17時  休館日=月曜日

 とにかく動物がかわいい、かわいい。そして、円山応挙に師事していただけあって、上手い。よかった。


右  虎図襖 展示期間が前期だったため見ず
中  牛図 画面いっぱいに牛。青い目がかわいい
左  龍図襖 展示期間が前期だったため見ず
左下 群猿図襖 猿の表情やしぐさがかわいい。茸を取っていたり生き生きと描かれている


右 仔犬図屏風 ころころとかわいい
中 牛図



上 龍図襖
中 長沢芦雪像 長沢芦鳳 展示期間が前期だったため見ず
下 仔犬図屏風


降雪狗児図 一番好きな作品。かわいい。


群猿図襖  

●虎図(オオタファインアーツ) 目力あり。毛並みが美しい。
●龍図襖(西光寺) 龍が踊っているみたい。雲に隠れていない龍の全身図。
●鍾馗・蝦蟇図 カエルがでかい。鍾馗が勢いがあり、豪快
●恵比寿図 鯛を押さえつけているポーズ。顔がかわいい
●月竹図 細長い!好きな作品
●富士越鶴図 鶴が一直線にこちらに向かってくる
●月夜山水図 好きな作品
●象と鯨図屏風 伊藤若冲 若冲の背びれのある鯨を見ることができてうれしい
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『黒い海』『内角のわたし』『成瀬は天下をとりにいく』

2023-12-12 13:11:54 | 
『黒い海 船は突然、深海へ消えた』 伊澤理江 講談社
 2008年、太平洋上で碇泊中の中型漁船が突如として沈没、17名もの犠牲者を出した。波は高かったものの、さほど荒れていたわけでもない。周辺には僚船が複数いたにもかかわらず、この船――第58寿和丸――だけが転覆し、沈んだのだった。なぜ、沈みようがない状況下で悲劇は起こったのか。この海難事故を調査した運輸安全委員は乗組員の過失と高波が合わさり転覆に至ったと結論付ける。だが、その報告書に記載された内容は生存者や救助に向かった僚船の乗組員の証言とことごとく食い違いをみせるものだった。ふとしたことから、この忘れ去られた事件について知った、一人のジャーナリストが、ゆっくり時間をかけて調べていくうちに、「点」と「点」が、少しずつつながっていく。そして、事件の全体像が少しずつ明らかになっていく。
 一気読み。読み応えがあった。いろんな人に勧めたい一冊。
 著者が調べていく過程は、圧巻。漁業関係者と客船の乗員の命に格差をつける人たちに食いつく著者の姿がすばらしい。そして、潜水艦の当て逃げではないかという推論にたどりつく。こんなことがあったなんて。しかも、潜水艦浮上時の船の衝突が結構あることに驚かされた。
 調査報告書はなぜ、生存者の声を無視した形で公表されたのか。国民の命をないがしろにして、誰に忖度して、真実を隠そうとしているのか?国民を守らない日本という国に怒りを隠せない。
 

『内角のわたし』 伊藤朱里 双葉社
 若くて可愛い女の子、いつまでそう扱われるの? 愛され守られたい、自立し強くありたい、無関心で平穏に過ごしたい――3つの本心に引き裂かれながら、社会が望む女性像に擬態して生きる森。その異質な気配に気づいた職場の同僚に声をかけられるが……。
 脳内にいる三人の人格が会議しつつ森は暮らしている。その設定に始めは戸惑ったが、こういうことってあるよなと思う。
 女性の生きづらさがひしひしと伝わった。
 新人くんの「加害者には自覚がない」というのは、共感。おじさんは、無知な女の子に教えてやっているのだから。そして、女の子が反撃したら、姑息な方法で叩きつぶすのだ。やれやれだ。

『成瀬は天下を取りにいく』 宮島未奈 新潮社
 2020年、中2の夏休みの始まりに、幼馴染の成瀬がまた変なことを言い出した。コロナ禍に閉店を控える西武大津店に毎日通い、中継に映るというのだが……。M-1に挑戦したかと思えば、自身の髪で長期実験に取り組む。今日も全力で我が道を突き進む成瀬あかりから、きっと誰もが目を離せない。
 周りの空気を読んで、忖度して、目立たないように同調して。そんな生活を送っている身にしては、群れない、媚びない、驕らない成瀬は、カッコイイ。痛快でもある。
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写真de俳句で人

2023-12-11 22:09:50 | 俳句
写真de俳句「ウォーキング中に」で人をいただきました。ありがとうございました。

楽し気な銀杏落葉や鈴緒振る
これ以上無理とつぶやく落葉風
            丸山隆子

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父との思い出

2023-12-04 21:17:02 | 日記
 父が亡くなりました。私が父に会いに大分に帰り、二日後のことでした。まるで、私の帰りを待って安心して逝ったようだと親戚に言われます。まさか、こんなに早く逝くとは。徐々に衰えていくとは言え、来年の春か夏には、また会えると思っていました。無理に帰り、生きているうちに会えて本当によかったです。

 父が骨になったのを見ても、父が逝って二週間が経っても、実感がわきません。非情かもしれませんが、お葬式でも涙が出ずに、ぼんやりとしていた感じでした。涙が出そうになるけど、自分で抑制しているのか涙が引っ込む感じだと妹と言っています。

 父がお骨になるのを待っている間、従妹が父から木琴を買ってもらった話をしてくれました。従妹が欲しがっていた木琴、それも思っているのより上等の木琴で、うれしくて誇らしげに木琴を叩いたと。

 私も父の思い出をしようと思います。父は、無口でマイペースでした。母にとっては、自分勝手で何もしない夫だと思いますが、私には、穏やかでお茶目な父でした。

 小学生の時、夕食後父と妹と三人でトランプをして遊んだことは楽しい思い出です。今、考えると、よく毎日のようにトランプで遊んでくれたなと思います。

 子どもが赤ちゃんの時に、大分に帰った時のことです。父が孫たちを上手に抱っこすることに驚きました。人見知りの時期だった子どもが泣くのかと思いきや、安心して抱っこされていました。それを見て、私や妹もこうして父に抱っこされていたのかなと思いました。
 従妹に「おじちゃんは、孫を可愛がるの?」と聞かれたことがあります。「可愛がるよ」と答えると従妹はビックリしていました。父は、無口であまり感情を表さなかったので、意外に感じたのでしょう。不器用だったかもしれませんが、父は確かに孫を可愛がっていました。

 父がモーターボートの免許を取ろうとしていた時です。私が不遜にも「問題を出してやるわ」と言って、モーターボートの教本から問題を出しました。正解を答えます。どんな問題を出しても正解を答えます。私も意地になって重箱をつつくような問題を出しても、正解を答えました。その時に父はすごいと思いました。
 思えば、私が小学生の時、父は通信教育で何かを勉強していました。「えっ、大人になっても勉強せなあかんの!?」と驚いたことを覚えています。
 その後も部署が変わると本を何冊も買って、その部署の勉強をしていました。
 父の姿から、いくつになっても学ぶことは出来ると教えてもらったような気がします。
 
 ほとんど怒られたことがないのですが、一度、こっぴどく怒られたことがありました。大学生の時、初めてアルバイトをしました。デパートでずっと立ちっぱなしでネクタイを売りました。帰って、バイト代の入った袋を破ると、そこには思ったよりうんと少ない額のお金が入っていました。「えっ、あんなに働いたのに、これだけ?」と思わず愚痴ると父が烈火の如く怒って言ったのです。「働くとは、そういうことだ!」
 私は一念発起して、大学の後期の学費を自分で払ってやると思いました。地方の国立大学だったので、半期の学費なら なんとかできそうでした。いつもの家庭教師に加え、学校へ行く前にパン屋で早朝のバイトをし、休みもデパートの伝票整理のバイトを一日中し、正月も巫女さんのアルバイトをし。やっと半期の学費を払うことができました。その時、家族を養い、大学に通わせてくれる父の偉大さを実感しました。高卒の父が、大卒の人と働くことは大変だったと思います。働くことは、本当に大変でした。

 一番印象に残っているのは、私が小学生の頃、父とお祭りに行った時のことです。一人の老人が階段を踏み外し、ころころと下へ転がり落ちました。私はびっくりして足がすくんでしまいました。でも、父は違いました。誰よりも早く駆け寄り、老人を助け起こしたのです。
 後で私が「お父さんがあんなことするとは思わなかった」と言うと、父は不思議そうに「人が困っていたら助けるのは当たり前」と言いました。
 クールに見える父は、こんなにも暖かいハートを持っているんだと嬉しかったことを覚えています。

 お父さん、私は、あなたの娘でよかったです。
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